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文庫本1冊分の短編集だけから、小説家梶井基次郎の人格を再構築することは可能かどうかについて

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生命情報保存研究所 @rodan670

梶井基次郎は大正末から昭和初期に活動した小説家で、自身の感覚をそのまま文字化した作品のほかに、いくつかの私小説でも知られる。梶井は結核のため31歳で夭折しており、残された作品は文庫本1冊に収まる程度に過ぎない。そのわずかな作品群だけで、梶井の人格を再構築することは可能か?

2018-07-22 15:09:44
生命情報保存研究所 @rodan670

ここでは、複数の出版社から発行された文庫に共通して収録されていることの多い、複数の短編を分析対象とする。以下その一覧

2018-07-24 06:49:04
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「檸檬」「蒼穹」「筧の話」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「橡の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「器樂的幻覺」「冬の蠅」「ある崖上の感情」「櫻の樹の下には」「愛撫」「闇の繪巻」「交尾」「のんきな患者」

2018-07-24 06:49:11
生命情報保存研究所 @rodan670

このうち、特に梶井基次郎の人格を復元する材料に富む、私小説的要素の強い作品は「泥濘」と「のんきな患者」である。泥濘はもとより鬱屈した精神状態にあり、さらには放蕩のたびに両親に出費させてしまうことへ罪悪感を覚える梶井の分身と見られる男が、

2018-07-25 06:53:13
生命情報保存研究所 @rodan670

やはり家元からの仕送りを受け取り散在する過程の出来事を描いた作品である。また「のんきな患者」は肺結核に倒れた梶井基次郎が最後に世に送り出した作品で、彼の分身と見られる男の療養の日々が描かれている。

2018-07-25 06:53:26
生命情報保存研究所 @rodan670

これに対し、空を見上げながらあふれ出た感情をそのまま文字化した「蒼穹」、同じく闇に覚えた感触を描いた「闇の絵巻」は、単なる感覚的な事柄のみが書き連ねられ、梶井の人格を特定固定する上での具体性に欠く。

2018-07-25 07:08:04
生命情報保存研究所 @rodan670

またKという謎の友人の自殺を描いた「Kの昇天」、桜の花が美しいのはその下に死体が埋まっているからだという事項のみを描き続ける「櫻の樹の下には」などは幻想小説のカテゴリであり、フィクション性が強いためやはり梶井の人格を明確なものにする上では適切ではない。

2018-07-25 07:10:45
生命情報保存研究所 @rodan670

梶井においてもっとも有名な作品である「檸檬」は、このなかで独特な立ち位置にある。「檸檬」は作品としては感覚小説の部類である。病におかされ、鬱屈した心理状態にある主人公が街に買い物に出かけた際、見つけたレモンに惚れ込み、それを爆弾に見立てて丸善に放置し去ることで、

2018-07-26 06:21:30
生命情報保存研究所 @rodan670

精神的な救いを得るという内容となっている。丸善におけるくだりは耽美的であり、そのため小説の上からはそれが実際にあった出来事であるのかフィクションであるのか判別することは難しい。

2018-07-26 06:32:17
生命情報保存研究所 @rodan670

しかしこの核たる部分に隠れる形で、「檸檬」には梶井の分身と思われる主人公の病状や、それにまつわる当人の感触、ふさぎこむにいたった経緯、嗜好など、梶井基次郎という人格を特定する上で有用な、具体的な記憶や思考回路を随所に散りばめた、私小説的要素も持ち合わせている。

2018-07-26 06:34:19
生命情報保存研究所 @rodan670

梶井基次郎において、おそらくはあまり有名ではない「泥濘」という短編は、しかしながら梶井という人間が何者であったのかを特定するための具体的要素を、際立った濃度で記録している作品でもある。

2018-07-28 18:39:55
生命情報保存研究所 @rodan670

梶井が仕送りの為替を受け取りに出かけた日に起きたこと、気象、出会った人物、使った交通手段と経路、入った店、買ったもの、食べたもの、そしてそれらに対する当の梶井の心情などがこれにあたる。作品は最終的に、退廃的な日々を送りつつ、浪費を繰り返す己が行いに関する、

