ニューエシカルムーブメント 新倫理運動の可能性と道徳倫理の普遍的定義化 #政治 #哲学 #倫理 #論理 #社会

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D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ニューエシカルムーブメントが到来する。 倫理的であると言う事がそもそも親が子供に対し与えたい人間性及びその社会性と社会的環境のことである。 人権が侵害される社会的環境では子供を安心して育てられない。

2018-07-03 02:21:30
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

必然的に他人や社会的環境に子供を安全に安心して育てられ成長させることができる社会的環境を親は求める。

2018-07-03 02:21:53
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

社会的環境とは自分以外の他人の人間性が生み出す現象であるから邪悪な人間や人権侵害を好む人間や暴力を好む人間や女性を軽蔑し搾取する人間などがハラスメントを連続して起こす、そういう人間が数多くいる社会では子供を安心して育てられないのでそのような人間が少しでも減ることを親は望む。

2018-07-03 02:22:30
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

つまり倫理的と言う事とは親の立場から子供を見たときに子供が安全に安心して生きて育ち成長できる人々に囲まれた人生を送られる社会環境のことであり、他人の人間性が邪悪な人間ではないと言うことを求めると言う親の子供に対する保護欲求の表れであり

2018-07-03 02:24:23
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

それを人間性のモデルとして他人に対して倫理観を守ると言う人間性を尊重する人間であって欲しいと望み要求することで、自分自身の子供の安全で安心できる育成環境人間と社会環境求めると言うことなのである。

2018-07-03 02:24:51
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

社会環境とはつまり他人の人間性の総合的環境のことであるから、他人の人間性全般がより親の安心できる子供に対して安全で安心な人間に囲まれて生きていけると言える人間性を守っている人々とその人間性のことなのである。

2018-07-03 02:25:08
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

つまり自己及び子供にとって要求する環境としての他者人格の構造性のこと、モデルとしての人格を倫理と呼ぶのだ。

2018-07-03 02:26:23
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ここに若者文化と親の文化より高齢者の文化との対立がある。つまり若者文化とは自ら子供でありまだ大人として育ってないという文化ことであり、親の文化、高齢者の文化とは子供を安全に育てる人間性と社会的環境に囲まれていると言うことなのである。

2018-07-03 02:26:51
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若者は興奮作用の高い快楽的情報と娯楽と文化を求め時として暴力的表現や行動も好むかもしれないが、親の立場からするとそのような子供たちは自分の子供たちを襲ってくる子供として成り立っていることに他ならないので、必然的にそのような子供が好むような文化体系にも否定的になるのである。

2018-07-03 02:27:09
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ポリティカルコレクトネスと言われる倫理的な考え方への疲労感を強調する考え方も1時的なもので、誰しも人の親になったり、人の親にはならなくても親になってもおかしくない年齢になれば、他人から傷つけられたくないと言う欲求が存在するのは当然でありまた子供たちが安全で安心に暮らせるために

2018-07-03 02:28:17
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

他人から襲われない社会を建設する人間性の持ち主であることを他人に求める。 この欲求は普遍的なものであり従って倫理的である事は抑制的抑圧的時として上位者によるハラスメントを正当化する論理構築ではなく、全人類に共通普遍の構造論という事が出来る。

2018-07-03 02:28:35
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

筆者D みとは道徳倫理の脱国家性脱宗教性としての再定義を目指してきた。

2018-07-03 02:29:43
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

なぜなら倫理や道徳が国家や宗教において定義されるならば、別の他の人種、別の宗教の人にはその道徳倫理は当てはまらず、したがって国家別宗教別の対立を解消するものとして道徳や倫理を位置づけることができないからである。

2018-07-03 02:30:03
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

それどころかハラスメントなどの理由付けとして、道徳や倫理を利用するものが後を絶たないため、道徳的倫理的であることが、権力者の横暴な振る舞いの正当化の理屈となり、それは道徳や倫理への反発感を生み

2018-07-03 02:30:33
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ひいては道徳倫理の空洞化から弱者が襲われる世界が生まれることを止めなければならないからである。

