【横山光輝「三国志」講座170「証文」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説していようというコーナー。第170話「証文」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。 ※今回の話は、大判・横山光輝「三国志」第10巻に収録されています。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座170「証文」01】 第170話です。その後…、から始まる今回。そのは、呉の孫権が合肥城の戦いで大敗し、南徐の潤州まで後退したということをさします。その後、襄陽城にいた玄徳の身辺にも異変が起こります。

2018-06-26 12:51:41
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」02】 病気がちだった劉琦がついにこの世を去ってしまいました。建安14年(西暦209年)のことです。名目上とはいえ、荊州を治めていたのがこの劉琦。その後見人という立場で荊州を支配していたのが玄徳です。

2018-06-26 12:55:01
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」03】 玄徳は当然、この後のことを心配します。劉琦が亡くなれば荊州を呉に返すという約束をしていたからです。このままではすまないだろうな、と孔明に相談を持ちかけます。孔明は、呉はすぐに返すように言ってくるでしょうと、答えます。

2018-06-26 12:56:25
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」04】 孔明は策があると言い、それよりも守りを固めるため、関羽に襄陽城を守らせたまえ、と玄徳に進言。玄徳はそれはすぐ手を打とうと答えます。 それからまもなく、劉琦の喪を弔うと称して、魯粛が訪ねてきました。名目は弔問ですが、目的ははっきりしています。

2018-06-26 12:58:27
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」05】 案の定、魯粛は宴席で話を切り出します。そもそも呉の孫権が、荊州の地を領有する時に、玄徳が劉琦が世にある限り、荊州の主は劉琦だと言った。その劉琦が世を去ったのだから、もう、この荊州は呉に返すべきだろうと。

2018-06-26 13:00:53
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」06】 玄徳は、その話はいずれまた改めてしよう、とその場での交渉を避けようとしますが、魯粛は、いずれとはいつのことなのか、とツッコみます。玄徳はここは宴席なので、国事のことは…とごまかそうとしますが、魯粛は日にちをはっきり決めろと食い下がります。

2018-06-26 13:03:24
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」07】 ここで孔明、魯粛にあなたは礼儀をご存じないか、と魯粛を非難します。主君玄徳は魯粛が弔問の賓客だと思えばこそ、ねんごろにもてなそうとあらわに言うのを避けているが、その気持ちがわからないというのなら、自分の口から道理を申し述べようと言います。

2018-06-26 13:05:13
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」08】 そもそも、玄徳は中山靖王の血を引き、現皇帝(献帝)の叔父にあたる。さらに、故、荊州主劉琦とも血縁関係にある。荊州の主亡き後、そんな血を引く者が受け継いでなんの不思議があるか、と玄徳の正当性を主張します。

2018-06-26 13:07:28
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」09】 しかしそれでは…、という魯粛に、黙られいと孔明。魯粛の主張は赤壁で曹軍を打ち破ったのは呉であり、だからこの荊州も呉のものだといわれるつもりだろう。だが、はたして呉軍だけで曹軍百万を追われたか、玄徳も参戦し、曹操を追い詰めたではないか、と。

2018-06-26 13:09:55
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」10】 それに、赤壁の大勝利も、自分が東風を呼ばなければ、周瑜の火計も役に立たなかった、と祈祷の一件も持ち出します。 さらに、呉の孫権の素性といえば、元は銭塘(せんとう)の小役人の子に過ぎず、ただ時流に乗って江東六郡を手に入れただけであると。

2018-06-26 13:13:53
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」11】 この荊州を、血のつながりがあるものが受け継ぐのと、力だけで領有しようとする呉の態度を比べ、世間はどちらの言い分が正しいと思うだろうか、と畳み掛けるように言われた魯粛。孔明の言うことは正論で、返す言葉がないと、孔明の主張を認めてしまいます。

2018-06-26 13:15:48
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」12】 しかし、それではあまりにお利己主義すぎる、と魯粛は必死の抵抗を見せます。玄徳が曹操に破れ曹操に追い詰められている時、孔明を呉に招き、当時反戦的だった呉を曹軍と戦うようにしたのは誰だ?と聞くと、孔明はそれはあなただ、と答えます。

2018-06-26 13:18:06
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」13】 その私(魯粛)が、前は荊州を返してもらえると主君に伝え、今度は駄目と伝えれば、自分の立場はどうなるか、と板挟みになった自分の苦境を訴えます。孔明は、ならば、魯粛の面目を立て、荊州はしばらく玄徳が預かっているということにしようと言います。

2018-06-26 13:20:21
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」14】 後日、どこか適当な領地を攻略したら、その時荊州は呉に明け渡すという証書を入れましょうと、孔明が言うと、どの国を取って荊州を渡すつもりなのか、と魯粛は聞きます。孔明は、まだ魏も呉も手がついていない天地、蜀を取ったら荊州を返そうと言います。

2018-06-26 13:22:12
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」15】 蜀…、と驚いた表情の魯粛。さよう、と孔明。長江千里の流れの起こる所、西北の奥域にある蜀です。孔明は玄徳に、魯粛のために一筆したためてくだされ、と言います。

2018-06-26 13:24:04
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」16】 孔明の提案を受け、玄徳が一筆したためます。これでよいか、と確認を求められた孔明は、自分も保証人として名を連ねます。しかし、一家の者だけの署名では公約にならぬ、と魯粛にも署名を求めます。

2018-06-26 13:25:27
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【横山光輝「三国志」講座170「証文」17】 魯粛も署名をすると、これであなたの面目も立とう、と、言って魯粛に証文を渡します。 冷静に考えれば、孔明の言っていることはかなり強引だと思いますが、魯粛に考えるスキを与えず、玄徳がこの地にとどまる理屈を生み出してしまいました。

2018-06-26 13:29:28
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座170「証文」18】 この証文が、意外な形になって玄徳の身に影響を及ぼすことになるのですが、この続きはまた次回となります。 今回はここまで。

2018-06-26 13:30:41