1988年6月13日(月)の旅日記(79日目・図們)

延吉で列車降りず、そのまま図們着。中朝国境の橋は昭和15年の日本製。延辺の60歳以上はほとんど日本語解す。遊覧船で対岸に接近。
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桃岩荘人 @namihei1224

0300前、降りる人に起こされ、出ていった人の反対側のベッドに移って寝る。0500起床。長春医大の英語の先生と少し話す。ロシア民謡の本も作っているとのこと。延吉で降りていった。

2017-06-13 07:52:08
桃岩荘人 @namihei1224

景色が実にしっとりとしている。歩き方にあった通り。ちょい天気悪いが、緑多く、しめった感じが心なごませる。やはり图们に行くことに決めた。行けるみたいだ。いつのまにか晴れてきた。 pic.twitter.com/0hFn5CGigp

2017-06-13 07:53:34
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桃岩荘人 @namihei1224

0700图们着。昨日の人がやってきて、一緒に降り、別の朝鮮族の人といっしょにホームで写真を撮る。彼とはそこで別れる。よくわからんかった。すぐに切符買いに動く。やっぱ北京行き、通しで買えるようだ。 pic.twitter.com/sFehBNnRaF

2017-06-13 10:08:13
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桃岩荘人 @namihei1224

0730外国人ほか特別に例の计划室へ。先客が何人かいる。愛想良く対応してくれた。写真でいっしょの奴のお父さんが站の作業員で日本語少し話せ、ここまで案内してくれた。17日の切符買うには15日0730に来いという。とりあえず宿を探す。小さな町だ。ハングルがいっぱい。

2017-06-13 10:08:58
桃岩荘人 @namihei1224

チマチョゴリ姿のおばさんも小汚い站ではよく目立つ。站からすぐのおそらく最大の图们賓館にin。3人部屋7.5RMB。留学生が通る。地図も買えない久々の小さな街なので、気合い入れて交渉に臨むが、なんだかどーもいつもの調子でやりとりできないというか、自分がおかしい。 pic.twitter.com/bz4ZkCiLtW

2017-06-13 10:13:53
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桃岩荘人 @namihei1224

服務員うだうだしてるけど漢族と違い文句言えない雰囲気がある。門を入ってすぐの離れがレセプション。ここのロビーはいろいろ使えそう。あの僑園と比較してしまうのか、とにかく応対の笑顔が違う。たとえ英語話せなくても。312号室にin。誰もいない。独り占め。ラッキー。ええ天気!

2017-06-13 10:14:20
桃岩荘人 @namihei1224

洗濯し、トレーナー1.2元、ジーンズ0.9元をランドリーに出す。本楼の方で扱ってくれた。ジーンズの安さが目につく。ま経験からいって、安くても高くても出来は同じだろう。明日上午とりにこいと言われる。しばし休息し、1000外へ。海パン履いて、今日も調子いいぜ!

2017-06-13 10:15:04
桃岩荘人 @namihei1224

ホテル、そしてハングルいっぱいの書店とも地図なし。とりあえず飯。ゆで卵と焼き豚入りの高級冷麺1.44元。確かに朝鮮の辛さは違う。美味い。食える。どっさり醤。小さな街でも地図がないと魅力は半減する。ま、仕方がない。歩いて国境と思われる方向へ。

2017-06-13 10:15:20
桃岩荘人 @namihei1224

1050国境に着く。ついに、ついに見えた。北朝鮮!人影も街並もよく見える。橋が見える。そう、昨年NHKで放送された場所だ。橋桁には昭和十五年日本製と書かれてある!塗り替えしているのは、新しく見えるな。警備の兵士。賄賂も効かぬ、一徹者の風情。ミニバスとトラックが行き交う。 pic.twitter.com/vE9W1uJVDc

2017-06-13 13:29:31
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桃岩荘人 @namihei1224

中国からとうもろこしなど穀物、アイスなどを積んだトラックが向こう岸へ渡り、空荷で帰ってくる。トラックは日本製も。たまに木材が向こう岸から運ばれてくる。国境税関の対面のこちら側には金網を隔ててたくさんの荷と人々。これから渡る人たちか、50人以上の年配者を中心に、何を待っているのか。 pic.twitter.com/Yxop824XX6

2017-06-13 13:30:16
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桃岩荘人 @namihei1224

親戚がくるのか、あるいは向こうへ向かうバスを待っているのか。中国側の門はれんがで新築中。糧食局のIsuzuの車が北へ。隣にいた老人に話しかけられる。馬さん。60歳は越えている。日本語ぺらぺら。彼とは随分長話をした。 pic.twitter.com/titsNytv8I

2017-06-13 13:31:06
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桃岩荘人 @namihei1224

父親2歳の時、延辺に来て戦争動乱経て、1978年平壌に行ったことがある。妹が大連の大学→金日成工業大学に留学し、今日5年ぶりに会うらしい。俺が話を書き留めるのを嫌うので、正確ではない。しかし彼は相当の堅物、いわゆる”スローガンの固まり氏”。こんなこと日本人の俺には言えないが。

