結城秀康は「かわいそう」か?人質時代から病没までを追ってみた。

ネット上には結城秀康の逸話・推測・妄想ばかりがあふれているので、史料や本に基づいた情報を集めてみた。更新(7/28):人質時代から病没まで完了。秀康の動向を追加。
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アリノリ @a_ri_no_ri

内容は「今日、秀康殿が社参されるからと、吉田兼見殿が急いで豊国社に来た。私(梵舜)は脚気で足が痛かったので行けなかった。秀康殿は銀子5枚を奉納された。兼見殿は(来るのが)遅くて秀康殿は早く社参した。(兼見は秀康の社参に間に合わなかったという意味だろう)」である。

2019-04-19 20:48:56
アリノリ @a_ri_no_ri

ここだけ読むと、秀吉を慕う秀康が豊国社を参拝したように読めるかもしれないが、実際は違う。この4日前に家康の母於大の方が豊国社に参拝し、九十貫(約900万〜1000万円?)を納めているのだ。この時期は家康も在京しており、秀康と於大の方の豊国社参拝は、徳川家としての気遣いであるのが分かる。

2019-04-19 20:49:17
アリノリ @a_ri_no_ri

於大の方は豊国社で能も見物していて、かなり長居をしている。対して、秀康の方は兼見が来る前に帰ってしまっているようなので、ぱっと来てさっと帰ったようだ。これをどう解釈するのは自由だが、於大の方の参詣からして、秀康が「徳川家の一員」として動いている事例の1つになるだろう。

2019-04-19 20:49:42
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