東浩紀さんによる科学論文がなぜコンスタティブに見えるのかの説明(kawangoさんに寄せる哲学基礎)
@hazuma こういうのがぼくが「文系的」だと思う人たちと相容れない部分ですね。人間の理屈にはかならず目的がある。裏があると考える。ぼくは面白いブログを書こうとしか考えていない。ネットでの影響力拡大ゲームには参加してないというのはそのブログにも書いたとおりです。
2018-04-09 08:38:31ごくごく一般論として、面白いブログを書くことしか考えていないと宣言する人と、真剣に会話したいと思う人はいないのではないかと思いますが、まあそれも文系的思考ということかもしれません。理系は楽しそうですな。
2018-04-09 09:09:17まだ話続いているようだけど、文系理系というのは出身学部や知識の話でしかないのであり性格や能力をそれで区別するのは血液型性格診断と同じくらいバカげているということは、大前提として押さえてほしい。ところでぼくは学部の出身は科学史科学哲学で、そっちの授業はむしろ理系に近かったのでした。
2018-04-10 10:38:30というか、いずれにせよ問題はそこにはなくて、重要なのは、サイトブロッキング推進の方法が正しいか、また同時に情報公開制度を否定すべくだったか、まだそれを匿名を装っていうのは妥当なのかでしょう。ぼくが文系で頭が悪いかどうかなんて、どうでもいいんだよ。どうしてそうなっちゃたんだか。
2018-04-10 10:40:18川上さんのことはぼくにはわかりません。 twitter.com/7ZJSXBT0/statu…
2018-04-10 11:52:02@hazuma まともかどうかは関係なくカワンゴは理系出身で大企業の経営者をやって仕事で関わる人達が文系出身が多いから気にする機会が多いんじゃないですか?
2018-04-10 11:14:01自然言語のコミュニケーションではだれもパフォーマティブ(行為遂行)の次元から逃れることができない。いわゆる科学論文がコンスタティブ(事実確認)の次元しかないように見えるのは、論文空間全体が巨大な人工的な構築物であり、行為遂行次元の解釈を止めるという同意が作られているからである。
2018-04-10 11:59:04したがって、いわゆる科学論文に事実確認の次元しかないことをもって、そのほうが自然言語よりも正確であり行為遂行的解釈はノイズだとするのは端的に誤りである。科学論文は、行為遂行的次元を抑圧する制度(権力)がなくしては成立せず。そして権力こそもっとも行為遂行的なものだからである。
2018-04-10 12:02:46「文系」的忖度が世界を悪くしている、「理系」の言語で話を進めればものごとクリアになるなんて話は、20世紀初期のウィーン学派〜前期ウィトゲンシュタインあたりでがりがりやられていて、それが破綻したあとに後期ウィトゲンシュタインとか分析哲学とかポストモダニズムとかがある。これも基礎。
2018-04-10 12:05:32ま、ともかく、ぼくの立場(といってもこれまた文系的と分類されるのであればもうどうしようもないわけだけど)からすれば、その手の話は哲学史で延々と議論されてきて、僕個人いろいろ本も読んで考えてきたので、少しはその知識と文脈も尊重してほしいものだとしか答えようがないですね。
2018-04-10 12:09:25科学的言語は自然言語の解釈を限定することでしか成立しません(きわめて素朴にたとえば「力」をどう使うかという話)。その限定をするのは自然言語です。 twitter.com/georgebest1969…
2018-04-10 12:12:33自然言語が科学的言語より上位にある。だからときに科学的言語を自然言語として解釈するということが起きる。そこで生まれるのが疑似科学。裏返せば、疑似科学がつねに生まれ続けるということは、科学的言語を科学的言語として成立させているのが自然言語内の約束でしかないことを意味している。
2018-04-10 12:14:39