『本陣殺人事件』と後期クイーン的問題

日本推理作家協会70周年記念評論・書評_『『『本陣殺人事件』を評す』と『本陣殺人事件』を評す』について
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@quantumspin

「『魍魎の匣』と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1242212

2018-06-30 14:08:27
@quantumspin

『『本陣殺人事件』を評す』と『本陣殺人事件』を評す|琳 @quantumspin|note(ノート) note.mu/quantumspin/n/…

2018-07-21 22:58:18
@quantumspin

推理作家協会70周年記念評論・書評の件、『『魍魎の匣』と後期クイーン的問題』の後に『『『本陣殺人事件』を評す』と『本陣殺人事件』を評す』を書いてみたわけですが、横溝さんは〝研究〟が進んでいる分〝評論〟を書くのが恐ろしく困難な方と、やりはじめてから後悔しました。

2018-07-07 14:08:12
@quantumspin

個人的に『本陣殺人事件』は横溝作品の中でも異色作品という印象があって、理由もつかめぬまま、なんとかこの感じを論じてみたいなあという、軽い気持ちで開始してみたのですが、提出した評論にたどり着くまでにずいぶんまわりみちをしてしまった。

2018-07-07 14:29:46
@quantumspin

『本陣殺人事件』に限らず、戦前を舞台に戦後書かれた横溝作品ってどれもなんだか異様なものを感じてしまうのは私だけかしらん

2018-07-07 14:32:26
@quantumspin

『本陣殺人事件』の舞台は1937年ですが、何故この年なのか、という疑問が取っ掛かりとしてあり、まずはこの謎を解いて行こうと考えたわけです。

2018-07-07 14:35:19
@quantumspin

1937と言えば『真珠郎』ですから、しばらく『真珠郎』と『本陣殺人事件』との関係性について熟考していましたが、どうもピンとくるものがない。むしろ『私の探偵小説論』の方が論点を多く見つけられたように思います。

2018-07-07 14:43:09
@quantumspin

ところがある日、『ニッポン樫鳥の謎』が書かれたのが1937年と気づいてびっくりしました。『本陣殺人事件』は『ニッポン樫鳥の謎』と似たところがあると、以前から感じていたからです。これって既出なのですかね。

2018-07-07 14:49:23
@quantumspin

まあ類似点を列挙していくといろいろとアレなのですが、個人的には『本陣殺人事件』から〝足跡のない殺人〟テーマを取り去ると『ニッポン樫鳥の謎』になるように(ざっくりと)感じています。

2018-07-07 14:54:38
@quantumspin

まあ過剰なまでに日本趣味溢れる密室殺人てだけでも十分なのに、トリックがアレですからまあ、似てますよね。

2018-07-07 14:58:16
@quantumspin

クイーンの密室の取り扱い方は独特で、これは『ニッポン樫鳥の謎』に限らないと思うのですが、密室を発見する事で謎が解けるような書き方を好んでいるように感じられます。『ニッポン樫鳥の謎』の場合、考える必要ない密室トリックをあえて考える事で謎が解ける構造になっています。

2018-07-07 15:05:25
@quantumspin

法月さんに言わせれば、これはクイーンが手垢のついた密室を解体している作業といったような話になっていたと記憶していますが(うろ覚え)、本当かなあ、と疑問に思ってしまいます。密室に批判的な作家であれば、密室に拘らなければ解けない謎など出題しなさそうに思えるからです。

2018-07-07 15:24:52
@quantumspin

話を『本陣殺人事件』に戻すと、ここでは密室に拘るもなにもなく、最初から密室そのものです。『ニッポン樫鳥の謎』と違って、容疑者が密室内にいた証拠ははっきりと残っており、足跡のない殺人を謎の主題と演出しています。

2018-07-07 15:30:09
@quantumspin

言ってみれば、「ニッポン樫鳥の謎」が密室をリアリズムの文脈と調和させようとしているのに対して、「本陣殺人事件」は密室の過剰なゲーム性をあえて浮き上がらせようとしているようです。両者の骨格が類似していながら全く違う印象を受けるのは、こうした密室の扱い方に拠るものかもしれません。

2018-07-14 14:29:05
@quantumspin

こうなってくると、横溝が『ニッポン樫鳥の謎』を読んだとすれば、それがいつだったのかが大変気になります。調べた限りでは痕跡を見つけられませんでした。発表当時は戦局の悪化に伴い原著は入手困難だったものと思われますから、読んだとすれば戦後でしょうが、桜日記に記述はありません。

2018-07-14 14:35:09
Genei-John @noji2207

@quantumspin 「横溝正史旧蔵資料」によると、1973年9月21日の第24版、創元推理文庫「ニッポン樫鳥の謎」を所持しているようですが、その頃が初読かどうかはわかりませんねー。

2018-07-14 14:41:46
@quantumspin

そうするとやはり、戦後の本陣執筆以前に進駐軍の古本を入手し読んでいたという考えもあながち間違っていない気がしてきます。横溝が『本陣』を書く直前に『ニッポン樫鳥の謎』を読んでいたら面白そうだと、少々乱暴ですが、まあざっくり捉えています。実際のところどうなのでしょうね。

2018-07-14 14:47:04
@quantumspin

@noji2207 おお!そうでしたか。晩年に至り翻訳本を入手しているところに、原著既読→紛失の過去を妄想してしまいますね。

2018-07-14 15:00:13
Genei-John @noji2207

@quantumspin The Door Betweenは横溝正史旧蔵資料にありませんでした。ただ、だからといって横溝正史が所持していなかったとは限らず、例えば『琉球かしどりの秘密』掲載号の別冊宝石1954年5月号は目録にありません。そもそも「宝石」自体ほとんど目録になかったりする。「宝石」を持っていないわけないですし。

2018-07-14 18:11:24
@quantumspin

@noji2207 成城に向かう折に岡田村に寄贈でもしたのですかね笑。まあ所有していなければ読めないわけでもないですし。

2018-07-14 18:29:31
Genei-John @noji2207

@quantumspin 引っ越しを機に蔵書を処分(というか欲しい人に寄贈)というのは大いにありそうですね。

2018-07-14 19:45:37
@quantumspin

史実と矛盾はしていないようで

2018-07-14 21:55:56
@quantumspin

史実と矛盾といえば、横溝亮一さんが疎開当時の思い出をどこかに書いていて評論で引用させてもらったのですが、岡田村では岡山大空襲の炎で新聞が読めたような事をおっしゃっていて、本当かなあと疑問に思いながらも、そのまま書いたというのはありました

2018-07-14 22:00:55
@quantumspin

こういうのは史実と矛盾しているのかしらん。

2018-07-14 22:01:59
@quantumspin

横溝正史疎開宅から岡山市までは約30kmで、途中山々が視界を阻んでいますから、普通に考えると空襲の炎で新聞を読むのはなかなかに簡単ではなさそうですが、しかし月明かりでかろうじて読めなかったのかもしれず、

2018-07-14 22:17:46