10周年のSPコンテンツ!
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ゆうき まさみ @masyuuki
もうなんと言いますかね、30年以上前の、単行本10巻に満たなかった初週刊連載作品から食堂のメニューは出来るわ記念碑は立つわ、そうかと思えばアマチュア時代からの妄想がなんと実現した上に、30年経って記念日にはなるわで、驚くばかりなのです。
ツイートまとめ 田切駅に『アニメ聖地巡礼の地』記念碑が設立。気になる作品名は裏書にアリ しかし少年よ、これだけは覚えていたまえ。 「人間負けてしまったら負けだぞ」 39366 pv 363 30 users 1263
ツイートまとめ 「究極超人あ~る」新企画に「30年前、10巻未満の作品なのに…」と作者のゆうきまさみ氏感慨→当時のファンの思い出が続々 この作品とキャラクターが、なぜこれほどにまで長く愛されているのか?というのは色々考察していくとまた面白いかと思いますが、リアルタイム世代の反響もまた懐かしいですね。 46838 pv 306 61 users 213
おざわ⋈5556 @N_Ozawa_
@masyuuki おかゆライス、「ご好評より完売」でございましたw pic.twitter.com/gXCpju9l8P
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みかさよしの @mikasayoshino
@masyuuki おめでとうございます。当時からのファンとしても感慨深いです。 「CMネタはすぐ風化するぞ」と言われてましたが、あ~る自体ははエバーグリーンですな… 自転車に轟天号と名付けたり、友達とキャンプにいっておかゆライスを作ったり、夜中にイメージアルバム聴いて大爆笑したり、そんな中学生でした。
おかゆライス、実は明治時代に食されていた
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
明治38年の月刊食道楽の記事「浪速」園部紫嬌によると、大阪では白かゆを冷飯にかけた「おかゆライス」を朝食に食べていたそうです。 twitter.com/masyuuki/statu…
向川まさひで @muka_jcptakada
@ksk18681912 そういえば、大正8年生まれだった祖父・祖母も、日常的に茶粥または白粥をご飯にかけて食べてましたね。単に、加齢で硬いご飯が食べにくくなっているだけかと思いましたが、昔からの習慣だったのかもしれません。
NopUC@ハルカゼ㌠ @NopUC
@ksk18681912 @tyurukichi_AA 私の父(当時大阪市内在住)も幼少(戦前昭和)の頃、当時の朝食として冷やご飯に暖かいお粥をかけて食べていたと言ってました。職人の若者は腹持ちが良いように殆どお粥をかけずに山盛りの冷やご飯を食べててそれを笑っていたと話してました。
koz @kozawy
@ksk18681912 #大和の茶粥 なら、冷やご飯が熱い #茶粥 を丁度いい塩梅に冷ましてくれて(夏なら冷蔵庫で冷やして)美味しいですよ。茶粥は塩を入れるので冷やご飯だけでも美味しい。
クジャクオオカミ @peacockwolfs
@ksk18681912 実在メニューだったのか、おかゆライス……
かオナシ @kanayang2009
@ksk18681912 おかゆライス…むかし家庭科の授業でやって怒られたやつや。
hebumosu @hebumosu
@ksk18681912 おかゆライス…連載当時、あらゆるおかずで白飯を食せた自分に驚愕を与えたメニュー!Σ( ̄□ ̄)!
