「これはただのビタミン剤じゃ...」5分で分かるヒロポンの歴史
- guriro1504
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日本で昔からある有名な覚醒剤といえばヒロポンじゃないだろうか。 漫画「はだしのゲン」でも登場して覚醒剤の怖さに触れた人も多いと思う。 そんなヒロポンがどのようにして生まれ、どのように表の世界から消えていったのかの歴史をちょっと調べてみた。 pic.twitter.com/XCTz5OCCfE
2018-07-01 01:15:39元は1893年に日本の薬学者・長井長義さんが漢方薬の麻黄から抽出したエフェドリンで、これにちょいちょいと合成してメタンフェタミンを作り出したことに始まる。図からわかるように二つはすごく構造が似てる。基本的に薬物は構造が似てれば作用もだいたい同じなことが多い。 pic.twitter.com/KjLsNK08Ah
2018-07-01 01:24:59まだエフェドリンが発見された当時では「覚醒剤」という概念すらなくてこれに強い依存性があるなんて判明してなかった。だから強い神経興奮作用があるってことだけ着目されてヒロポンって商品名が付けられて一般に販売され始めた。
2018-07-01 01:31:19これは当時の広告 疲労回復や作業能率が上がるとかだいたいそんな感じのことを謳って販売されてたみたい。 pic.twitter.com/8GDons0rZ7
2018-07-01 01:33:05広告のとおり、第二次世界大戦の最中では大日本帝国軍の疲労回復剤として大量生産されてて「本土決戦兵器」の一つにすら数えられていた。 大戦中の広告には「造れ!送れ!撃て!」だなんて書かれてるレベル pic.twitter.com/r01K55w9id
2018-07-01 01:39:20ところが敗戦後、ヒロポンの評価の風向きはだんだん変わり始める。 今まで大日本帝国軍が大量生産して大量に備蓄していたヒロポンが闇市などを介して一斉に市場に出てくると、市民は不安解消のためにそれに飛びついた。 ここからヒロポン中毒、「ポン中」が一気に知られるようになる。
2018-07-01 01:44:01中毒だけが被害ではなかった。注射器の使い回しや粗悪品の流通により、感染症や神経へのダメージなどが二次的被害として広まり、ヒロポンは一気に社会問題になってしまった。 pic.twitter.com/fJ5C4fB1UQ
2018-07-01 01:48:00で、1949年、ついに日本政府はヒロポンの主成分「メタンフェタミン」を劇薬指定し、ヒロポンは一応表舞台からは消えた。(戦後しばらくは闇市で流通し続けたけど)
2018-07-01 01:54:01ここまでが終戦直後までの大まかなヒロポンの経緯。じゃあ今では劇薬指定されてヒロポンは製造販売されてないんだね!...とはいかないんですよ。 なんと今でもヒロポンは製薬企業が製造してる。
2018-07-01 01:59:00これは日本薬局方(公式の薬図鑑みたいなもの)に記載されてるヒロポンの添付文書。 この要件に従えば今でもヒロポンは薬剤師によって処方することが出来る。まぁそれは悪い事じゃなくて、正しい知識を持った人が使えばキチンと薬として作用するということ。 pic.twitter.com/18dTlurksk
2018-07-01 02:01:43薬局で買えるエスタックイブにも今回話したメタンフェタミンと構造の似たメチルエフェドリンっていうのが入ってて、使い方次第ではヒロポンと同等の依存性を起こしうる。 覚醒剤だから有無を言わさずダメというわけではなく、それの有効利用法があることも忘れないでね。 pic.twitter.com/WTJhnnYoS0
2018-07-01 02:08:07つまりゴチャゴチャ言ってきたけど最後に言いたいのは、薬を覚せい剤たらしめるのは薬そのものではなく、それを使用する人間の使い方ということ。 薬は分量で毒にもなりうるし薬にもなりうる。
2018-07-01 02:03:44