敗戦が決まった1945年8月15日、政府は、連合軍が来る前に、戦争責任を問われかねない記録を、旧陸軍省参謀本部(現在の防衛省)にて焼却し、葬ることを決定した。しかし1996年、防衛省の敷地内から焼却されたはずの陸軍の記録が発見された。 #南京事件II #NNNドキュメント pic.twitter.com/wdHmBEnDmy
2018-05-14 16:05:57福島県から南京戦に参加したある上等兵の日記は、南京虐殺と言われる中国人への残虐行為を記した一次資料であった。 同様の加害行為を認めた兵士達の日記は30冊以上が確認されており、肉声も残る。 pic.twitter.com/YrpaaVdANk
2018-05-14 16:08:172015年放送の『南京事件』 放送後の反響は大きかったが、南京事件を否定する声も絶えない。異論を唱える人達の中には現職国会議員も含まれる。 しかし日本政府の公式見解は「非戦闘員などの殺害は…否定できない」としている。 pic.twitter.com/av8DzypLLo
2018-05-14 16:10:59戦後になるまで日本人の殆どは南京事件を知らなかった。当時、軍にとって都合の悪い記事は報道を許可されなかったという〈新聞紙法〉があったため。戦時中の写真やフィルムの多くも戦後焼却されたが、密かに写真を保存していた新聞社があった。 #南京事件II #NNNドキュメント pic.twitter.com/uV2C8BbL2Q
2018-05-14 16:14:13南京戦に関わった兵士の一次資料や、およそ200人以上の証言から、2日間に渡った捕虜銃殺の詳細やその現場が今回新たに判明してきた。 pic.twitter.com/aWDqvoLD79
2018-05-14 16:18:01極限状態にいれば、人間の理性なんてあっという間に麻痺してしまうんだろう。 おそろしい。 けれども、よくぞお話くださったと思うし、よくぞ聞いてくださったと思う。 pic.twitter.com/9ZmCQdBUzU
2018-05-14 16:22:5565聯隊による南京虐殺は、一部では虐殺ではないとする声がある。 「武器を隠し持っていた(便衣兵)から射殺した」という指摘。 日本兵の証言では武器を取り上げ、それを燃やし、その後数日間捕虜として監禁した後に銃殺したという。 ※抵抗しない捕虜の銃殺は国際法違反に問われる。 #NNNドキュメント pic.twitter.com/ypMQzEB96g
2018-05-14 16:26:09さらに虐殺ではないと指摘する理由として「自衛発砲説」がある。 捕虜を解放する目的で揚子江岸に連行、船に載せて逃がそうとした時対岸から銃声が聞こえ、捕虜達が暴動を起こしたため、やむを得ず自衛のため発砲したというもの。その根拠となっているものは? pic.twitter.com/tBZScITzh0
2018-05-14 16:27:09ネットを中心に広がる自衛発砲説は、近年発行された本からの引用だった。それらの情報を遡ると、1970年から80年代に出版された本からの引用であることがわかった。さらに遡ると1964年に出された本にあたり、それを主張しているのは65聯隊の両角という聯隊長だった。 pic.twitter.com/KnX0odTQZZ
2018-05-14 16:28:52本のもとになっていた福島県の地元紙。取材に答えていたのは両角聯隊長。しかし彼はその日(12月17日)南京入場式に参加していたため、自分の目では銃殺現場を確認していない。 当時の現場責任者は田山大隊長。 pic.twitter.com/1cS4Y6SjiC
2018-05-14 16:31:16田山大隊長の護衛をしていた上等兵の日記。 「12月16日、二千五百名殺す」 また、両角聯隊長が自衛発砲を主張している17日の日記は 「今日、南京入城なり。俺らは今日も捕虜の始末だ。一万五千」 pic.twitter.com/qFwn9xyi1V
2018-05-14 16:32:26"自衛発砲説"は、戦後になって幹部達が責任回避のために作り上げたという。 56年前に自衛発砲説を新聞にて伝えた記者に話を聞く。 #南京事件II #NNNドキュメント pic.twitter.com/RyW54xiFls
2018-05-14 16:45:06