- contractio
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→まず、「自分の発言は、主に社会学の専門家でない人に向けていた」ということに、今回はしておきたいと思います(社会理論と全体社会の話は、僕にとっても大変面白いのですが、後にします)。→
2011-04-11 01:27:56→念頭においていたのは、自然科学や工学との対比でした。つまり、対象について変数とその関係を余すところなく把握でき、新たな入力を与えた場合も、かなり高い精度でその結果を予測できるような系、ということです→
2011-04-11 01:32:37→「このような急場において、社会をどのように制御・設計すべきか」という(僕が想定していた)一般からの問いに答えるためには、「対象の予測・制御」に使えるツールを社会学が備えていることが必要になります。しかし、実際にはそれはない。しかしそれは不備ではない、というのが趣旨です。→
2011-04-11 01:38:28→本来は、「社会理論というものがあるが、あれは社会の動向を予測するための法則を次々に産出するようになっていない」と書いておくべきだったのですが、それは怠りました→
2011-04-11 01:50:47→「全体社会」「工学」という話が出てくるのは、どうも「政策提言」というような言葉が見え隠れしているように思えたからです(過敏だったかもしれませんが)。知見によって示唆を与えるのにまで反対する理由はありませんが、政策立案となると話は違います。→
2011-04-11 01:54:47→社会を予測して制御することなど、おそらくどの分野にもできないのですが、社会学者はそれを「できるふりをする」というのは、他の場合よりも嘘の度合いが大きいと僕は思います。現在の状態を正確に記述できているかも怪しいのに、そこに新しい変数を投入した結果を見通せるというのですから…。→
2011-04-11 01:57:58→ただ、言うまでもなく、「今まではこういうことがありました」という事例を見せるというのは、悪いことではないと思います。なので、示唆というようなことには反対ではありません。とりあえず、一つ目は以上です。
2011-04-11 02:00:32@ponQ @contractio 全体社会については、ぐるっとまわった唯名論というか、「個々のシステムの外部としてだけ存在するもの」という感覚を、僕は持っているのですが(その意味で、「全体社会は部分の統合ではない」「全体社会を研究する特殊分野がありえる」には賛成です)。
2011-04-11 02:07:15@ponQ @contractio あと、少し興味深く思ったのは、社会学では(たとえば)ある事象にかかわって、「経済」「政治」「文化」「家族」というようなシステムの存在を仮定する場合でも、それぞれのシステム毎に分析をする傾向がありますが、文化人類学ではシステム間の相互作用を→
2011-04-11 02:16:05@ponQ @contractio →視野に入れているのではないか、と僕に解釈できた議論の部分です。それだと、確かに見えてくるものが違う部分があるかもしれない、と思いました。
2011-04-11 02:25:25@ponQ @contractio すいません。システム間の相互作用、というのは僕の意図した用語ではないですね。相互組み込み、といってもそれなら十分社会理論にある用語だし…。説明の方向性をちょっと変えます。しかももう寝ないと。
2011-04-11 02:35:42@ponQ @contractio 未整理ですが、そのまま出します。社会学では、(たとえば)「宗教」とか「教育」とかいったシステムを、基本的に同型のものととらえている印象があります。なので、相互作用論的解釈をどちらにも使うというようなことができます。→
2011-04-11 02:39:57@ponQ @contractio しかし、人類学では違うのではないか。そもそも、ある部分だけを取り出して論じることそのものをナンセンスと考えるのではないか、というのが僕が感じた印象です。とりあえず以上です。
2011-04-11 02:42:04贈与であれ儀礼であれ一つの行為にあらゆる領域に属す含意が畳み込まれてるって感じでしょうか。だからシステムという設定をあらかじめとりにくい RT @lematin @ponQ @contractio すいません。システム間の相互作用、というのは僕の意図した用語ではないですね。
2011-04-11 02:46:24それは多分参与観察が人類学においてもってる意味と関わってるようにも思いますが。また今度考えてみます RT @lematin @ponQ @contractio しかし、人類学では違うのではないか。そもそも、ある部分だけを取り出して論じることそのものをナンセンスと考えるのではないか
2011-04-11 02:51:01えー…。モースの議論にシステムという言葉が出てくるのは、まさにそのことを論拠にして、なのに。 QT @ponQ: 贈与であれ儀礼であれ一つの行為にあらゆる領域に属す含意が畳み込まれてるって感じでしょうか。だからシステムという設定をあらかじめとりにくい RT @lematin *
2011-04-11 11:12:43@ponQ 曰く、「1:贈与は、経済的行為や法的行為そのほかに還元できない」のであって、「2:経済や法や(中略)などは、独立に存在しているのではなく」、「3:それぞれが絡み合ったシステムをなしているのだ」云々@『贈与論』。 @lematin
2011-04-11 11:15:26@ponQ モースに賛成するかどうかはさておき、モースが論拠にしているものを同じように論拠としたうえで「システムという設定をあらかじめとりにくい」とは言いにくいのではないですか? @lematin
2011-04-11 11:16:53@lematinさんがいうような「システム間の相互作用」というイメージと「それらが絡みあってシステムをなす」というイメージは随分ちがいません。なんにせよ、「それらが絡みあったもの」を「システム」って呼ぶ人は今の人類学ではあまりみない。 RT @contractio えー…。
2011-04-11 11:34:10@ponQ 両者は──「イメージが違う」のではなくて──「システム」という語で指しているものが違うわけです。 <「システム間の相互作用」というイメージと「それらが絡みあってシステムをなす」というイメージ @lematin
2011-04-11 11:45:06要するに、今の人類学では1「システム」っていうと「全体の確定できるなんらかの単一の体系」というイメージが強い2「全体的社会的事実」という概念は「全体が確定できる」という前提をとらない考え方としてむしろ敷衍されてきた、ようにみえるってことす RT @contractio
2011-04-11 11:44:36