京阪電鉄石山坂本線の三線軌条に関する考察

京阪電鉄石山坂本線にあった三線軌条の線路配置が複線中心側の偏位した理由を推察する
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偏屈 @boyacave

鉄道むしかえしばなし373 京阪石山坂本線 300型急行(昭和50年頃)/高校時代は漕艇部で丹波橋から瓦ケ浜の艇庫まで毎日放課後通い練。学割不可なので運賃安の京阪往復がデフォ。急ぐ時のみ国鉄石山駅を利用した。東レの看板なんで石山付近かな?京阪300型(2代)三条〜石山寺直通急行。先頭は302か。 pic.twitter.com/9xj3zOLJKs

2018-04-04 23:09:12
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赤海鼠磯吉 @tatsuromania

@boyacave 京阪石山から粟津に向けて日本国有鉄道を乗り越える陸橋への勾配です。wikiでは戦中から敗戦直後まで京都市内から粟津まで糞尿運搬列車が京津線を走ったとか。大阪市内でも牛車で汲み取りしていた時代ですから。

2018-04-04 23:24:31
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

@tatsuromania @boyacave 京津線の荷電に肥桶積んで東山と逢坂山を越えるのは別に何て事もないですが、京都市電の荷電の場合は性能の限界を越えていたんじゃないでしょうかねえ、よく無事に運行できたものです。戦時中のトラック輸送も出来ない時期だからこその無茶苦茶なんでしょうけど。画像は1946年米軍撮影の空中写真。 pic.twitter.com/RsnTTXZfxS

2018-04-05 00:50:12
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三線軌条の編位に関して

金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

三線軌条は狭軌車輌が偏位する為ホームの設置が難しく京急六浦駅の品川方面行きホームが長い間電車との間が大きく開いていたのは有名な話。京阪石坂線の場合偏位を複線中心側に寄せて3線軌条区間のホームが線路から大きく離れないようにしていたが反対線路車輌との間隔が少なくなるので離合できない。 pic.twitter.com/VWrZYjRXe2

2018-04-05 16:28:30
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山のツイッター @yokoooji6291

今でも膳所構内の連絡線のスロープは残ってるけど、当時はこんなんだったんだな。 そして、この時の名残と思われる構内入換用の引き込み線跡が一部起点方(東京方)に残ってます。

2018-04-08 10:34:45
樽モト @kumoha12

京阪側の信号設備どうなっていたがすごく気になる

2018-04-07 10:52:53
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

数字を比較してないが接触はしないが、安全な間隔は確保できないくらいなんだろう。あと信号機の取扱も厄介になるので狭軌車輌運行中は坂本方面行き線路も同時封鎖され浜大津⇔石山寺の電車は運転しなかった。浜大津⇔坂本は351~355単行が運転されていた。blog-imgs-37.fc2.com/c/o/n/contrapu…

2018-04-05 16:43:07
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

国鉄東海道本線の大津支線は京阪石坂線の石山寺方面行き線を複線中心側に寄せる形の第三軌条方式で包含している、先のTweetもそういう画像や配線図だけど、そうじゃなかった少なくとも大昔はという証拠写真があるという。石場駅で撮影されたと云う此の画像だ。 pic.twitter.com/EYzMoeVgL9

2018-04-06 00:16:40
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金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

電車が石山行きなので1917年以降の撮影なのは確かだ。京阪公式サイトには1920年頃撮影とある、此の区間の複線化は1926・7年頃なので単線時代の撮影なのではないかと思われる。だとすると石場駅に交換施設があった可能性は高い。単線時は狭軌車輌を山側に寄せていたとすると交換施設は湖側設置が自然。

2018-04-06 00:39:32
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

国鉄の大型狭軌車と接触しないホームったって路面電車に準じた小型車だから単線時代の狭軌車の偏奇が交換施設の複線区間の外側だったとしても、ホームが近いも遠いもなかっただろう。

2018-04-06 00:43:41
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

撮影からまっじきっと複線化された。用地に余裕がない山側でなくて湖側を埋め立てて複線化したのは想像に難くないが、それなら何故にわざわざ国鉄線を湖側に移設しさらに狭軌線の偏位を複線中心側に移動したのか?

2018-04-06 00:48:59
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

単線時代は元々の国鉄線の外側に標準軌レールを1本敷設しただけだから交換駅以外考えなかった偏位を複線化では全区間でなんとかしなきゃならない、複線間隔を確保する意味では石場駅の交換施設同様に国鉄線を坂本方面行きの山側に偏位させておいたほうが有利なはずである。

2018-04-06 00:53:09
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

しかし、そうはならない事情ができた。複線化と同時期に路面電車規格じゃない高床の郊外電車規格の琵琶湖鉄道汽船100形電車が坂本方面への延長に合わせて入線し石坂線の駅はかつての広電宮島線みたいな2段ホームになって高いホーム側は車輌との隙間が重要になったのだ。

2018-04-06 01:02:47
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

となると偏位は当時全駅相対ホームの同線で複線中心側にせざるを得なくなる。そうしないと全ての駅の高床ホームが京急六浦駅の品川方面行きホームみたくなってしまう。でも坂本方面行き(山側)線で偏位を変えるとなると必然的に特注の高価なセパレーターをまた買わなきゃならなくなる訳でカネがかかる。

2018-04-06 01:13:50
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

1日何本も無い大型狭軌車輌の為に複線間隔を広げるのもやだし、高床ホームが遠くなるのもやだし。買って30年も経ってないセパレーターをまた買うのは論外・・・で落とし所はセパレーターを流用し複線中心側偏位で石山寺方面行き(湖側)線に国鉄線を移動した皆知る最終形態に落ち着いたのだろうと推理。

2018-04-06 01:19:55
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

1日何本も無い大型狭軌車輌だから運行時は同区間の電車は全休でも大した問題じゃない。

2018-04-06 01:22:31
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

リンク先画像は国鉄東海道線浜大津支線(京阪石坂線島ノ関付近)を行く68669 blogs.c.yimg.jp/res/blog-22-8a… 貨車が少なくて残念、饗庭野演習場へ出入りするチャーフィー積んだチキの編成や青大将からの3両抜粋皇太子殿下御乗用特別列車の送り込みやらを牽いて石坂線を爆走するところをみてみたいものだ。 pic.twitter.com/4wXZSwmJ6M

2018-04-06 01:51:14
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金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

石坂線を走った車輌たち(8620は他の電車と縮尺が合ってないかも知れない。)青大将だって入線したんだから大抵の車輌は入線できたと思う。 pic.twitter.com/L5AJjz2a59

2018-04-08 19:49:04
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金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

60余年前の地下鉄相互乗り入れの研究論文に3線軌条の具体的な図解と数字が載っていた。(執筆者:江里口正夫氏(運輸省民鉄部土木課長)交通技術1956年9月号から) pic.twitter.com/BGt0424Lay

2018-04-09 18:19:42
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金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

左の表のbがマイナスって事はレールが重なっちゃうってことだろうから敷設できないよね。1372mmと1435mmの鉄道はどっちが改軌しなきゃ絶対ダメなわけだ。

2018-04-09 18:22:35