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イギリスのEU離脱国民投票や、アメリカ大統領選挙をきっかけに注目された「ポストトルゥース」という概念だが、「真実」はなにかに関係なく、人々がそれぞれの情報源に基づき、時に感情的に選んでいくという時代精神は、インターネットの論理的な帰結である。
2018-08-10 06:08:04「真実」を、政府やメディアが提供する、しかしその「真実」はよく吟味された、フェアなものでなければならないという「幻想」は、情報回路が限られているという状況と適合的だった。ネットで情報回路が拡大化した後には、そのような前提を保つ事自体が困難である。
2018-08-10 06:09:23一つの問題をめぐって、多くの「真実」があり、価値観があるというのは、人々の判断力や倫理観の欠如の結果ではなく、単に誰もが発信し、選択して受け止められるというインターネット時代の情報構造の論理的帰結に過ぎない。つまり、「ポストトルゥース」はずっとここにあり続ける。
2018-08-10 06:10:41「メジャー」ということの定義も変わる。極論すればもう「メジャー」はなくて、「ロングテール」があるだけである。その「ロングテール」の海の中で一人ひとりが泳いでいる。何に注目し、何についていくかということは、個々人の感性に基づいて決めていくしかない。「ポストトルゥース」の感性だ。
2018-08-10 06:11:54「ポストトルゥース」の感性においては、正解は上や他人から与えられるものではなく、自分自身で選ぶものである。権威やヒエラルキーは、全時代の残照に過ぎない。すべてがフラットで、自分はその万華鏡のような色の中に漂うという自己認識ができるかどうか。その自由に耐えられるかどうか。
2018-08-10 06:13:29たった一つの「真実」や、「メジャー」なものへの幻想を断ち切った人こそが、「ポストトルゥース」時代における感性を磨くことができる人になる。どんな道も可能であるが、自分はこの道を行くという強さを持つことができるか。私たちは二度と「ポストトルゥース」以前に戻ることはないのだ。
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