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愛川町中津・相模陸軍飛行場跡地散策(平成30年2月)

神奈川県愛甲郡愛川町中津地区に残る相模陸軍飛行場(中津飛行場)の跡地散策。 自ツイまとめ。
歴史 相模陸軍飛行場 熊谷陸軍飛行学校中津分教所 中津飛行場 愛川町
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
【陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)跡地散策】 平成30年2月某日。 神奈川県愛川町に残る陸軍飛行場ゆかりの地を散策してきました。 ここには「相模陸軍飛行場」「熊谷陸軍飛行学校中津分教所」とも呼称された飛行場があった。 そんな往時を偲びつつ、ちょっと散策してみました。 pic.twitter.com/VV7vy9qczA
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【陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)跡地散策】 海老名駅から愛川バスセンター行きのバスに乗って「中一丁目」バス停で下車。この辺りの工業地帯が当時は滑走路であったという。 (次のツイで当時の地図を参照) 相模陸軍飛行場を縦断していた「水道みち」 愛川町半原水源地から横須賀までの道。 pic.twitter.com/78I3kafBYg
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ツイートまとめ 半原水源地と海老名と・海軍横須賀水道(平成29年7月) 自ツイートまとめ。 ・半原水源地 ・横須賀水道みち ・上郷水道橋 ・海軍標石(海軍境界石) 1235 pv 3
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)跡地散策 例のごとくお馴染みの「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」から。 mapps.gsi.go.jp 1947年(昭和22年)4月13日・1948年1月12日に米軍が撮影した航空写真。 pic.twitter.com/dMLfAIwFOn
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)跡地散策 「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」 mapps.gsi.go.jp 1948年(昭和23年)1月に米軍が撮影した航空写真とグーグルマップでの対比など。 南西部に飛行場施設があり北東部は滑走地区。 今回は南西部の飛行場施設界隈を散策。 pic.twitter.com/k4VVZ0FTd7
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) もともとは少年飛行兵育成のための訓練所「熊谷陸軍飛行学校中津分教所」として昭和16年に完成。 舗装された滑走路はなく着陸地帯として離着降場を草を刈って造成された飛行場であった。練習機として「九五式中間練習機」(赤トンボ)が飛び交っていたという。
リンク Wikipedia 九五式一型練習機 九五式一型練習機(きゅうごしきいちがたれんしゅうき)は、大日本帝国陸軍の練習機。キ番号(試作名称)はキ9。略称・呼称は九五式中練など。連合軍のコードネームはSpriuce(スプルース)。開発は石川島飛行機(のちの立川飛行機)、製造は石川島(立川)と日本国際航空工業。赤とんぼと呼ばれる練習機の中でも代表的な機種である。1934年(昭和9年)4月、陸軍は石川島飛行機に対して..
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 昭和17~18年ごろから中津飛行場には戦闘機も配備され、昭和19年には飛行学校閉鎖。「四式戦疾風」の訓練基地となり、特別攻撃隊練成の地ともなり、当地からも特攻出撃が行われたという。
リンク Wikipedia 18 四式戦闘機 四式戦闘機(よんしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ84。愛称は疾風(はやて)。呼称・略称は四式戦、四戦、ハチヨン、大東亜決戦機、決戦機など。連合軍のコードネームはFrank(フランク)。開発・製造は中島飛行機。九七式戦闘機(キ27)、一式戦闘機「隼」(キ43)、二式戦闘機(二式単座戦闘機)「鍾馗」(キ44)と続いた、小..
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 戦後、飛行場跡地が開墾。 工業地帯の片隅にある「中津工業団地第2公園」内に「開墾記念碑」が残されている。昭和31年建立。 昭和15年2月突如陸軍省は飛行場設置のため買収…昭和20年終戦と同時に施設は解体…国内混乱のさなかの開墾… pic.twitter.com/Kr1l1NXbed
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「開墾記念碑」碑文

中津村は古くから専ら養蚕を営み此の耕地の大半は桑林帯であったが支那事変が拡大し昭和十五年二月突如陸軍省は飛行場設置の為、約三百町歩を買収した。
農民は青天の霹靂に茫然自失し職を失い、業を転ずるにいたるも国家の危急に際し犠牲を忍び涙を呑んで耕地を提供したのである。

昭和二十年八月終戦と同時に施設は解体せられ全用地の管理を中津村農業会に委託せられたが前年来未曾有の飢饉が連続し極度の食糧飢饉となり農民すら食を草根に求むる惨状を呈した。

農業会は国内混乱のさ中に在て上司の許可を待たず技術官を聘して測量を進め区画を整理し無耕地農民を優先とし労力を参酌し未復員者を考慮して配分し開墾せしめたのである。

農家は直ちに実施を挙って鍬を揮い田匙を踏み堅土を越し食を割いて種子とし乏しき肥料を施して作付けしたのであるが其悲想なる努力は筆舌に絶し辛くも若干の収穫を得て命の糧としたのである。