更に詳しく語られる「おかゆライス」
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
昨日、大阪では明治時代に白粥を冷や飯にかける「おかゆライス」を食べていましたよ、という資料を提出したところ、大きな反響をいただきました。 そこで、なぜ「おかゆライス」なる食べ方が生まれたのか、について話をしたいと思います。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
一つ一つにお答えすることはできませんが、昨日は自分が、両親が、祖父母が実際におかゆライスを食べていた、という体験談や伝聞が多く寄せられました。 地理的には、近畿生まれの方の体験が多いように思います。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
資料的にも、「おかゆライス」が登場するのは近畿諸県においてです。 近畿の衣と食(堀田吉雄)によると、河内から和泉、北河内や北摂において。 聞き書き明治の子ども遊びと暮らし(藤本浩之輔)によると奈良と大阪において。 聞き書 京都の食事では、和束町において。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
いずれも、茶粥を冷や飯にかけるパターンが多いです。白粥をかけるパターンは少数派です。 さて、おかゆライスはもともと粥を常食とする近畿圏において食べられていました。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
守貞漫稿は1830年代から幕末までの、江戸、大坂、京都の風俗について書かれた本です。 この三都の通常の食事の違いについて、次のように書かれています。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
まず、京都と大坂は昼飯の時に一回だけご飯を炊きます。温かいご飯が食べられるのは昼飯のときだけ、夕飯と朝飯は冷や飯です。 江戸では朝1回だけご飯を炊きます。昼飯夕飯は冷や飯です。 pic.twitter.com/OTsrun6NXY
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近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
大人数を養う大商店でもないかぎり、三都とも炊飯は日に一回です。 民俗学者の宮本常一によると、複数回に分けて炊くと燃料代(薪代)が余計にかかるからだそうです(食生活雑考)。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
米を研ぐにも、3回に分けるとそれだけ余計に時間がかかります。 竈に薪をくべてご飯を炊くときには、かかりきりで見張らないと生煮えになったり焦げたりします このように炊飯は時間を大いに消費する作業でしたので、1日1回で済ませたかった、という理由もあるのでしょう
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
というわけで、1日3食のうち、2回は冷や飯になります。 冷や飯を食べやすくする方法として、茶漬けがあります。19世紀の都市部の人間は、頻繁に茶漬けを食べていたのです。 ただ、冬になると、ご飯は冷え切って固くなりすぎるので、お茶をかける茶漬けでは食べにくくなります。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
江戸では朝に炊飯し夕飯には食べ尽くすので、冬でもご飯はさほど冷え切らず固くもなりません。茶漬けで処理することができます。 しかし、京坂では昼に炊飯するので、朝食に昨日のご飯を食べる頃には、長い夜のうちに冷え切って固くなってしまいます。
近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」発売中 @ksk18681912
そこで、京坂の冬の朝食は、ご飯自体を煮なおす、つまり粥にする必要がでてきます。 守貞漫稿では夕飯も粥のように書かれていますが、これは間違いのように思います。 明治時代以降の事例を見るかぎり、京都大阪の粥はあくまで朝飯に食べるものです。 pic.twitter.com/HOCJqUiNF2
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コメント

いかおとこ @mororeve 2018年8月1日
近代食文化研究会は他のツイートも面白いよ。
鑑真ファイヤー @oho2564 2018年8月1日
大阪の祖母から聞いたことがあるな。昔はわりとお粥ライス食べる人いたって。
おざわ⋈5556 @N_Ozawa_ 2018年8月1日
まとめありがとうございます。
Mondebrille @Mondebrille 2018年8月1日
ご飯から作るタイプのお粥なのかあ。食べてみたい
mlnkanljnm0 @kis_uzu 2018年8月2日
「大阪ではおかゆライス」さすがお好み焼きをおかずにご飯を食べる大阪人だけのことはあるな。
フルグラ美味しい @frugura 2018年8月2日
中国の朝食が粥ってのも、同じ理由だったんだろうか?禅宗では修行場での朝食が粥だけど、昔の関西出身者には違和感が無かったんだろうなあ。
【復活!】ねねっとテックダイナー【スマホゲーム発売中☆】 @nenet_techdiner 2018年8月2日
そういえば、朝粥って言葉を聞いたことが有るね。いろいろ事情があるんだね。
憑かれた大学隠棲:再稼働リプレイスに一俵 @lm700j 2018年8月2日
電子レンジ登場以前に冷や飯をどうやって暖めてたのかってのが謎だったけど、こういう方法もあったのか
あぶらな @ab_ra_na 2018年8月2日
しかしさすがにカレーフラッペはあるまい。
あぶらな @ab_ra_na 2018年8月3日
barubaru14 明治じゃないじゃないか…
かりかりうめ @karikariume_3 2018年8月5日
母がするお粥ライスの歴史がわかった
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