「海の民」から読み解く日本人の起源―先史時代の海を越えた交流の歴史ー

考古学、DNA研究、言語学などから浮かび上がる日本人のルーツと、海外における先史時代の歴史研究の方法について。DNAと言語、鉄器文化にそれぞれ別の起源がある「ケルト人」などを参考にする。「チンギス・ハンのDNA」についても。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

宮本一夫(考古学者、九州大学大学院教授)『東北アジアの初期農耕と弥生の起源 /』 (2017年2月) 第15章「古日本語と古韓国語ー農耕の拡散と言語の拡散ー」 ついに、専門家が口を開き始めたようです。古日本語は弥生農耕の伝播にともない、朝鮮半島から日本列島に拡散したとあります

2017-05-27 13:54:17
巫俊(ふしゅん) @fushunia

詳しくは、こちらの一連のツイートに書きましたが、 1950年代に遼寧省瀋陽市の偏堡子(へんほし)村の砂丘で発見された「偏堡文化」の土器が、弥生土器のルーツであることが分かっています。農耕文化と一緒に南下し、日本列島に上陸しました。 twitter.com/fushunia/statu…

2018-06-08 02:03:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生土器のルーツだったことが明らかにされた遼東半島の「偏堡文化」は、紀元前2400年頃の畑作農耕文化です。宮本一夫氏は、彼らが古日本語を話していたと考えていて、900年以上かけて朝鮮半島を南下し、紀元前1500年頃、朝鮮半島南部で稲作農耕文化を始めた人たちだとしてます。

2018-07-15 19:46:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

紀元前1500年といえば、中国中原では、殷王朝が成立した時期にあたります。この殷代前期までの中国中原は、「初期青銅器時代」にあたるとされ、殷代中期から「初期」の名前が外れた青銅器文化に進化していくとのことです。同時代の朝鮮半島は、同じ段階では無いですが、歴史の波が動いていました。

2018-07-15 19:54:58

紀元前1000年頃以降に、その朝鮮半島南部の稲作農耕文化「無文土器文化」の人たちが九州へと渡海し、縄文人と混血しながら稲作により人口増加して、「弥生土器」をつくったと考えられてます。※水路を構築した水田稲作

巫俊(ふしゅん) @fushunia

斎藤成也(国立遺伝学研究所教授)『核DNA解析でたどる日本人の源流』では、浙江省から遼東、朝鮮半島南部までぐるっと結んだ沿岸部から「海の民」(日本祖語を話していたかもしれない)が日本列島に移動し、それまでの在来人と混血した後、更に三番目の集団が渡海し、現代日本人が形成されたとする

2018-06-08 02:12:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

篠田謙一『DNAで語る 日本人起源論』(岩波現代全書) ミトコンドリアDNAの変異率から世代数と人口が推定でき、 日本人の祖先は5000年前から人口が急激に増加してるが、 この時期から縄文時代は人口減少期にあたり、 日本列島の外で、稲作により人口増加していったと示唆されています

2018-06-08 02:01:30
巫俊(ふしゅん) @fushunia

斎藤成也『核DNA解析でたどる 日本人の源流』(河出書房新社、2017年) 『歴史REAL 日本人の起源』(2018年、この中に篠田謙一氏が28ページ分寄稿してる) pic.twitter.com/q54wlmLSDz

2018-07-15 19:21:42
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斎藤さんはDNAの研究者の立場から、複数の可能性を示唆されていて、「海の民」説については本の中に地図でも示されていました。DNAから世代数を割り出すことで、渡来した年代を推定できるが、年代には揺れがあるそうです。ここでは、宮本氏の説に沿って斎藤さんの説明を解釈しましたが、詳しくは本書を読んでみてください。

弥生早期に九州に渡来してきて、現地の縄文人と混血した「海の民」(「支石墓」という墓をつくった)が日本語を話していたとする場合、アイヌ語などの別の言語を話す人たちと混血して、現在の日本人の祖先が生まれた可能性がある。

