- quantumspin
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拙論〝『都市伝説パズル』と後期クイーン的問題〟を日本推理作家協会ホームページに掲載いただきました。 mystery.or.jp/review/index.h…
2017-12-14 19:48:29後期クイーン的問題という語は笠井さんが『十日間の不思議』に見られる本格形式の自壊を論じた事に端を発するというのが通説ですが、それに先行する法月さんはむしろ初期クイーン(シャム双子の謎)に本格形式の自壊をみているわけで、法月さんは『十日間』をどう位置付けているかが気になります。
2018-07-27 13:53:33『シャム双子の謎』で古典本格形式を解体したクイーンが、『災厄の町』であらたなミステリの可能性を切り開いたというのが『一九三二年の傑作群をめぐって』の結論だった筈で、仮にその説が正しいとすると、『十日間の不思議』はもはや本格形式の自壊以上の意味を持っていなければならない事になります
2018-07-27 13:59:13笠井さん流に言うと、『災厄の町』は「誰がメタレベルに立てるのか」という「垂直に向かう」操りテーマ(≒後期クイーン的問題)を「水平に横滑りする」問題として扱った話という事になっています。拙論『『都市伝説パズル』と後期クイーン的問題』の言葉ではこれを『横並び』と書きましたが。
2018-07-27 14:34:39しかし、クイーンがこの「水平に横滑りする」操りによって後期クイーン的問題を脱却しようとしたのであれば、なぜ『十日間の不思議』で「垂直に向かう」操りテーマに戻って来たのでしょうか。笠井さんが『探偵小説論』で行った議論にはこの論点が欠落しています。
2018-07-27 14:40:35逆に、笠井さんのおっしゃるように、クイーンが『後期クイーン的問題を方法的に自覚』したのが『十日間の不思議』であるならば、法月さんの『災厄の町』論と矛盾するわけですから、何故、笠井さんは自論と整合するように『災厄の町』論を構築し、法月さんに反論しなかったのかが気になりますかね。
2018-07-27 14:57:16法月さん流の後期クイーン的問題への応答が『生首』から『挑戦者たち』に至る「水平に横滑りする」物語だったわけですが、『挑戦者たち』と『シャム双子の謎』との関係についてはもう少し触れられてもよさそうとは感じます。
2018-08-04 15:21:42『シャム双子の謎』が挑戦不能に陥ったのはダイイング・メッセージや偽手掛かりに込められた犯人の意図の解釈を唯一に定められない事と関係しているような気がしていますが、これは言い換えれば、それぞれの解釈に対応した挑戦状を挿み込む事もできたとも言えそうです。
2018-08-04 15:28:24実際に『スペイン岬の謎』などは、解決編で描かれる以外の真相を導き出す事もできそうな気がしていますが、現実に挑戦状は一通しか挿み込まれていません。ではその他の挑戦状はどこへ行ってしまったのか。『挑戦者たち』は、横滑りする真相の各々に応じた挑戦状の存在を示唆するもののようにも思えます
2018-08-04 15:34:20言い換えれば『シャム双子の謎』は、挑戦状が無数に挿み込まれているが故に挑戦状が消失してしまっている、という逆説的状況であると、『挑戦者たち』が教えているようにも感じられます。そういえば法月さんは対消滅という物理現象を好んで作中に用いていましたね。
2018-08-04 15:38:31あと『怪盗グリフィンとラトウィッジ機関』が『垂直に向かう』操りテーマと『水平に横滑りする』問題とを掛け合わせた問題を扱っている点なども掘り下げていくと面白そうです。
2018-08-04 15:52:27『挑戦者たち』の挑戦状の中に、真の挑戦状があったりすると面白いものかもしれませんね。それ以前の挑戦状が問題編、それ以降の挑戦状が解答編といったかんじで、『挑戦者たち』はれっきとした犯人当て小説になっているみたいな話
2018-08-04 21:50:07推協評論では『横並びの批評』という語を批判されてしまいましたが、今にして思えば、批評は本質的に『横並び』であって、『横並びでない批評』をイメージし難いという点において、批判は当たっているような気がしています。
2018-08-04 22:01:54