2017-06-13 13:32:13
桃岩荘人 @namihei1224

当時の日本軍支配の残酷さは犬と同じ扱い。粟、コーリャン、中2から朝鮮語禁止。1931年前から延辺に独立軍の討伐として、图们江を渡って進軍してきたこと(万宝山事件)。1931年1937年の事変。安重根の話。でも常に人民は悪くないと考えていること。 pic.twitter.com/5pSDqXKOLq

2017-06-13 13:33:21
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桃岩荘人 @namihei1224

旅順に九州の老人が毎年戦死の息子の墓詣でし、好物のリンゴを置いていったという教科書を読み、かわいそうだと思ったこと、そして最近の話。かなり詳しい。なんと日本の短波放送聞いているらしいが、もっとも中国よりのニュースソースが中心だろう。

2017-06-13 13:33:48
桃岩荘人 @namihei1224

南朝鮮米軍占領、アルゼンチンマルビナス諸島、そして奥野法相発言、靖国問題、天皇制度は明治からだとか、台湾、香港問題、教科書問題、朝鮮戦争はマッカーサーが12カ国を率いて行った米軍による侵略。今の天皇制は権力なしとして納得してる。日本語8年。今も時々北京週報やラジオを聞く。

2017-06-13 13:34:04
桃岩荘人 @namihei1224

平壌の話も主体塔の立派さ、地鉄は地下100mで世界最深、北京より建物が立派だとか。とにかく頑固かつ見えっぱり、典型的この年代の人だろう。「ボク」という言葉は年上に使うなと怒り出し、他に若い日本語話す人が諫めても、俺は知ってると一点張り。

2017-06-13 13:34:37
桃岩荘人 @namihei1224

映画で見たが日本人は今も妾いっぱいいるというなど彼の話にはかなり穴見えたが、突っ込む俺も穴だらけ。まだまだ勉強が足りん。でも最後に俺に言った「世界どこの国に行っても将来、『為人民服務』人民の為に働きなさい」との言葉が心に残った。よくあるスローガンだが、このときは身が奮い立った。 pic.twitter.com/o7gR3oetM1

2017-06-13 13:36:26
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桃岩荘人 @namihei1224

彼とは1300まで話した。吉林省延吉市食品水産公司に勤める馬聖喆氏。獣医ということで俺の親父にも興味をもった。

2017-06-13 13:36:54
桃岩荘人 @namihei1224

互いにマスコミに左右されている。朝鮮ピンポンの事件も知っている。朝鮮総連はれっきとした北朝鮮の協会だと。スパイと言ったら笑われた。俺も真実はよく知らない。不勉強で反論できず。やはりいかにしても拭いがたい日中間の相異多い。 アイヌと満族の同化は一様的と。

2017-06-13 13:37:35
桃岩荘人 @namihei1224

すぐまた別の一人が話しかけてくる。子どもの頃が想像できるが、いかにも大人しく優しい性格の持ち主。彼と話し、また次に延吉の若者といずれも日本語で話すことで、馬氏の話がかなり修正できた。まず、やはり見ただけでは漢族朝族に区別無し。あとで気付いたが、朝鮮族は山高帽が好きだ。

2017-06-13 13:38:26
桃岩荘人 @namihei1224

他にも違いがあった気がする。現状パスポートは3ヵ月だけ発給され、ビザは2週間以上は困難。戦後50代前半まで自由往来。泳いでくこともできたという。大躍進、そして文革でできなくなった。一番驚いたのは、文革期の鎖国は友邦北朝鮮に対しても同じだったこと。

2017-06-13 13:39:24
桃岩荘人 @namihei1224

鉄道の橋も日本製、客車はないが、月に二、三度。よくわからん。ここら辺の朝・漢族間、全く差別はないという。学校は中、朝、中朝合同と3種あり、小中と朝鮮族は全員朝鮮語習うし、しゃべれ、書ける。列車で来る奴が珍しいのだろう。後で彼は哈爾浜育ちと知る。 pic.twitter.com/cYTa2EcN8R

2017-06-13 13:40:21
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桃岩荘人 @namihei1224

延辺在住の60歳以上はほとんど日本語話せるらしい。かなり忘れた人も多いとのことだが。やはり対岸の国は貧しいらしい。皆の共通しているのは、向こう岸に住みたいとは思わないこと。祖国は生まれ故郷の中国、自分は中国人としっかり認識している。 pic.twitter.com/gAxHqVd33n

2017-06-13 13:42:31
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桃岩荘人 @namihei1224

帰りたい人は戦後帰ったから、今、帰りたくても帰れないという人はいない。ただ肉親、親戚、離ればなれで長く会えない人々がほとんど。大人しい氏は兄と42年ぶりらしいし、再会の場面は劇的だ。胸にバッジの有無で北朝鮮の国民か、区別できる。また、こうした老人と話す時、いろいろ複雑な面が多い。 pic.twitter.com/nz57pkoyom

2017-06-13 13:44:01
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桃岩荘人 @namihei1224

つまり彼ら今でも日本語に時々ラジオ等で接している人を除き、40年前の日本語で話すのだ。特に大人しい氏と話していて、強く感じた。彼の性格から来ることもあろうが、当時日本軍が子どもに強制した言葉遣いが偲ばれて、本当につれなくなる。

2017-06-13 13:45:22