10周年のSPコンテンツ!
40
数学史研究者 @redqueenbee1
ドイツがポーランドに侵攻した1939年9月1日。 情報通の在欧日本人は、いかに判断を誤り、或いは的中させただろうか。 一か月前から当日までの各人の動向を記してみよう
数学史研究者 @redqueenbee1
1939 年8 月1 日,在独の陸軍士官学校独語教官高嶋泰二の日記 「朝日新聞の守山特派員とイタリア料理店の「タベルネ」で夕食を共にしながら,今後の歐州状勢を話し合った(中略)今後も戰爭の危險を囘避しながらナチス・ドイツが強大になってゆく事は間違いないというのが守山特派員の意見であった」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月8 日,同盟通信ベルリン支局長江尻進は「ポーランドでの戦闘は時間の問題と判断したので,引き継ぎの一段落した八月八日戦場の下検分という意味で直ぐに東プロイセンからポーランドの視察旅行に出かけた(中略)ワルシャワでは霞クラブ(外務省記者クラブ)で旧知の二特派員にあうと,
数学史研究者 @redqueenbee1
至ってのんびりしている.河野特派員はユダヤ系のポーランド人の家庭に住んで,その家のあるじから毎日ポーランド語とドイツ語のレッスンを受けている.森特派員と三人でワルシャワ南方のビラノフの森の中の名物レストランで昼食をとりながらヨーロッパ情勢を語りあう」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月中旬頃,毎日新聞東欧移動特派員の前芝確三はロンドン支局員工藤信一良とバーで飲んでいた際,「そこへ,どうもドイツが近くポーランド攻撃を始めそうだという情報がはいってきたんだね.工藤君も「早く行った方がよさそうだぜ」という,東欧移動特派員という社命を受けてきているのに,
数学史研究者 @redqueenbee1
パリやロンドンの街をうろついて酒ばかり飲んでいてはあいすまん,というわけで,さっそく,その翌日の飛行機でベルリンへ行き,そこで緊迫した情勢を確認した上でワルシャワへ飛び込んだんです.当時ワルシャワには朝日と同盟の特派員はいたが,毎日の特派員は布施さんがさきに帰ってしまって,
数学史研究者 @redqueenbee1
もういなかった」 8 月11 日,同盟通信ベルリン支局長江尻進はプレスラウに帰着. 「ドイツ側の新聞を手にすると,ポーランド国境地帯のドイツ少数民族が,ポーランド官憲の虐待を請けている,というセンセーショナルな記事が連日トップを飾っている.国境警備の警察隊の小ぜりあいも報ぜられ,
数学史研究者 @redqueenbee1
武力衝突に発展するのは時間の問題,といった殺気立った空気が,紙面にあふれている.一体どう考えたらよいのだろうか,判断に迷った」,「しかし,ドイツの国境に入ると汽車の通る沿線では,軍服と同じ服装に身を固めた労働奉仕団(アルバイト・デーンスト)が,コンクリートで,
数学史研究者 @redqueenbee1
戦車防塞や小ブンカーなどの防衛線を大々的に築いている.これ見よがしに,公然とやっているようにも受けとれる.たしかにドイツでは,至るところで戦争を予感させる空気である」
数学史研究者 @redqueenbee1
8月13日夜,アバス通信社東京特派員のRobert Guillainが東京支局に戻り,ヴケリッチがアバス本社に打電した電報を閲読すると,“独ソ不可侵条約締結交渉が行われている”という電文を見,ヴケリッチの自宅に向かった. 「ヴケリッチの家に着くとすぐニュースがゾルゲの情報によるものであるのがわかった
数学史研究者 @redqueenbee1
もちろんわかっていたことではあったが,そのことがはっきりして情報の価値は一層確実で重大になった.「だがね……,何でわたしが茅ヶ崎から帰って来るまで待てなかったのかね……」と,わたしはヴケリッチにいった.と,彼はこれほど大きいニュースは放って置けないといい返してきた」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月17 日,ソ連大使館の外交官補曽野明は「独ソ間の貿易がじりじりと増大してきたのに気づいていた.また,モスクワの街角で見られる自動車は当時まだわずかであったが,それでもドイツ車ベンツが急に目につくようになっていた.八月中旬のある日,私は当時の駐ソ大使東郷茂徳閣下に,
数学史研究者 @redqueenbee1
独ソ間に接近の動きがあるのではないか,と申し上げた.駆け出しの外交官補が“親任官”の大使(当時,大使は十名ほどしかいなかった)に直接そのような意見を申し出るのは,かなり勇気を要することであった.それに対して東郷閣下は,「大島(注-駐独大使)がそんなことは絶対にないと言うからなァ」
数学史研究者 @redqueenbee1
とおっしゃった」 8 月17 日,在独の陸軍士官学校独語教官高嶋泰二の日記 「夕方ダンチッヒに戻った私はドイツ學生と別れて,案内所で紹介されたカスブ廣場二十三番地のツムーダ家を訪ねた.女主人は中年のドイツ人で一晩の宿賃三グルデン五十を支拂ったら財布は殆ど空になった.
