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防衛省・市ヶ谷台ツアー(平成30年6月)

平成30年6月某日。 防衛省・市ヶ谷地区の見学 「市ヶ谷台ツアー」 午前の部の参加ツイレポ
市ヶ谷台ツアー 市ヶ谷 歴史 防衛省 市ヶ谷台
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
【市ヶ谷台ツアー】 6月某日。 縁あって防衛省・市ヶ谷地区の見学、通称「市ヶ谷台ツアー」(mod.go.jp/j/publication/…)に参加してきましたので、そのときのレポを以下に。 pic.twitter.com/h2HCwyQY0i
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リンク www.mod.go.jp 1 user 6 防衛省・自衛隊:市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)の御案内 市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)では、市ヶ谷地区内に所在する庁舎や極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷となった大講堂などを移設・復元した市ヶ谷記念館などを御案内しています。
リンク Wikipedia 3 users 防衛省市ヶ谷地区 防衛省市ヶ谷地区(ぼうえいしょういちがやちく、Ichigaya Area)または防衛省市ヶ谷庁舎(ぼうえいしょういちがやちょうしゃ、Ichigaya Building)は、東京都新宿区市谷本村町5-1に所在する防衛省施設。陸上自衛隊においては市ヶ谷駐屯地(いちがやちゅうとんち、JGSDF Camp Ichigaya)、海上自衛隊においては市ヶ谷地区(いちがやちく)、航空自衛隊においては市ヶ谷基地(いちがやき..
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー 通常は1回のツアーで多いときは60人から100人ほど集まるという人気の見学会。私が参加した日は団体のキャンセルがあったとのことで、なんと10人ほどの少人数ツアー。「皆さんラッキーですよ。ゆっくり案内できます」と案内の方からご挨拶があったぐらいの少人数だったようで。 pic.twitter.com/eiQHEVcer8
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市谷台ツアー 見学時は撮影可能エリアと撮影不可エリアがあり。もちろん掲載していく写真は撮影可能なところのみ。 私が参加したのは午前の部。午前の部はメモリアルゾーンの見学があり一番興味深く。午後の部は月~木は広報展示室見学、金は防衛研究所見学ということで3パターン(他も気になる… pic.twitter.com/eoQ6aoyYSm
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市ヶ谷台ツアー 庁舎A棟前の「儀仗広場」 来賓がいらっしゃると、この広場で儀仗隊が儀仗を行ってますね。 広場の「日の丸」は、雨の日は晴れの日の3/1の大きさになったり、祝日はもう一回り大きいものになったりするらしい。 pic.twitter.com/MKE35Erg9i
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市ヶ谷台ツアー 庁舎A棟前の「儀仗広場」の下側。 木々の中に見える「石灯籠」、実は「地下壕の通気口」でもあるんだとか。カモフラージュ。 地下壕は4メートルのコンクリート壁で守られ、地下14メートルに3本掘られており、地下には炊事場や食堂なども設けられていたという。 pic.twitter.com/NrbSnGHA5s
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市ヶ谷台ツアー 地下壕の発掘調査などは、このあと訪れる「市ヶ谷記念館」内での展示コーナーで知ることができます。 pic.twitter.com/SYlNi7OREt
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー 展示機。 市ヶ谷ツアー内で唯一の自衛隊装備品見学w UH-1H ひよどり pic.twitter.com/X3gZf02YyT
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」 昭和12年(1937)陸軍士官学校本部として1号館が建設。その後、士官学校は座間、予科士官学校は朝霞に移転し、昭和16年に大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部が市ヶ谷台に置かれた。終戦後はGHQに接収され極東軍事裁判法廷として使用。1998年に一部を移築復元し現在に至る。 pic.twitter.com/vjkaiEoSGk
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リンク Wikipedia 1 user 4 陸軍士官学校 (日本) 陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう、陸軍士官學校)は、大日本帝国陸軍において現役兵科将校を養成する教育機関(軍学校)のこと。通称・略称は陸士(りくし)、士官学校。英語圏では、Imperial Japanese Army Academyとして知られている。 大日本帝国の「陸軍士官学校(陸士)」は、帝国陸軍の現役の兵科の将校となる者を養成する学校である。「現役」とは役種の一種であり、原則..
リンク Wikipedia 1 user 2 大本営 大本営(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸命、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部としての機能を持つ。本来「本営」とは総司令官が控える場所(中世の本陣と同義)で、これを更に仰々しい名にしたもの。 日清戦争..
