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cha_bo @cha_bo39 2018-07-09 23:19:32
ブラックミュージックは何でもかんでもブルースがルーツみたいな論調が多いけれども、如何にも黒人音楽な南部ソウル、あれはブルースというよりカントリーとゴスペルの色が濃くて、それが象徴的なのが映画「ブルースブラザーズ」のボブのカントリーバンカーのシーンで ↓
cha_bo @cha_bo39 2018-07-09 23:30:04
あそこの演奏シーンの「スタンド・バイ・ユア・マン」という曲は、カントリー歌手のタミー・ワイネットの曲だけれども、ソウル歌手のキャンディ・ステイトンがマッスルショールズ録音でカバーしていて、ソウル好きにも馴染みの曲だったりする。ブルースブラザーズの連中にとってはアレはソウルの曲なの
cha_bo @cha_bo39 2018-07-09 23:38:29
南部ソウルはアレンジを変えたらカントリーになるというのはピーター・バラカンも言ってました。というかそっからの受け売りです。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 01:02:02
ふと、思ったが。 儂、ソウルミュージックも好きなんだけど、あんまり会話で盛り上がったことないというか、70年代ニューソウルはまだしも、60年代のスタックスやハイについて話題にする機会がない。ましてやゴールドワックスとか。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 01:06:40
ジャンルとしては遥かにマイナーな筈のルーツレゲエやダブの方が反響があるというのは、それらがいまだ現役の音で、過去の音源も参照される機会が多いからか。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 22:51:32
と、昨日呟いてみたが反響は薄いのぅ。 これだけで判断するのもなんだけど、サザンソウルは今は需要が薄いんだろか。 一方では無名のかなり深いところまで掘られている分野ではあるが。 twitter.com/cha_bo39/statu…
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 22:54:07
サザンソウルの成り立ちを知るとなかなか面白いんだけども。 サザンソウルの象徴といえばオーティス・レディングでスタックス・レーベルなのだが、この歴史を紐解くとブラックミュージックのみならず、アメリカの歴史も垣間見えてくるような気がする。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 22:57:21
と、偉そうに言うほど精通しているわけでは無いけど。 でも、一聴すると如何にも黒人音楽といった風のサザンソウルって、けっこう誤解もありそうなんですよね。 以下、知ってる人には常識的な事を呟いていこうかと思いますが。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 22:59:16
スタックスあったテネシー州というとカントリーミュージックのメッカ ナッシュビルが州都で、スタックスが設立されたメンフィスはその南西の外れ、ミシシッピとアーカンソーに隣接する位置にある。 かのエルビス・プレスリーが誕生したサンスタジオもメンフィス。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:03:16
少し話は逸れるけど、サン・スタジオはなかなか経営が安定しなくて、なんでも録音した。ぶっちゃけ言えば薄利多売、誰にでも安価でレコーディングをさせた。それが貧しい若者でも黒人でも。 あのエルビス・プレスリーも4ドルを持って母親に贈るアセテート盤を吹き込みに訪れた事が始まりだったのだ。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:09:47
で、スタックスだが、サン/プレスリーの成功に触発されたのか、1957年、ジム・スチュアートという白人の青年がガレージを改造したスタジオで始めたもの。カントリーのレコーディングを想定していて、ブラックミュージックについては何も知らなかったらしい。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:13:55
後にスタックスと並ぶサザンソウルの重要拠点になるハイ・レコードやアラバマのフェイムスタジオも元々はカントリーを吹き込む目的で白人が作ったスタジオだった。 スタックスは開業の翌年、姉エステルが出資し、映画館跡を改造してスタジオにするのだが、このスタジオが黒人街にあったのだった。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:17:14
当時のアメリカといえば、悪名高きジム・クロウ法がまだ存在していて、白人と非白人(有色人種)の間には一線が引かれていたのだが、黒人街に位置していた事が大きかったんだろう、スタックスの最初の成功は黒人によってもたらされた。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:19:57
それはシンガーでボードビリアンでDJの、サンスタジオでベアキャット(ビッグ・ママ・トーソン「ハウンドドッグ」へのアンサーソング・盗作だと訴えられた)をヒットさせたルーファス・トーマス、そしてその娘カーラ・トーマスだった。 以降、スタックスはR&Bの専門レーベルとして舵を切ることになる。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:21:30
スタックスというネーミングだが、ジム・スチュアート(ST)と姉のエステル・アクストン(AX)の苗字から取ったもの。 そしてそのエステルの息子、チャールズ・パッキー・アクストンが結成していたガレージバンドがマーキーズなんである。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:24:23
ルーファス・トーマスのレコーディング時に当時まだ16歳のブッカー・T・ジョーンズが参加していて、マーキーズのスティーヴ・クロッパー、元マーキーズのドナルド・ダック・ダン、それからドラマーのアル・ジャクソンが合流、最強のインストゥルメンタルR&Bバンド、ブッカー・T&ザ・MG'sが誕生する。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:25:58
アル・ジャクソンはブッカーTが連れてきたんだったかな? 親父もミュージシャンで12歳からプロの道に進んだという凄腕である。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:27:50
こうした黒人白人の協業はサザンソウルではスタックスに限らず、ジミー・ヒューズやクラレンス・カーターを輩出したアラバマ州マッスル・ショールズのフェイムスタジオも、ダン・ペンやスプーナー・オールダムら白人ミュージシャンが演奏を勤めていたのだった。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:29:56
ジム・スチュアートやフェイムのリック・ホールら経営者にとってはサザンソウルは、売れるから作ったものだったのかもしれない。 でも、それらが売れた理由、若いミュージシャンは黒人と白人、互いに上手くやれていたのだ。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:30:38
当時の南部では人種差別が激しかったから、逆に黒人とつるむのがヒップの証ということもあったようだ。 黒人風にR&Bを歌ったプレスリーの影響も大きかったんだろうね。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:32:20
オーティス・レディングについてもそれが言えて、オーティスのその歌唱に惚れ込んだ白人の青年が、まだデビュー前の全く無名のシンガーにも関わらず、マネジメントを買ってでていた。 これが後にキャプリコーンを興し、サザンロックを生んだフィル・ウェルデンとその弟アラン・ウォルデンなんだよ。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:38:25
高校を中退し、プロの歌手になる事を夢見ていたオーティスに、チャンスはひょんな事でやってくる。 ジェニー・ジェンキンスという歌手に運転手としてスタジオに同行した際、レコーディングの空いた時間に、試しに歌ってみるか?と誘われ歌ったのが、ソウルバラードの名曲「These Arms of Mine」。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:43:06
二十歳そこそこの、ただの運転手だと思ってた男が、いきなりあんな切々としたバラードを歌ったら吃驚するよなぁ。 先に歌ったリトル・リチャードタイプの曲は良くなかったらしいけど。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:50:02
しかし、これで成功か約束されたわけではなく、「These Arms of Mine」から次が出るまで、二年くらい空くんだけどね。スタックスもまだ地方の弱小レーベルに過ぎなかったのだし。
cha_bo @cha_bo39 2018-07-10 23:52:50
南部で生まれたローカルなR&Bがアメリカ全土、そして世界中に広まったのには、ニューヨークのアトランティックレコードとの提携があったから。 ウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリンは、アトランティックのジェリー・ウェクスラーがスタックスやフェイムに連れてきた歌手だ。
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