かくして此耕地は農民の手に復帰し本村の命脈とし幾多生存の危惧を脱し茲に十年の星霜を閲し今や整然たる区画と豊穣の作況を現実に展望往時を回想し専た感無量なり、よって概況を誌し後世人の記念とする。

昭和31年8月 中津村農業委員会 中津村農業協同組合

リンク Wikipedia 内陸工業団地 内陸工業団地は神奈川県厚木市および愛甲郡愛川町に所在する工業団地である。神奈川県厚木市上依知、愛甲郡愛川町中津の2行政区域にまたがり、東側が相模原市南区、北側を相模原市中央区に接し、西は中津川に臨み、南は国道129号が通じている。当地区は、もともと中津台地一面の桑畑を太平洋戦争中の1941年2月、旧日本軍の相模陸軍飛行場(中津飛行場)として開発、完成した土地であっ..

当地区は、もともと中津台地一面の桑畑を太平洋戦争中の1941年2月、旧日本軍の相模陸軍飛行場(中津飛行場)として開発、完成した土地であったが、戦後、開拓農地として分割され、土地改良事業が実施された後、開拓農地としての制限が解除され、1966年、工業団地造成の気運が高まったため、転換され、多くの企業が進出している。
(上記Wikipediaより)

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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 当時の「通信室」とされる建物が建築会社敷地内に残っている。 (大野建設株式会社サイト内の紹介ページ ohnokensetsu.com/iseki) 訪れた際は人の気配が無かった為、大野建設敷地外の駐車場側より撮影させていただきました。 見事に蔦が建物を覆ってますね。 pic.twitter.com/j6A0vb4z4r
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 「格納庫基礎」とされるコンクリ塊。 goo.gl/maps/xc4HP5CJh… 住宅地の中に忽然とコンクリの壁が残っている。 ワゴン車などと比べてみると、その異様な大きさがよくわかる。 pic.twitter.com/kWZwqEWqOH
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 「格納庫基礎」跡 隣は新築宅地造成中。 格納庫基礎のコンクリのまわりに新しい壁が造成されつつありますが、明白に保存体制に入っているのを感じることが出来ます。 pic.twitter.com/MNsz8WDZJj
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 排水路は当時から変わらぬ位置で今も飛行場の南端から中津川へと注ぐ排水路として活用されている。 goo.gl/maps/uVK5YFLpZ… pic.twitter.com/zBPjR6v1tp
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陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場) 旧相模陸軍飛行場「排水路橋」 陸軍飛行場時代から使われている配水橋。前ツイの排水路はこの場所で県道と立体交差して中津川へと流れていく。 pic.twitter.com/vJ20KD6AuF
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旧相模陸軍飛行場「排水路橋」 この排水路橋は、県道の道路面から橋の下部まで4.17mほどの高さがあります。橋の全長は15.75m。水路は中津川まで延び、厚さ35cmのコンクリート製で、水路内部幅は150cmです。 第二次世界大戦中の相模陸軍飛行場は、地表面を平らに削り、草を刈っただけで、… pic.twitter.com/Vm5zgi9Ytv
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舗装されていませんでした。雨天時のぬかるみを防ぐため、排水設備が必要でした。 この排水路は、現在でも中津地区の一部の雨水排水に使用されています。 平成28年9月 愛川町教育委員会
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旧相模陸軍飛行場(陸軍中津飛行場) 「排水路橋」 下から覗くと排水路は橋の部分だけは二股となり、そして橋が終わると合流してます。理由は不明ですが水量が増した際に水流を弱らせる感じでしょうか?(根拠ない素人予想ですが・・・) pic.twitter.com/qKyCilJ63w
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旧相模陸軍飛行場(陸軍中津飛行場) 「排水路橋」 排水路と排水路橋を上から覗いてみました。 ちょうど分岐するあたり。 pic.twitter.com/wDvhtwqota
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旧相模陸軍飛行場(陸軍中津飛行場) 正門通用門柱とされる遺物。「桜台ちびっこ広場」のあるあたり。 場所→goo.gl/maps/eEdQdNZn1… 住宅の庭先に一柱。 このあたりに基地航空隊の正門があったという。 面白いことに電話ボックスと門柱で対の位置関係。 4枚目の写真から奥に航空隊が展開されていた。 pic.twitter.com/PGssRwPwnK
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旧相模陸軍飛行場(陸軍中津飛行場) 「正門門柱」 前ツイの正門通用門柱が残っている場所から400mほど西に行ったところに正門門柱が移築されている。 場所→goo.gl/maps/VdRMKfhSK… pic.twitter.com/YdXgaH8KEP
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