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市ヶ谷台ツアー 「市ヶ谷記念館」 当記念館は、旧1号館の解体に伴いその象徴的部分とされる玄関前車寄せ、旧大講堂、旧便殿の間、旧陸軍大臣室を復元した建物であります。 pic.twitter.com/sxYYk8cNqk
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市ヶ谷台ツアー 「市ヶ谷記念館」大講堂 昭和9年に「陸軍士官学校・大講堂」として作られ、終戦後の昭和21年5月から昭和23年11月までの間は「極東国際軍事裁判(東京裁判)」の法廷としても使用された空間。 復元は裁判当時の姿ではなく、戦前の陸軍大講堂の姿、ゆえに玉座もある。 pic.twitter.com/NPHio7MQJt
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市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 玉座の場所に通訳ブース、その正面が特別傍聴席など。 向かって左が裁判官席、右が被告席。 撮影位置(講堂入口)は傍聴人席(2階)及び記者席(1階)から。 現在の姿と裁判当時の写真を ※写真はWikipedia~極東国際軍事裁判~より upload.wikimedia.org/wikipedia/comm… pic.twitter.com/4IFDNLPewh
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リンク Wikipedia 6 users 135 極東国際軍事裁判 極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、英語: The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。東京裁判(とうきょうさいばん)とも称される。..
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市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 玉座側から。東京裁判当時は通訳ブースが置かれていた。 玉座から見た視点は遠近法が使われている。 本来は2階席は 陛下の玉座より高い位置にあるものの、玉座の 陛下からは2階が高く見えないように工夫されている。入り口の大扉も小さく見せる工夫あり。 pic.twitter.com/IeN1mlmVeE
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市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 大講堂入構時に映像「市ヶ谷台の歩み」を視聴。著作権の兼ね合いで撮影は禁止。まずはこの映像で市ヶ谷台の歴史を学びます。 大講堂内は映像と展示物(著作権に関わるもの・撮禁表示有)の一部撮影禁止。 また撮影可能であってもフラッシュの使用は禁止。
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 パンフレット「市ヶ谷記念館 市ヶ谷台の歩み」 写真を撮ったものもあれば撮り忘れたものもある(!)ので、先にパンフレットを参考資料として置いておきます。 ツイは補完ネタ(?)を展開と言うことで、また続きはのちほど。 pic.twitter.com/4SurWN50GM
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市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 玉座。玉座の床は箱根の寄木細工。強度を保つためという。 そして玉座へ至る 陛下専用の階段。 写真では伝えにくいが、 陛下が階段を上がり易いように最初の段には中央に盛り上がりが、上部4段は中央に窪みが施されているという。 pic.twitter.com/qGRrmwfnb8
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 大講堂1階に歴史的な展示物が並んでいるので個人的な興味で幾点か紹介して見たいと思います。 「阿南惟幾陸軍大将 御着用の軍服(冬服)」 阿南陸軍大臣の冬服は市ヶ谷台にあり、そして夏服は靖國遊就館に。 pic.twitter.com/kaH6yxXcC9
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リンク Wikipedia 6 users 187 阿南惟幾 阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将勲一等功三級。 1945年(昭和20年)4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。太平洋戦争(大東亜戦争)末期に降伏への賛否を巡り混乱する政府において戦争継続を主張したが、聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、8月15日に割腹自決。日本の内閣制度発足後、..
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台には後述しますが「メモリアルゾーン」があり、一角に「阿南惟幾荼毘の碑」もある。見学は不可でしたがパンフを戴きました。(不可だった理由も後述) 終戦の8月15日に陸軍大臣として三宅坂官舎で自刃された阿南大将の遺体は15日夜に荼毘に。再整備時にその地にあった碑を移設。墓は多磨霊園に。 pic.twitter.com/aTCOPM4uxy
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伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
市ヶ谷台ツアー「市ヶ谷記念館」大講堂 ガラスの反射が制御できませんでしたが… 加藤隼戦闘隊 加藤少将の銅像の原型  加藤建夫陸軍中佐(戦死後に陸軍少将) エンジンの音 轟々と 隼は征く 雲の果て 翼に輝く 日の丸と 胸に描きし 赤鷲の 印はわれらが 戦闘機 pic.twitter.com/pPXtgovfD9
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