支石墓は、遼東半島に起源する「石の墓」で、朝鮮半島西岸、山東半島、浙江省などの沿岸部に分布している。弥生早期の支石墓から「青銅のナイフ」が出土したとされる。

日本語のルーツを考える上で、唯一期待を持てるのは、言語学によると、現在の中国東北地方にいたと考えられる人たちの言葉「ツングース語」と「日本語」の比較だという。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

それにしても、ヴァイキングが各地に進出して、その子孫が有力な王侯の一員になっていくのは、中国史や日本史には見られないと思うので、ただただ凄い…と思った。文明の中心に海があった地中海ならともかく、北の海から出て行って、ああいう風にまとまっていくとは、どうも…

2018-03-11 02:24:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代の「新羅海賊」とか中世の「倭寇」、更に中国の先史時代の「海の民」(遼東、朝鮮、山東、浙江、日本の海沿いに共通の「支石墓」文化)とか、ヴァイキングと似たような例はあるにはあるんですけど、史料で確認できる限りでは、彼らが中国の王侯になったりはしてないですもんね。

2018-03-11 02:27:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代の新羅海賊は、新羅王の外戚になろうと企んで失敗してしまったし、倭寇については、もしかすると琉球王国の成立(出自)と少し関わりがあるかも?くらいらしい。先史支石墓については、同時代の中国の周系文化が強すぎて、「征服してやる」なんてのは無理で、逆に中国文化に征服された模様。

2018-03-11 02:31:13
nifty尚 @nifty_k

@fushunia 内陸のキエフまで征服してますからね

2018-03-11 02:30:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@nifty_k 史料でそこまで分かるのが凄いですよね。それとも、地政学的な立地が凄く良くて、北海の地方から河川でコンスタンティノープルにもいけるし、西欧の大陸部とイギリス諸島のどちらも選択して移動できるとか、とても良いのかも

2018-03-11 02:34:22

「青銅器」などの先進の文化は、古代オリエントから中央ユーラシアの草原世界を経由して中国やモンゴルに伝来したと見られるので、「海の民」が活動した「東アジアの地中海」は、青銅器の世界から見ると、辺境の世界にあたり、内陸部の中国本土などが先に高度文明化した。

「海の民」の言語はひとつとは限らないし、雑多な人々の集まりだったと見られるが、内陸部からの人の移動と支配で国家形成が進んでいった大陸側では、その「海の民」の言語が消えてしまったとしても不自然では無い。

海から隔てられた「日本列島」だけに、たまたま「海の民」の言葉がそうとも知らずに残っている…のかもしれない。

「西の地中海」の「海の民」は、キプロス島やサルディニア島などの大きな島を「安全な拠点」として利用できたが、「東の地中海」には済州島や日本列島などをのぞいて、陸上勢力から自立するための「大きな島」が無かった。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

今日読んだ論文によると、漢代の韓や倭の諸国との交易については、その規模から考えると、漢側が用意した船が朝鮮半島沿岸などを航海し、各地で「朝貢」の参加者を乗船させて、郡に戻ったと推定されてるそうです。

2018-07-15 02:50:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

当時の韓や倭には小国が多く存在しており、西晋の記録などを見ても、「東夷10国」とかまとまった数の人たちが同時に到着してるとのことで、韓の諸小国の中には敵対し合う国もあるだろうが、交易となると同じ船に乗船させられていたかもしれないとか、そういうイメージができるようでした。

2018-07-15 02:55:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それら諸国からの参加者は、「下戸」(平民)だと記されてるケースもあり、そうした商売目的と思われる人たちを集めてきて、中国側が用意した服を与え、「朝貢使」に仕立てることも行われていたと見られるとか。

2018-07-15 02:59:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

壱岐などで出土した中国系の遺物が、遼東半島との直接交流で壱岐に伝わったと見られる等の考古学側の研究がありますが、中国の船が沿岸各地を移動していたとすると、違和感なく理解できる気がします。壱岐の側が海民のネットワークを利用して遼東に行くケースもあってもおかしくなさそうですが。

2018-07-15 03:08:22
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