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中卒アスペニート @mmmnvivi
岡地稔『あだ名で読む中世史』を読んでいる。知らないことだらけで勉強になるが、特になるほどと思ったのは中世の主導名(英語ではleading nameという)についての説明だった。そもそも主導名というのがあまり知られた概念ではないと思うので解説すると、
中卒アスペニート @mmmnvivi
これはある一族に決まって頻出する個人名のことである。例えばカロリング家なら、カールやカールマンやピピン、ルートヴィヒなど、フランス王家(カペー朝)ならルイやシャルルなどの、結果的に○○何世という形で王様の名前になっている名のこという。
中卒アスペニート @mmmnvivi
この主導名は父母祖父母を始めとする親族に因んで名付けられる。例えばカール大帝の名は祖父のカール・マルテルから取られた。ヨーロッパの王侯貴族はこういう名付け方をやっているので、時代を経るごとに同じ名前の人間がどんどん増えていき受験生のような歴史学習者を悩ましている。
中卒アスペニート @mmmnvivi
私も主導名は(時に有力・偉大な)親族にあやかろうという性質からくる習慣であるのはわかるけど、それにしても親と子やおじ甥や従兄弟間などで同じ名前を付けまくるのは、個人の識別があまりに煩雑になって非合理的ではないのだろうか、という疑問が片隅にあった。
中卒アスペニート @mmmnvivi
しかしこの本によると、このような名付け方にも合理的な動機があったことが示されている。そもそも中世の前半のゲルマン系の人々には姓はなく、個人名しかなかった。そこで主導名による名を持つことが、ある個人が特定の家系に属していることを明らかにする効用があったというのである。
中卒アスペニート @mmmnvivi
つまりある人が「カール」という名前を持つことは、カール・マルテルや大帝を輩出した集団(後世にはカロリング家と呼ばれる一族)に所属していることを示唆し、アイデンティティとなる。そのような効用の方が、親族間での区別がしづらいなどの問題よりも、よほど当人たちには大きなメリットだったのだ
中卒アスペニート @mmmnvivi
現代の我々にとって名前は、「自分だけのもの」であるから意味があるので、基本的にはただ一人に固有だからこそアイデンティティとなる性質を持っている(だから同姓同名の人が見つけると少し変な感じがする)。しかし中世人のアイデンティティは、そのようなあり方ではなかった。
中卒アスペニート @mmmnvivi
中世では「自分だけ」であることよりも、自分がどのような親族集団に属している存在なのか、それがアイデンティティになった。多くのカールの中のカールであるからこそ意味があるのであって、「区別しづらいのになんでこんな名付け方をするのだ」という疑問が、そもそも現代人の想像力の限界だったのだ
中卒アスペニート @mmmnvivi
とはいえ、同時代にも区別しづらいという問題は生じないわけではなく、特に多数の王侯が登場する歴史書などではそれが顕著になる。そこで生み出されて受け継がれてきたのが「あだ名」であり、その実態はどのようなものであったかっていうのがこの本の主題です。
ナウゼりん(遺伝子組み換えではない) @nauselin
@mmmnvivi やっと結論に辿り着いた! と思ったら、スタート地点を言い終わっただけだった!!

コメント

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