2018-07-03 02:30:50
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

本文章では、道徳倫理を、 親の求める社会環境及び他人への人間性の要求であり、子供を正常かつ安全に育てるための安全な社会環境と、そのための安全な他人の存在性の確立のための論理

2018-07-03 02:32:59
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

として再定義することにより、道徳倫理が脱国家脱宗教的であると定義付けることにより、道徳倫理が全人類共通普遍の論理であると再定義することによって、これらの問題を克服するものであるとするものである。 本文章はしたがって全人類共通普遍のものであり、永遠に残るものであると考える。

2018-07-03 02:33:27
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ハラスメントをやっている人と言うのは自分がそうゆうハラスメントを受けたため辛い体験がありそのハラスメントの方法がどれだけ効果的なのかをわかっているため自分が攻撃に回りたい時は自分のトラウマ体験を相手に与えるような方法を取ろうとする。

2018-06-29 15:48:11
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

擬態心理と言うものがあり自分が攻撃される側にいる時相手からまた周囲から攻撃されないためにわざと攻撃側の理屈を熱心に言うことでなりすましして攻撃を回避しようとする回避欲求を持つ者がたまにいる。

2018-06-29 15:49:50
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アメリカのある官僚の話。その官僚は同性愛者を攻撃することで有名だったのだが定年退職後その人物は驚くべきことに自らが同性愛者であると告白した。つまり自分の同性愛を隠すために同性愛者を激しく攻撃する立場に立つことで周りから疑いの目を向けられないようにしようとしていたわけである。

2018-06-29 15:51:52
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ネットのハラスメントの中には実際には自分が攻撃される側の立場にいるのにこのような心理が働いて激しく他人を攻撃することで身を隠そうとしている人々がいることがよくわかる。心理学を学ぶとこういったことがすらすらとわかるようになる。

2018-06-29 15:53:04
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

ハラスメントから逃れたいが為にハラスメントをする側に回るものがいると言う事は全体としてのハラスメントの量を増やしていることで結局はそのハラスメントをしている人物にも攻撃が増える可能性を高めていると言う点で中毒症状と言う話である。

2018-06-29 15:54:43
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

この不毛な悪循環を終わらせるにはこのような構造があり抜け出さなくてはならないと自覚することが必要である。

2018-06-29 15:55:24
D MITO AUTHOR D みと 作家 @DirectMito

全ての人々の嘆き悲しみ苦しみを終わらせるためにはそれらの発生している構造すべて解き明かし悪循環を終わらせなければならないのである。

2018-06-29 16:00:11

自己像認識によるストレス悪循環中毒構造 肥満や暴力心理的メカニズム

1お酒などカロリーが高い食べ物や飲み物で自己が肥満などに陥る。
2ストレスが溜まる。
3そのストレスを解消しようと中毒対象に頼ってストレスを解消しようと考えてしまう。お酒の中毒なら酒で肥満に落ち肥満のストレスが溜まりストレス解消行動として快楽を求め、ますますお酒に依存を求めてしまう。

このように中毒者は中毒対象で快楽を得る心理構造を持ってしまっているため、その構造において副作用が出て自己像が変化しその自己像によってさらにストレスが増加し、その増加したストレスを快楽で払拭しようとし、ますますそのストレス発生源に快楽で払拭しようとより没入してしまうのである。このようにお酒麻薬ネット中毒患者とは快楽対象に依存した結果生まれる副作用によって生じるストレスを、より快楽によって解消しようとし、ますます副作用を生み出す快楽対象に依存すると言う思考の悪循環の罠にはまって抜け出せなくなっているので、この仕組みに気づき抜け出さないとストレスが溜まり続ける悪循環になる。快楽対象に依存しその副作用にますます没入して中毒になってしまうのである。肥満などもこのような悪循環構造によるものがあるのだ。

これが暴力中毒者にも当てはまることなのである。この行き着く先が独裁者なのだ。
独裁とはつまり人を邪悪にする暴力中毒構造なのである。

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