一木支隊戦史話 7月23日分

一木支隊戦史に関する、7月23日に呟いたものの纏めです。
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あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

ガダルカナルの戦いについて、敵を侮ったから、兵力を逐次投入したから、補給線が伸び切っていたから、とか、様々な反省や批判が加えられている。しかし、それらをきちんと分析をしたものがどれだけあるだろうか。

2018-07-23 11:39:48
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

敵を侮った、という話は、大体一木支隊が全滅した時あたりに話が集中する。大本営や現地部隊はガ島に米軍が上陸したのは単なる偵察あるいは飛行場破壊のためであり、本格的な反攻ではないと判断していた。

2018-07-23 11:47:36
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

その根拠は米軍の本格的反攻は昭和18年半ば以降という開戦前の情勢判断を踏襲していたこと。ミッドウェー海戦では日本側は大敗したが米側にも大きな損害を与えていると思っていて、早期の攻勢は考えにくい、と思っていたこと。さらに第一次ソロモン海戦での戦果と現地からの偵察報告に影響を受けていた

2018-07-23 11:51:06
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

現地からの偵察報告は、ガダルカナル泊地には輸送船がいなくなり、地上の敵部隊の活動があまり活発ではない、というもので、これら偵察報告により、ガ島に上陸した米軍は消極的であると判断したのだ。さらに舟艇の動きからも、撤退を企図しているのではないか、という憶測もなされた。

2018-07-23 11:54:04
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

これら情報を補強するように、真偽不明ではあるが、いわゆるソ連情報がもたらされた。以上のような情勢分析が当初行われていた。しかし、その後ガ島米軍は活発な活動を開始し、残存していた日本側ガ島守備隊と戦闘を交えたり、日本側の偵察に来た飛行機に対し射撃を加えてきたことから、

2018-07-23 12:00:56
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

徐々に米軍は抵抗を強めてきた。このため、当初は第35旅団のみだった兵力に、一木支隊と青葉支隊が加えられることになった。

2018-07-23 12:03:41
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

よく勘違いされがちだが、ガ島奪還に最初に投入されようとしたのは、第35旅団。この部隊の到着を待っていては戦機を逸するということで、たまたま近くにいた大本営直属の一木支隊に白羽の矢が立ったのであり、さらに青葉支隊も加わることになった。

2018-07-23 13:03:08
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

ガ島に上陸した兵力をどのように見積もっていたか。第17軍の二見参謀長は輸送船の数から約1万人とほぼ正確に見積もっている。しかしその後の会議で陸海軍は、輸送船団の来着から退去までの時間から、上陸出来た兵数を日本陸軍の基準を参考に約2千と下方修正した。

2018-07-23 13:09:43
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

これにさらに先の情勢分析が加えられ、敵は消極的かつ退却するかもしれない、と判断するようになる。しかし、この判断もその後の米軍の積極的な活動に転じたことにより修正が加えられていく。兵数についても、現地守備隊からの報告でルンガ飛行場西側に2千の兵力が展開されていると報告され、

2018-07-23 13:13:13
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

これにより、一木支隊先遣隊上陸前には少なくともガ島米軍兵力は5千から8千と上方修整されていて、これは一木支隊長にも伝えられている。

2018-07-23 13:15:00
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

次に、一木支隊は逐次投入になるか。これについても再検討の必要がある。 先にも、当初は第35旅団が投入される予定だったが、これに一木支隊、青葉支隊が加えられた、と書いた。本当であればこれら全てが同時に投入出来れば良かったが、実際には輸送船や時間的な問題で出来なかった。

2018-07-23 13:18:23
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

一木支隊投入時、一木支隊は二つに分けられてガ島に投入された。戦機を重視し携行する武器に制限が加えられるが駆逐艦により速やかに輸送された第一梯団、臨時に配属されていたドイツラインメタル製速射砲部隊を含む主隊である第二梯団と海軍陸戦隊を載せた輸送船団に分かれていた。

2018-07-23 13:23:39
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

そして、8月下旬頃をメドに川口支隊もガ島に上陸する予定であった。つまり、川口支隊、一木支隊と二つの部隊が同時に投入されるはずで、単に輸送のタイミングがズレていたのである。このタイミングがズレた背景は、戦機という時間と輸送船の不足という輸送手段の問題があったからだ。

2018-07-23 13:29:35
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

結果論から見ればたしかに兵力の逐次投入という愚策と見えるが、当初の陸海軍の判断から見れば、そうとは言えない面がある。

2018-07-23 13:31:34
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

また補給線の問題については、ガ島に関するテレビ番組で日本本土からガ島に直接矢印が引っ張られる図式により、日本本土から直接ガ島に行くようなイメージだが、実際には第17軍司令部のあるラバウルからガ島へ補給線が向かうのが正しい。しかし、ガ島戦初期には第17軍には補強機関が備わっていなかった

2018-07-23 13:36:09
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

ガ島戦初期の補給の問題は、この第17軍に補給機関がなかったことにある。ではなぜ補給機関がなかったのか。この方面の陸軍部隊への補給は海軍が責任を負っていたからだ。そもそも軍といいながら、実質的には南海支隊という兵力しか隷下になく、さらに海軍の作戦に協力するという感覚だったので、

2018-07-23 13:40:00
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

第17軍は補給機関を必要としていなかったのだ。また、例え補給機関が備わっていたとしても、当時の船舶事情により、物資輸送は困難であったことは明白である。実際、一木支隊がトラック島からタイポ岬に向かったのは、ラバウルに油がなかったから。ラバウルでは船舶不足で、油も不足していたのだ。

2018-07-23 13:43:33
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

ちなみに、トラック島の油も不足すると予想されていた。そして、昭和17年11月までに、日本国内でも船舶用重油が底をつくという予想がされていた。ガ島戦初期にすでに油不足に陥りかけていたのだ。

2018-07-23 13:45:41
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

このような状況から、ガ島ルンガ飛行場が本格的な活動を始める前に制圧もしくは妨害しなくては、ラバウルからガ島への補給線が維持できなくなり、ガ島守備隊への補給も不可能になる。一木支隊第一梯団の役割はかなり大きかったのだ。

2018-07-23 13:51:02
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

なお、一木支隊第一梯団の上陸前から、ガ島守備隊に対する補給は、航空機による空中投下、駆逐艦による輸送と、すでに厳しい状況にあった。

2018-07-23 13:52:40
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

ガ島の奪還のために何をやらなければならなかったのか。第一は、奪われた飛行場を取り返すことであった。この飛行場を取り返さなければ、ガ島やツラギの奪還は不可能なのだ。そのためにまだ敵の地歩が固まらないうちに攻撃をするという判断がなされたのだが、輸送手段に問題があり、

2018-07-23 13:57:14
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

結果的には兵力の逐次投入という形になってしまった。これについては、陸軍も海軍も逐次投入しようとか敵の数を少なく見積もっていたからとかではなく、当時の状況によってそうならざるを得なかった、と言えるのではなかろうか。

2018-07-23 13:59:24