「鉄道の発達と時間感覚」再考
- kuragari20nen
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いま目の前が、社会史と技術史と鉄道史の本で散らかっているのですが、ええと鉄道史において言われてきた「鉄道開業が日本人の時間に対する感覚を変えた」というのは、そろそろ要検討ではないかなと。空間はぐっと縮まりましたが、定時法の定着にはかなり時間がかかっている。
2018-06-03 20:13:08時計産業の勃興とか機械時計の家庭への普及とか、そういうことを考えると、時間感覚に変化をもたらしたのは果たして鉄道なのかと。時計は家庭にない、不定時法に慣れきっている、こんなだから十分くらいの遅刻を大目に見る工場もあれば、逆に始業の一時間前に来ることを要求する工場もあったそうで。
2018-06-03 20:18:58使用者が労働者に対して「時間厳守」を要求できるようになるには時計台の普及も必要で、それが実際にできるようになったのは鉄道開業よりも遅い筈。もちろん鉄道の運行は定時法に基づく時間感覚が必要ですけれども、それが直ちに社会に影響を与えたとはちょっと考えにくい。
2018-06-03 20:29:03鉄道による通勤が一般的になったのはいつなのか、という問題も関連してきます。というのも、たまにしか汽車に乗らないという人が昔は大勢いたわけです。となると、汽車の時間に合わせて家を出るという、現代の我々が当たり前のようにおこなっている行動も、普遍的になるには時間がかかったのでは?
2018-06-03 20:35:55@t_wak 鉄道が時間に正確になるのもずいぶん後のことですしね。
2018-06-03 20:34:08@semakixxx このあたり、考えてみると面白そうですね。ダイヤグラムのエピソードも鉄道と時間をめぐる問題の一つとして捉えると、時間の扱いは日本の鉄道にとってなかなか難しい問題だったように思います。
2018-06-03 20:43:17ちなみに日清戦争の後、明治三十年頃でも東京は官僚とて徒歩通勤が当たり前でしたので(電車網がそれよりも後)、職住分離の進み具合も考慮に入れる必要がありそう。
2018-06-03 20:55:40@t_wak @semakixxx 祖母(明治45年茨城県生まれ)から聞いた話ですが、列車に乗ったり駅に出迎えに行くのに、列車の時刻は分かっていても家に時計がなかったので、間に合うようかなり早めに家を出て列車の到着まで駅の待合室でお茶したり知り合いと喋ったりして待ってたと。
2018-06-03 22:07:10@naritayakomando @semakixxx 貴重な証言をありがとうございます。そうか、そういう意味でも待合室は重要になるわけですね。後に国鉄の駅本屋は滞在型ではなく通過型となって待合室は姿を消すことになりますが、その変遷について、時計や時間感覚との関係から見ることも出来そうですね。
2018-06-03 22:32:57@t_wak @naritayakomando 当たり前の話ではありますが、正確に時間を図る道具と、時間に正確に動くサービスと、時は金なりという概念が全てあって初めて時間は管理指標になるわけですね。経済・産業の発達や、科学的管理法の導入なども大きく関係してくるのでしょうね。
2018-06-03 22:36:02@t_wak @semakixxx 鉄道が出てくる無声映画を見ると待合室は結構混んでいて、そういう理由だったのかもと改めて思いました。
2018-06-04 11:45:42@naritayakomando @t_wak @semakixxx 明治末年(確か国有化前の頃)の『鉄道時報』の記事で、駅へ汽車に乗りに来た人が、列車が行った後で来るまで時間があると、少しでも汽車賃を節約しようと隣の駅まで歩くことがある、そうさせないために待合室に飲料水を備えたりサービスすべし、という論旨のがありました。
2018-06-06 01:32:22