弁護士が最初に配慮をお願いしていた日大選手の顔のアップの写真は一枚も使用せず、 余計な編集はせずに陳述書をそのまま見せてくれるベースボール・マガジン社さん。 とても信用できる出版社さんだと思いました。 bbm-japan.com/_ct/17170362
2018-05-22 19:41:26「QBをつぶせ」は「思い切って当たれ。試合前によく使う言葉」日大広報部がコメント(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180522-… @YahooNewsTopics ほら出た、怪我をさせろという意味以外にも解釈できるという主張。要するに「ポアしろ」と同じだ。
2018-05-22 21:26:59日大の件、全く仔細を知らないけれど、何が悪いのか全然わからない。 怪我を負わせた選手が全部悪い。以上、終わり。ではないの? 傷害を教唆した科が顧問にあるというのなら、立件すればいい。不起訴になったらそれで終わり。 日大の態度とか関係ない。大人と子どもの対立構造にする話しも関係ない。
2018-05-23 00:40:52「Aという発言はBという意味です」なんていう主張も、世の中にたくさんあるでしょ。「Aとは、Aということではありません」なんていう主張も、私はたくさん見てきたし、日本語を理解しない日本人もたくさん見てきた。 世の中はそういうものです。彼らにまともな対応を期待したのが間違ってる。
2018-05-23 00:53:37日大アメフト部の件を日大広報部は忘れられるのを待つでしょう。けれど私たちは忘れませんよ。子どもがいつか進路に悩んだとき「日大だけはやめたほうがいいんじゃない」とアドバイスするでしょう。それくらいのことをしてますよ。自分の子を守らず大学組織を守るとこになんか入れたくないもの。
2018-05-23 02:07:58・守る、ってどういう意味?傷害した学生を擁護するっていうこと?顧問が学生を飼い続けるってこと? ・誰から、誰を守るの?学校側は、①組織を守るため ②顧問から学生を守るため に行動したのでは? ・学校にそんなことをする義務があるとでも思ってんの?不良な学生は退校処分にもできるんですよ。 twitter.com/10anj10/status…
2018-05-23 09:24:37「モラルが」とか「学生を守る」なんて言うけれど、そんなもん 大学にあるわけ ないでしょうが(´・ω・`) 本当に子どもを守りたいんだったら、被害に遭った関学にこそ行くな、と考えるべきでは?
2018-05-23 09:32:37.@zy773 さんのコメント「"スポーツはあくまで遊びだろ?" 武井壮氏の立場でコレを言えるのが凄いと思うわ…。せやねん…。良くも悪くも【遊び】以上でも以下でも無いねん。 ヨハン・ホイジンガ曰く、人間はホ..」にいいね!しました。 togetter.com/li/1229884#c49…
2018-05-23 10:39:24にあるBC級戦犯の話しと、学生側の意見陳述書を読んで、学生が全て悪いとも思えなくなった。
何かがおかしいという指摘はたくさんできる。しかし、
「この事件は何もおかしくない。自然の帰結であり、結果がそうなるのも納得できる」と考えることはできないだろうか。
たとえば、
武井壮の「指導者はどうあるべきか」なんて、日大の顧問でも知っているお題目のはずだ。にもかかわらず、事件は起きた。
不可解で異常な結果が得られたということは、なんらかの仮定が誤っているのではないだろうか。
人間には倫理があるようでいて実は無いのではないか。
人々が暗黙知としている「人は倫理のもとに行動する」という法則は、じつは誤りで「人には倫理観はあるが、倫理的に正しい行動は必ずしも出来ない」のではないか。
「人間には倫理観こそ後天的に教育できるが、適切な行動をとれるかは状況に依存し、また状況によっては再現性をもって不適切な行動を誘導可能である」ということではないか。
ミルグラム実験は、人間の重大な欠陥を露呈させた。
しかもこの問題は、今もなお現実に再現されているように感じる。
ハラスメント、ブラック企業、戦争と日本の組織、日系企業の不正会計、今回の事件…
これらの事例は、人間の異常性を誘導する装置としての機能を組織や役割が果たすという問題の発露に見える。
さらに参考になる記事を拝読。
https://toyokeizai.net/articles/-/221918
「組織や担当者に、モラルを守る義務や責任があるんだろうか(本当は無いのでは?)」って、ずっと疑問に思っている。
自らの成功だけを追求して他を顧みず、都合の悪いことが起きれば逃げ隠れ、訴訟を起こされたら全力で戦う。そのためにはどんな手を使っても構わない。
このことは、生存競争というテーマを課された人間という種の、本来的で自然な振る舞いではないだろうか?