ジュディス・バトラー『アセンブリ』読書メモ集
- arishima_takeo
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ジュディバトを買ってきたんだぞ(ジュディマリみたいにいうな)。 pic.twitter.com/bqD6U1m90J
2018-03-03 11:57:51生きていることは既に、私自身を超えているだけでなく、私の人間性を超えて生きているものと結び付いていることであり、いかなる自己もいかなる人間も、人間的動物の領域を超える生物学的ネットワークとのこのつながりなしで生きることはできない。byバトラー『アセンブリ』
2018-03-03 11:52:16バトラーのアレント批判。公私の硬直的分割、具体的には身体を私的なもの=必然的なものに押し込め論をジェンダー的行為遂行性でもって反駁するぜ話はわからいじゃないけど、王道的すぎてちょっと単調だな。別に間違ってるとは思わないけど。
2018-03-04 07:54:46アーレントは間違いなく私の考えに異議を唱えるだろうが、私は彼女が提示したのは、特定の形式の政治のためのnガイドラインとなる、共生についての倫理的見解だと考えている。byバトラー『アセンブリ』
2018-03-07 19:31:35「デモクラシーはマルチチュードが押し寄せる出来事として理解されなければならない、という考えを保持する政治的見解についてはかなり疑いを持っている」(バトラー『アセンブリ』)。シールズ批判じゃん。
2018-03-10 14:50:20バトラー『アセンブリ』読了。凄い雑に要約すると、アレントの「現れの空間」って女性排除してるよね→ジェンダー力大事だよね→身体の話だよね→身体って傷つきやすいよね→傷つきやすさを武器に戦えるデモっていいよね、みたいなデモ論…かな? ちびりちびり読み進んだおかげで随分経ってしまった。
2018-03-13 17:41:25アレント批判自体は、よく聞くものなので、そんな驚くようなものでもないけど、〈公的領域が排除/私的領域に封印〉したはずの身体性が「出生」というかたちでアレントのテクストに舞い戻ってくるというのは正しいね。
2018-03-13 17:44:26バトラーはデモの身体性に(言葉ならないような)行為遂行性の意義を認めているが、他方、その集合性の画期については、余り明言してないんじゃないだろうか。傷つきやすい身体が街頭で群れをなす、ひとつの身体じゃなせないそれ、そのことの意味についてもうちょっと知りたかった。
2018-03-13 17:48:58図らずもは東京でもデモってるみたいだが、いうまでもなくレイシズムやナショナリズムもデモを利用するので、デモだからいいとかは別に思わないんだよな、私は。無論、悪いとも思わない。選挙やると右翼に投票するヤツもいれば左翼に投票するヤツもいるのと同じで、一つの手法だなって感じ。
2018-03-13 17:54:42「「足を引きずって歩く身体」はその行為能力を断念したように見えるかもしれないが、にもかかわらず、それは重さと障害物になることで、自らの姿勢に固執する」(バトラー『アセンブリ』)。ここは面白いね。
2018-03-13 17:56:31ああ、あと、すべての文が話したり書いたりする行為とともに生じる、つまりすべてパフォーマティブなんだから(と私は思っているんだが)、そんなにパフォパフォいわなくてもいいんじゃないのとか思った。引き篭もって読書してるのだってパフォーマティブなんじゃないの的な。
2018-03-13 17:59:17ああ、あと(多くて失礼)、バトラーはウェブ上のアセンブリと街頭でのアセンブリを分けて考えてないようなところがあるけど、可傷的身体みたいなこと言いたいんだったら、ここ厳しく分割しないとダメなんじゃないのかな。SNSの身体はあくまでヴァーチャルなものなのでは? 別に死なないし。
2018-03-13 18:01:37翻っていうと、柄谷行人のデモ論とか結構具体的で示唆に富むこといってたんだな、と思った(いや、バトラー本つまんないわけじゃないっすよ、もう一寸短くてもいいかなとは思うが)。
2018-03-13 18:05:03そういや、最後に葬儀とデモみたいな話が出て来るけど、これはアンティゴネ論とつながっているのかな?(たしか書いてたよね? 実は未読なんだが)
2018-03-13 18:15:25