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八ッ場ダム計画が最初に発表されたのは1952年ですが、上流の草津白根山の影響で、ダム予定地を流れる吾妻川はコンクリートを溶かす酸性河川であることからダム計画は頓挫。1965年に再びダム計画が浮上したのは、吾妻川の中和事業が成功したからです。
2018-03-03 21:35:18吾妻川の中和事業を成功させた落合林吉は、建設省から群馬県に出向した土木技術者でした。鬼怒川流域の農村に生まれ育った落合林吉の原点は、農民を悩ませる洪水を克服することでした。中和事業の成功により、八ッ場ダム計画は復活。落合は技術者として、河川官僚として高く評価されたのですが・・・
2018-03-03 21:39:25ダム建設は時間と費用がかかるわりに、洪水調節効果は不透明です。 八ッ場ダム建設の主目的は利根川の洪水調節ですが、東京都など八ッ場ダムの治水負担金を払い続けている利根川下流都県における八ッ場ダムの治水効果は限りなくゼロに近いと言わざるをえません。
2018-03-03 21:44:39落合林吉が生まれ育ったのは利根川支流の鬼怒川流域です。たとえ2015年に八ッ場ダムが完成していたとしても、鬼怒川の水害は防げませんでした。鬼怒川上流には四基の巨大ダムがありますが、ダム下流が大雨にみまわれた2015年の台風では、ダムの治水効果は限定的にならざるをえませんでした。
2018-03-03 21:50:21今晩の日本テレビ”鉄腕DASH ” 東京・新宿に降る酸性雨の話題の中で吾妻川が取り上げられました。 ntv.co.jp/dash/tetsuwan_… 番組では当会が提供した吾妻川の写真も紹介。 中和事業が始まる前の吾妻川という説明でしたが、中和事業が始まったのは1963年。写真は2005年撮影と番組に伝えたのですが。。 pic.twitter.com/LxUGTvFon5
2018-03-04 21:22:18コンクリートを溶かす強酸性河川ではダム建設は不可能。八ッ場ダムと中和事業はセットであり、ダム完成後も中和事業は必要。吾妻川は中和後も弱酸性で、雨の降り方によって今も川水が赤みを帯びることがあります。鉄腕DASH で紹介された写真もこの写真も、今は立入り禁止の水没予定地を流れる吾妻川。 pic.twitter.com/QWSgDtdUtE
2018-03-04 21:33:00日本テレビの”鉄腕DASH”は東京の酸性雨がテーマだったせいか、吾妻川の写真が八ッ場ダムの水没地であることには触れませんでした。 半世紀以上も中和事業を続けてきた結果、中和生成物の処理が大きな問題になっていることにも触れませんでした。 「死の川だった吾妻川」yamba-net.org/problem/meisou…
2018-03-04 21:41:16首都圏で初めての上映です。是非お出かけください。 石木ダムの映画「ほたるの川のまもりびと」上映ー3/23、東京・日比谷 yamba-net.org/41082/
2018-03-05 22:37:26八ッ場ダムが予定されている吾妻川の水質に大きな影響を及ぼしているのが、ダム予定地上流にある草津白根山です。
天下の名湯、草津温泉をかかえる白根山は、火口湖、湯釜がpH1以下と、わが国屈指の酸性度を示します。硫黄の臭いたちこめる山麓から、強酸性の川が幾筋も吾妻川に流れ込みます。
昭和初期、硫黄鉱山が大規模に開発されたことにより、鉱山から流れ出す廃液が吾妻川の酸性度をさらに増す原因となりました。吾妻川流域の人々は、農業用水、飲み水には山の沢水を利用しました。
第二次大戦末期、草津町に隣接する六合(くに)村で群馬鉄山が開発され、1952年から精錬が始められると、吾妻川の水は赤茶けた色に変色し、見た目にも特異な”死の川”となりました。
吾妻川の過去 | 八ッ場ダム事業の問題点 | 八ッ場(やんば)あしたの会 https://yamba-net.org/problem/meisou/agatsuma/agatsuma2/