2018-07-28 18:52:19
生命情報保存研究所 @rodan670

母親への罪悪感へと切り込んでいく。実際に梶井は、自らの散財について強い後悔の念を抱いていたことが知られており、この作品は親への贖罪の念、そうでなくとも何らかの強い思を込めて綴られたものであると考えられる。強固な思いは、それを誘発した一日の出来事も芋づる式に鮮明に記述させる。

2018-07-28 18:55:59
生命情報保存研究所 @rodan670

「泥濘」と並んで具体性の強い「のんきな患者」は、結核の悪化した梶井がその最末期に記した短編である。作品では梶井の分身である主人公の療養の日々、病状、それに対する感情と思考、先述の母親との会話、死んだ近所の娘に関する記述、過去の思い出等がその要素にあたる。

2018-07-28 19:23:02
生命情報保存研究所 @rodan670

あらゆる内容は梶井にとっての現実に立脚している。「Kの昇天」や「櫻の樹の下には」に見られたファンタジー性が入り込む余地はまるでない。しかしながら「Kの昇天」「櫻の樹の下には」「のんきな患者」の三篇には、

2018-07-28 20:08:07
生命情報保存研究所 @rodan670

いずれも若くして病に冒された梶井にとって極めて大きなテーマであった「死」を扱ったものであるという共通点がある。その中で、「Kの昇天」および「櫻の樹の下には」がフィクション性を交え死を美化しているのに対し、「のんきな患者」において「死」という事象はひどく淡々と描かれている。

2018-07-28 20:10:18
生命情報保存研究所 @rodan670

「のんきな患者」は結核が進行しいよいよ梶井が死を直視せざるを得なくなった時期に記されたものである。「Kの昇天」や「櫻の樹の下には」と異なり、「死」をすぐそこまで迫った絶対的な現実として認識したとき、梶井において残すべきは己に関する真なる情報であったのかもしれない。

2018-07-28 20:17:07
生命情報保存研究所 @rodan670

梶井基次郎の例からは、人間は己に関する現実に関し、とかく強い念を持って筆をとった場合に、その詳細な実像を明確に保存しやすくなることが見て取れる。梶井が生前残した作品は文庫本1冊にとどまるに過ぎないが、

2018-08-01 11:45:49
生命情報保存研究所 @rodan670

そのうちのわずか2編だけから、「若くして肺を病んで鬱屈とした日々を送りつつ、放蕩を繰り返しては後悔し、最後は病を真正面から見据えて果てた男」の姿を回収することができる。これは伝記などから伺える梶井の実像とほぼ一致する。

2018-08-01 11:47:40
生命情報保存研究所 @rodan670

これに対し「Kの昇天」「櫻の樹の下には」に代表されるような、切に現実を描く必要性に迫られていない、その意味である程度の余裕を持ち合わせていた際に記された「芸術的」作品においては、回収されうる本人を特定する具体的要素の濃度は薄められる。

2018-08-02 11:19:17
生命情報保存研究所 @rodan670

それは作者の精神性を反映する内容であっても、読むものによって解釈の幅ができてしまうため、当人の実態像を固定する材料として使用するには難がある。ただ、その中にあっても、重複する箇所を見つけることにより、その人間の軸となる思考を特定することはできる。

2018-08-02 11:25:28
生命情報保存研究所 @rodan670

例えば、同じく幻想的な内容を含んだ梶井の短編「闇の絵巻」においては、夜道、自分の前方を歩きながら闇の中に消えていく男を見つけ、それを自分に見立てる挿話が入れられているが、上記の泥濘においても、梶井は夜道を歩く自分の姿を自分とは別の視点から眺めるというアイデアを記している。

2018-08-02 11:34:56
生命情報保存研究所 @rodan670

小説以外の書簡や日記、知人の証言などを総合した研究の結果、梶井は自我分裂(ドッペルゲンガー)に関する幻想に魅入られていたらしいことが明らかとなっているが、その精神性の片鱗は、このように小説内のわずかな重複箇所からも回収可能である。

2018-08-02 11:37:50