1988年4月4日(月)の旅日記

観覧車から広州に別れを告げ、硬座の座席下に潜り込む。
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桃岩荘人 @namihei1224

4/4 0800起床。いよいよ旅なれた華南を立つ日。パンと梨で朝食。くもり。ジーパンとトレーナーは泥だらけ、よってポロシャツと短パン。寒いよ🐧 レインコート持ってくるべきだった~ #広州

2018-04-04 22:45:59
桃岩荘人 @namihei1224

0900過ぎ、ドミで記念撮影し、広州ユースをチェックアウト。#広州 pic.twitter.com/rxpTTo8RGr

2018-04-04 22:47:29
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桃岩荘人 @namihei1224

写真は2年前。中鍋を奥の竹の棒にひっかけてる。 pic.twitter.com/euIpqJZwMx

2018-04-04 22:52:55
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桃岩荘人 @namihei1224

次に旅荷を解くのは、列車で一泊して、貴陽手前、湖南省新晃侗族自治県での下車をめざす。新晃は1987年11月に外国人に開放されているはず。 pic.twitter.com/6rM9AXupwQ

2018-04-04 22:54:57
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桃岩荘人 @namihei1224

ユースを後に、広州文化公園へ。今までで一番天気がいい。一瞬は晴れ間も。月曜日なのに家族連れ多し。入場料8角。観覧車と空中列車に乗る。各0.5元。広州の街並み。そびえたつホワイトスワン。写真は2年前、ホワイトスワンホテルのラウンジ。 pic.twitter.com/EgLfD1pz1d

2018-04-04 22:58:51
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桃岩荘人 @namihei1224

前の箱ではアベックが抱き合ってる。ジェットコースターで遊ぶ子ども。子どもはどこもおんなじだ。#広州文化公園 pic.twitter.com/I5pxo1Iqb7

2018-04-04 23:00:39
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桃岩荘人 @namihei1224

公園に行く前に、最後の利群飯店の粥で朝食した。沙面は本当に居心地良く。懐かしい。3度目だからな。筆談で飯屋をほめ、住所交換する。勝利飯店でちまきも食べて遊園地へ行ったのだ。#広州 pic.twitter.com/PtCrYJbZvM

2018-04-04 23:01:25
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桃岩荘人 @namihei1224

遊園地から郵電へ。局留が届いてないか。広州で受け取る最後のチャンス。な、なんとあった。はじめて受け取る日本からの手紙。ちょーうれしい。川べりで読む。市場に行く予定をやめ、ユースに戻って3通手紙を書く。1530駅へ。 pic.twitter.com/gjuZWUE6F0

2018-04-04 23:01:58
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桃岩荘人 @namihei1224

252次の客はすでに候車室を出て、長蛇の列。並ぶが無意味。「開」となった途端、列くずれ、どっと走る。俺も押し合い。あちこちで悲鳴。ホームへの小さな入口を通過するときは腹がちぎれそう。#広州火車站 pic.twitter.com/FP3dzOCao2

2018-04-04 23:04:04
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桃岩荘人 @namihei1224

とにかく身勝手なやつばかり。列を横切って、通る人の道をふさぐ。ぐちゃぐちゃ混んでるのに、平気で大きな荷物をもって割り込む。負けてられない。ホームを走る走る。比較的荷の軽い俺は速い。前後にザックとリュックしょって。席は12号車93、二人掛け。 pic.twitter.com/irE3G1aqXF

2018-04-04 23:05:54
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桃岩荘人 @namihei1224

あちゃー、座席の下はせまくて、横になれない。3人掛けの下でないと無理だ。乗車さわぎが一段落ついて、隣の女の子が3人掛けの男と代わってくれという。日本人ということで楽な方にしてくれたのか?

2018-04-04 23:06:27
桃岩荘人 @namihei1224

2年ぶりの硬座。わけわからんまま、時刻表より1時間早く発車。切符にあった開の時刻とは、発車のことだったのね。 pic.twitter.com/mb34RhYpJ5

2018-04-04 23:06:44
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桃岩荘人 @namihei1224

家族連れ、父母+男子と俺で4人で3人掛けに。前はじいさんばあさんと、男性。席を替わったのはアベックだった。2人掛けで肩寄せあってる。

2018-04-04 23:08:00
桃岩荘人 @namihei1224

車窓から見える中国の農村風景。あ、ここは2年前に写真を撮ったところだ。変わらない。家は煉瓦や石造り、人民服と、都市とは全然違う。土が赤い。広東の特徴か。党のスローガンなどなく、ただ何十年、何百年と変わらない景色なのだろう。#華南を行く

2018-04-04 23:08:39
桃岩荘人 @namihei1224

さて、椅子の下で寝れるか。女性車掌が通ったので「臥」を頼むが没有。ねることで頭がいっぱい。早く飯時終わらんか。ヒマワリ食べるなよ~こういう時、窓際はソンだな。食べかす、ゴミを窓からどんどん捨てる。1900頃、英徳駅着。周囲に唾を吐かないでと言って、筆談でも見せて、下にもぐる。 pic.twitter.com/r3oXNxwUdM

2018-04-04 23:10:28
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桃岩荘人 @namihei1224

やはり広い。しかしいかに我短足なれど、足が出る。駅で買った新聞紙を敷き、頭を窓側に。脇に後ろの席の人のでっかい麻袋。足が曲がると寝にくい。寝返り打つが、つらい。暗い。しばし向こうの席のひょうきんじいさんの漫談聞こえる。まあうなぎの寝床よりましか。テントに7、8人寝るよりいいか。 pic.twitter.com/SBaM2K8AkP

2018-04-04 23:11:20
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桃岩荘人 @namihei1224

戦争の時代、我らが犯した罪を思う。とんでもねえな。2300ころより朝0600くらいまでうつらうつら。小1時間寝ては起きての繰り返し。ますます混んできたようだ。弁当売りも入り込んでこなくなった。

2018-04-04 23:12:01