日本でバフェットが生まれないたったひとつの理由 ~戦後金融史入門~

どんとこい
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うえだしたお @YT1093

日本でバフェットが生まれない理由はひとことで説明できる。 pic.twitter.com/JvaAO2U89c

2016-08-28 03:42:48
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うえだしたお @YT1093

それではドナルド・トランプ次期大統領と1985年と日本市場についてむりやりこじつけた説明を(ざっくりと)つぶやいておこう。

2016-08-28 03:44:13
うえだしたお @YT1093

為替変動リスクといってもさまざまなので、日本市場に影響するドル円レートのことを「為替変動リスク」だと整理しておいてもらえば足りると思います。

2016-08-28 03:45:32
うえだしたお @YT1093

ドル円レートの歴史をふりかえると、1871年の円登場(新貨条例)の際に1ドル=1円と定められました。もっとも戦後(昭和21年)に新円切替の名目でデノミが行われているため、現代的な感覚での1ドル=1円ではありません。

2016-08-28 03:51:57
うえだしたお @YT1093

余談ですが、1871年当時の1円は金1.5gとの兌換であるため現在の金価格と照合すると約7500円、当時の賃金や物価換算で現在価値に起こすとおよそ2~3万円といったところですね。

2016-08-28 03:54:58
うえだしたお @YT1093

さらに時代は下って明治30年(1897年)、銀本位制が維持されていた日本では金銀比価の乖離から悪性インフレを起こしたため、国力回復のため金本位制への移行が不可欠となったわけです。これにより貨幣法が制定されました。

2016-08-28 04:02:31
うえだしたお @YT1093

また余談ですが、銀行の語源にもこの銀本位制(古くから大阪では銀、江戸では金が決済に用いられていました)があらわれています。中国語で商店を「行」と記すため、銀本位制の行=銀行となったとされています。

2016-08-28 04:03:46
うえだしたお @YT1093

この貨幣法により銀本位制は事実上廃止され、1ドル=2円で固定されました。ところが1914年に第一次世界大戦が勃発すると、欧州から金兌換制度の停止が起こります。アメリカが1917年に金本位制を停止したため、わが国も追随して金兌換を停止=金本位制をお休みしたというわけです。

2016-08-28 04:10:20
うえだしたお @YT1093

いろいろ(関東大震災による円安や昭和恐慌)あってドル円レートは1ドル=2.5円前後を推移していましたが、次に動きがあるのは1929年、暗黒の木曜日(世界恐慌)でした。混乱時に日本は金本位制へと回帰(金解禁)したため短期では円高となりましたが、金の国外流出を招く結果となりました。

2016-08-28 04:21:17
うえだしたお @YT1093

さらに余談ですが、最悪のタイミングで金解禁を行った日本を見て動いたのが、ロスチャイルド家率いるオーストリア銀行でした(ドル買い事件)。このころ、アメリカではドイツ系移民の子フレデリック・トランプが10代にして建売住宅の転売を始めます。恐慌時にはスーパーマーケットで富を築きました。

2016-08-28 04:30:30
うえだしたお @YT1093

もうひとつ、世界恐慌の翌年にはアメリカでウォーレン・バフェットが生まれています。アメリカ経済はここから今日に至るまで、長い黄金期を迎えます。

2016-08-28 04:31:39
うえだしたお @YT1093

ドル買い事件に似たような例は、1997年のバーツ暴落に端を発したアジア通貨危機(1998年)がありますね。狭義では1992年のイングランド銀行破綻も含めてよいのかも知れません。こちらはジョージ・ソロスの名を世界に広めた契機として有名です。

2016-08-28 04:37:48
うえだしたお @YT1093

さてドル円相場の話に戻すか。

2016-08-28 04:38:15
うえだしたお @YT1093

1929年に起きた世界恐慌の結果、日本円は短期で円高となりましたが、金兌換の限界をふまえて円売りドル買いを仕掛けた投機筋(オーストリア銀行や国内の銀行も含まれます)により、結果として日本円は暴落しました。

2016-08-28 04:43:04
うえだしたお @YT1093

このドル買い事件に際して、翌1932年に不幸な事件が起きています。三井財閥総帥であった團琢磨が日本橋三井本館前にて暗殺されました。これを血盟団事件と呼びますが、ぶっちゃけどうでもよい話ですね。

2016-08-28 04:53:40
うえだしたお @YT1093

ドル買い事件の主犯扱いされている三井財閥ですが、実際は外資系銀行が過半数を買い占めていました(ナショナルシティ銀行=現・Citiグループなど)。三井も3分の1ほどを占めていたため国内では最大規模になりましたが、ドル買い事件による円相場の暴落は政府による金解禁の時期が問題でした。

2016-08-28 04:56:28
うえだしたお @YT1093

もうちょっと深掘りすると、ドル買いに加担した外資には英国のスタンダード・チャータード銀行やスウェーデンのハンデルス銀行も含まれていました。だからどうってことはないんだけど、さすがイギリスですね。第二次大戦にも続くこの流れには、やはりイギリスが関わっているわけです。

2016-08-28 05:02:44
うえだしたお @YT1093

この年(1931年)狼狽した時の政権(犬養毅内閣)は緊急勅令をもって金兌換をふたたび停止します。それまで1ドル=2円で固定されていたドル円相場の暴落により翌1932年に1ドル=5円と大幅な円安となりましたが、当局による統制の結果1ドル=4円で第二次大戦を迎えることになったのです。

2016-08-28 05:09:06
うえだしたお @YT1093

戦争に敗れると、わが国には復興という喫緊の課題が生まれました。当然ながらドル円レートは超円安に振れたほうが望ましいため、当局とGHQ間の協議により1ドル=360円まで円安が進みます。後にブレトン・ウッズ協定を経てドルは固定相場制を採用しました。日本も急速に戦後復興を遂げます。

2016-08-28 05:13:59
うえだしたお @YT1093

余談ながら、この高度経済成長期に沖縄だけは1ドル=120円台のレートで固定化されていました。本土復興を実現しながら沖縄ではこうした円高基調が良しとされていた原因には、米軍による統治の浸透化が挙げられています。当時の沖縄ではB円という米軍の軍票が用いられ、1ドル=120B円でした。

2016-08-28 05:20:43
うえだしたお @YT1093

米国が沖縄を本土と比べて円高に据え置いたのは、基地の建設費用や駐留費用を有利に決済したかったことや、安価な人件費で現地の住民を確保して基地建設に用いたかった意図などがあるとも言えますね。

2016-08-28 05:24:07
うえだしたお @YT1093

さて、長い前置きになりましたがブレトン・ウッズ体制によるドルの固定相場は1971年のニクソン・ショックまで続きます。この辺りはどうでもよいです。

2016-08-28 05:25:13
うえだしたお @YT1093

ニクソン・ショックの遠因にはベトナム戦争によるドル不安が挙げられますが、こちらもやはりどうでもよろしい。かくして日本の高度経済成長(1954年~)はこの頃を境に終わりを迎えることとなりました。

2016-08-28 05:28:51
うえだしたお @YT1093

ニクソン・ショック以降1ドル=360円→308円(スミソニアン協定)→260円と円高が進みます。これにより日本国内の輸出産業は失速、円高不況が訪れたわけです。もっとも、ソ連によるアフガン侵攻でアメリカがドル防衛策に出たこともあり、日本経済も円安へと導かれやや持ち直します。

2016-08-28 05:33:01
うえだしたお @YT1093

さて、本題はここから。プラザ合意(1985年)へと至ります。

2016-08-28 05:33:43