斉藤和義「ずっとウソだった」から表現について考える
アジカンのゴッチのツイートも見た。アーティストでなくても、一般の人だって何らかの会話を人と交わす上で「表現」は避けて通れない。彼には彼の、清志郎さんには清志郎さんの、私には私の「表現」がある。
2011-04-08 05:41:56ネット上での表現の仕方と日常の口調が違っても、それはその人の選択だから好きにすればいいと思う。ただ、自分はなるべく扇動的な表現は使いたくない。笑える話ならともかく、真剣に議論したいときなら尚更。
2011-04-08 05:43:39あんまり表現に気を遣ってると、肝心の議論がどっかいっちゃうこともあるから、それはもちろん良し悪しなんだけど。瞬発力で進める議論もあるから。
2011-04-08 05:46:02今回みたいに「いま、被災地に救いの手がほしい」「いま、原発を冷やさないと」みたいな場合、自分が出来ることはない、とすでに諦めた。でもその分、いま感じてる諸々のことを忘れずに、この国の行く末にきっちり意見を言っていこうと思う。
2011-04-08 05:51:13せっちゃんの「ずっとウソだった」がウケたのは、「せっちゃんだなあ~♪」って感じがすごくするから。単にアジってるだけで「せっちゃんぽくない、ダサイ」と感じたら、反原発ソングだったとしてもこんなに広がらなかったはず。
2011-04-08 05:54:55ファンクラブの会報やインタビュー記事等、いろんな媒体があって、しかも最近ではTwitterなんぞもあり。アーティストがどんな表現をするか?の選択肢はとても増えた。うまく使いこなせない人は炎上しちゃったりも。
2011-04-08 05:57:46今回のせっちゃんがウマかったのは、Twitterやコメントじゃなくて、自分の歌のパロディとして自分で演奏してYoutubeに上げたこと。アーティストなんだから歌で表現する。これが王道。
2011-04-08 05:59:51癒しの歌なんかじゃなくて、モロな歌詞で歌う。これを表に出すことが怖くないはずないと思う。メジャーなレコード会社と大手事務所に所属してる子持ち男性が。
2011-04-08 06:01:17何も怖くない人がああいうことをやっても、こっちには何も響かない。一瞬でも躊躇しつつ、それでもやる、と決めてやったに違いない。そこがせっちゃんの素敵なところだ。
2011-04-08 06:04:24何かきちんとした意見をいうとき、私はいつも不安になる。「う、こんなこと言ってヘンな反論来ないかな?」って。そこで引っ込めるときもあれば、それでも言うときもあり。その繰り返しで、ちょっとずつ自分の表現が出来てきた気がする。
2011-04-08 06:06:30まあ、そんなに大したことツイートしてないことが大半だけどw でも言うべきときには、きちんと、怖がらずに、自分らしい方法で意見を言っていきたい。
2011-04-08 06:09:12多様性って、どこかのだれかが作ってくれるお花畑かなと甘えてた時期もあるけど。自分の言葉で、自分のよって立つ場所を世界のどこかにつくることが、多様性には一番大切なんだと、最近ようやく気づいた。
2011-04-08 06:11:01そういう意味では、いろんな人と意見を交わす場において、人はだれもが「表現者」なんだなあ。どんな口調や態度で話したりツイートするか、選ぶのは自分次第。
2011-04-08 06:18:27震災以降、考えなくちゃいけないこともたくさんあるけど。とにかく自分に出来ること、取り組めること、語りやすい方法にこだわってやっていこう。その中からきっと、見えてくるものもあるはず。
2011-04-08 06:22:07