数学史研究者 @redqueenbee1
三,四人の宿泊者がいる氣配だが靜かなロビーで,このドイツ婦人から驚くべき情報を聞き出すことが出來た.當地のドイツ系住民の大部分はダンチッヒ自由市が一日も早く本國に復歸することを念願していて,各家庭にはハーケン・クロイツ旗が密かに配られているという.
数学史研究者 @redqueenbee1
六週間前にはハイム・ヴェーヤ(鄕土防衞隊)が結成されており,三週間前にはナチス親衞隊も濳入しているという話を漏らしてくれた.私が日本人だから氣を許したのかも知れない」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月19 日,独ソ通商協定がベルリンで締結された 同盟通信社ベルリン支局長江尻進に,エストニアの新聞記者カウパス博士から「差し当たり独ソ間に,通商協定が締結されたが,これに続いて間もなく,政治的協定が締結される見込み」と情報が提供された. ソ連大使館で曽野明は東郷大使の謝罪を受けた
数学史研究者 @redqueenbee1
「そのとき東郷大使は私に,「君が言ったときに本省へ電報しておけばよかった」と漏らされた.これらの東郷大使のお言葉は,四十五年後の今日でもまだ私の耳朶に残っている」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月20 日頃,ドイツ在勤大使館付陸軍武官の河邊虎四郎は大島浩駐独大使官邸に呼ばれた. 「リッベントロップが,ベルリンの日本大使官邸に電話して,大使との会見を申し込み,テンペルホーフ飛行場において,大島大使に,リ氏モスクワ行きの事情を打ちあけた.数十分間,
数学史研究者 @redqueenbee1
リッベントロップとの会談を終えた大使は,官邸に帰って私を呼ばれたが,私はちょうど,ドイツ空軍大学校校長を招いて食事をしていたので,その会食後大使官邸に走り,大使の話を聞いた.ドイツ側の決心も処置も,わが方に対する違約だなどと,われわれがなじったり,つめよったりし得る何物もない.
数学史研究者 @redqueenbee1
しかしながら,過去数年来の経緯,なかんずく,最近約一年間の日独関係からいって,この時にはじめて,全く他人事のように大島大使に話したそのリッベントロップの態度について,私はその刹那実に腹ただしさを禁じ得なくて,大使を前にして何かと暴言を連発した」
数学史研究者 @redqueenbee1
駐独大使館員の法眼晋作 「大使は帰館とともに館員全部と陸海武官を集め,右会談の一部始終を説明した.説明のあと河辺陸軍武官が,事ここに至ったのは大使の責任である,大使は即刻辞職せよ,と発言したのが印象的だったが,同武官のこの発言は至極もっともであったと思う」
数学史研究者 @redqueenbee1
8 月21 日早朝,フランス大使館外交官補の光藤俊雄がミラノからの夜行列車でパリに到着した. 「車中で買った朝刊にはリッペントロップ独外相がモスクワで独ソ協定を締結したことが大々的に報道されており車中の乗客も急にざわめきたち,これは戦争勃発必至ということでパリの街の雰囲気も
数学史研究者 @redqueenbee1
ただならぬものが感じられました.大使館に帰り着くと斉藤(輝宇良)一等書記官から「戦争がはじまるといつフランス政府が移転する事態が発生するかも知れずその際,当大使館として一番困ることは国際連盟発足当時以来の機密文書が三部屋に一杯つまっているので
数学史研究者 @redqueenbee1
(一)本省に送り返した方がよいと思われるものの発送 (二)大使が移動されるときに持参すべき書類をトランク二個以内にまとめること (三)右以外の書類を全部焼却乃至破棄すること の三つの措置を大至急とって貰いたい」と命ぜられました」
残りを読む(190)

コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2018年3月26日
司馬遼太郎のいう「ビルの屋上から、人の動きを見るように歴史を見る」という効用だね。「あっ、それじゃ曲がり角で車にぶつかるよ!」と
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2018年3月26日
『…たとえば織田信長を書く場合、どのような粗雑な態度の筆者でも、信長自身が知らなかったたった一つのことだけは知っている。それは本能寺でかれが自分の部将に殺される、という運命である』…我々も、ナチスドイツとその同盟国が、敗北し滅亡することは知っている。知っているからこそ、彼らの言動が興味深い。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする