人類学・社会学・全体社会?

http://togetter.com/li/120354 の続き。 @lematin さんと @ponQ さんのやり取りへのコメント。 続きはこちら:http://togetter.com/li/122732
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縮限 @contractio

以下、@lematin さんと @ponQ さんとのやり取り(http://togetter.com/li/120354)について、少しくコメントをば。

2011-04-10 01:03:30
縮限 @contractio

少しだけ長くなりますが、あとでブログかトゲったのほうにまとめますので、そちらのほうを見ていただくほうがよいかもしれません。

2011-04-10 01:03:42
縮限 @contractio

このやり取りは、大ざっぱには、二学科の次のような比較がなされているように見えます: 「C1: 社会学は「全体社会」を対象とすることを放棄した(or 手が回らない)が、人類学では「全体的社会的事実」という観念はまだ生きている」

2011-04-10 01:26:15
縮限 @contractio

とすると、ここでの比較のポイントは「全体的」という言葉にありましょう。 ──とまとめた上で。以下お二人それぞれにコメント・リクエスト・質問などを投げてみます

2011-04-10 01:04:15
縮限 @contractio

ここでは「全体的社会的事実」の含意が、「M:経済や政治や宗教といった個別の領域が相互に浸透しあっている」ということだと述べられています。ところが、【M】は──論理的かつ常識的に考えて──それ単独では「全体的」という形容を必要としていないでしょう。

2011-04-10 01:04:38
縮限 @contractio

とすると、「全体」という言葉こそ重なっているけれども、当の──@ponQ さんが持ち出したほうの──「全体的」という形容が実質的には何を指しているのかがはっきりしないせいで、ここでは実際のところ、人類学と社会学が「どんな点について」比較されているのかは曖昧になってしまっています。

2011-04-10 01:05:15
縮限 @contractio

なので、もしも「人類学と社会学の比較」を この点に関して進めようとするのであれば、「Qp:【M】は なぜ・どういう意味で「全体的」だと言えるのか」ということについて、追加の議論が必要なのではないかと思います(←これがリクエスト)。

2011-04-10 01:05:25
縮限 @contractio

※通りすがりの一言。「全体的社会的事実」という言葉が、デュルケームとモースの共同作業の中で登場したものなのであってみれば、この言葉でもって「社会学と人類学の《違い》」を云々しようとするのは、ちょっとヘンなことであるように私には思われました。

2011-04-10 01:06:01
縮限 @contractio

まず、lematin さんは、「「専門は社会そのもの」という人はない」と述べていますが、しかし そうした仕事に従事している人は実際にはいますよね。

2011-04-10 01:08:15
縮限 @contractio

それは伝統的には「社会理論」というタイトルで呼ばれていでしょう。(なので、このまとめは出発点がヘンであるように見えます。この点についてはあとで立ち返りましょう。)

2011-04-10 01:08:18
縮限 @contractio

二点目。 lematin さんの社会学に関する議論は──私の言葉で ひらたく言うと──、「L:「社会全体」という大きいものを扱うには、小さいものに関する知見を足しあわせることが必要であるが、ふつうの研究者は小さいことの研究だけで手一杯だ」と言っているように聞こえました。

2011-04-10 01:08:54
縮限 @contractio

仮に、私の一点目の指摘を踏まえた上で考えるのであれば、ここで立てるべき・ありうる問いの一つは、「Ql1:社会理論は──もしそれが衰退したのだとすれば──なぜ衰退したか。」といったものでありうるでしょうが、

2011-04-10 01:09:16
縮限 @contractio

しかし、lematin さんの議論が「社会理論」という「専門領域」の存在を無視して為されていることに付き合うならば、問われているのはこうしたことではありえないでありましょう。

2011-04-10 01:09:19
縮限 @contractio

(また、【L】自体は、──こうした論点を、社会学が どのようなトピックのもとで・どのように扱うか、という点をさておけば──少なからぬ社会学者にとって賛成されるものであるかもしれません。それはさておき。)

2011-04-10 01:09:27
縮限 @contractio

なので、最初に立ち返ってみると。

2011-04-10 01:09:35
縮限 @contractio

議論の一応の出発点はここ↓であり、【L】はこれに対する答えだったのでした: 「Qs:社会学は全体としての社会を対象とする学問ではないのではないか」 http://togetter.com/li/120354#tweet_id_4987611_53121604951080960

2011-04-10 01:09:46
縮限 @contractio

他方、この【Qs】のほうは、ponQ さんの発言「P: 社会が崩壊に瀕する過程を分析することでその成立条件を探るという視点はありえませんか?」の応答として立てられた問いであるように──この「まとめ」からは──見えます。

2011-04-10 01:10:16
縮限 @contractio

もしも私の この把握が正しいとすると。

2011-04-10 01:10:29
縮限 @contractio

ここに取り上げたやり取りを全体としてみると、 1)lematin さんは、ponQ さんの【P】における「社会」という言葉を、「全体社会」のことだと理解して応答したのだが、

2011-04-10 01:11:00
縮限 @contractio

2)その回答を見た ponQ さんのほうは、「個別の社会を一つの全体としてみる」というのではない「全体性」について云々している http://togetter.com/li/120354#tweet_id_19107458_53228030084120577

2011-04-10 01:11:24
縮限 @contractio

という風に見えないでしょうか。

2011-04-10 01:11:28
縮限 @contractio

ここで考えられるもっともトリヴィアルな可能性は、「ponQ さんは「社会」という語を「全体社会」という意味では使っておらず、したがって【Qs】は【P】への回答として相応しいものではなかった」というものでしょう。そうなのかどうなのか、私にはわかりません。

2011-04-10 01:12:16
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