8/16 伊達成実木像御開帳

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日光81 @nikko81_fsi

相当強引なスケジュールでしたが、無理矢理やってきました。今日だけだもん。 pic.twitter.com/3cZseVrtvx

2018-08-16 12:51:56
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日光81 @nikko81_fsi

詳しいツイートは後ほど。伊達成実御霊屋御開帳。解説聴けてなかなか楽しい。 pic.twitter.com/NzA1HaaY6G

2018-08-16 15:03:20
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日光81 @nikko81_fsi

大雄寺、元は雄山寺というそう。というのも三代藩主伊達綱宗の戒名とかぶることでこれを避けたらしい。成実の院殿号も雄山寺殿から大雄寺殿に変わってるとか。そもそもの始まりは成実が父である伊達実元の位牌を奉じて、陽林寺から菩提寺を移したことに始まる。

2018-08-16 15:26:32
日光81 @nikko81_fsi

実元の戒名に「雄山」とあることから雄山寺にしたのだろうけど、大雄寺にしたことで、成実だけでなく実元まで戒名変えられてるのがおもしろい。綱宗なんでかぶらしたの…w twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-16 15:27:48
日光81 @nikko81_fsi

本堂は明治30年建立。北海道に移住した亘理伊達家や亘理の皆様の浄財で建てられたが、庇が言われてみれば歪に大きく、また彫刻が素晴らしいのに母屋が微妙に小さく、また装飾に乏しい。旧本堂のものか仮本堂のときにつくられたか、ハッキリしないらしい。

2018-08-16 15:32:30
日光81 @nikko81_fsi

山門は江戸時代末期に再建。これも板葺が瓦葺に変えられ、東日本大震災の前には傾きかかっていたのを前年に修理し、旧態に復した(工事してた時に行ったね)のが幸いし、大地震にも倒壊せずに済んだとの由。

2018-08-16 15:34:53
日光81 @nikko81_fsi

敷地は亘理氏時代の小堤城跡。亘理伊達家の墓所まわりの切り立った崖はいわゆる城の切岸といえるものとか。亘理氏治世の末期には臥牛城に移している。

2018-08-16 15:38:52
日光81 @nikko81_fsi

伊達成実霊屋。建てられた時期は判然としないが様式等から江戸時代初期ではあろうとのこと。裏手には後室である岩城御前とその子らと思しき墓があったらしい。

2018-08-16 15:50:32
日光81 @nikko81_fsi

目的だった伊達成実像。没後約70年後の正徳5(1715)年に製作。その約百年後の文化6(1809)年に修復。おもしろいのが修復したときの記録がきちんと残ってるそう。問題は像の下には踏板に文章が書きつけられた時なぜ正徳年間に製作されたとわかったのか?

2018-08-16 15:55:24
日光81 @nikko81_fsi

今回像の修復を行うに当たり、寄木造の各パーツを外してみると首を外して胴内を確認すると「大仏師友学倅内匠 作之 乙未正徳五年七月吉日」とあり、踏板に「御胴中有」とはこの文言を指してるのだろう、とのこと。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-16 15:59:20
日光81 @nikko81_fsi

伊達成実像の毛虫。確かに言われると毛虫というかムカデというか…百足に見える部分は毛虫の彫刻と色合いや材質が合わず、結合部の接着剤もかなり新しいらしいということも判明。大正時代の写真でも当時の形は判然としないものの、残された兜の前立の如くフサフサした毛虫だったのでは?と。

2018-08-16 16:36:30
日光81 @nikko81_fsi

伊達成実霊屋の隣には五代実氏、成実父で亘理伊達氏始祖とする実元の霊屋…ではなく位牌堂。実元墓は成実が元の菩提寺陽林院にあるため、御霊屋ではない。できたのも天保7(1836)年と新しく、実元二百五十回忌に建てられた。五代実氏は享保2(1717)没、亘理伊達氏中興の祖として慕われた人。

2018-08-16 16:44:32
日光81 @nikko81_fsi

成実霊屋、実氏霊屋が修復されたのに続き、実元位牌堂も修復計画あり。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-16 16:46:31
日光81 @nikko81_fsi

伊達成実木像。猛将と名高い成実だが柔和な表情で、部下にも心遣いをしていたと伝わるエピソードを彷彿とさせる。兜の吹返がデカイのが気になる。位牌に五三桐なのはどういうことだろう? pic.twitter.com/qA1XB91OCc

2018-08-16 19:14:27
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日光81 @nikko81_fsi

成実霊屋内。立派な障壁画に格天井。すばらしいね。 pic.twitter.com/QOdghWHUiA

2018-08-16 19:15:50
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日光81 @nikko81_fsi

伊達成実公生誕450年幟がかっこよすぎた。 pic.twitter.com/Ee0JuiwVPY

2018-08-16 19:16:44
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亘理獅子。獅子が舞い、太鼓を打ち鳴らす。成実後室の岩城御前の入室時にかの地からもたらされたという。 pic.twitter.com/U7fkLQI3PE

2018-08-16 19:19:14
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日光81 @nikko81_fsi

おもてなし武将隊の成実殿。成実meets成実。 pic.twitter.com/M1GDSbz2nM

2018-08-16 19:20:22
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日光81 @nikko81_fsi

伊達実元位牌堂にて、伊達実元位牌、新旧比較。確かに古い位牌には雄山英公大居士とあり、古名雄山寺が実元の戒名「雄山」にちなむことがわかります。変更は雄山→傑山。古い方には院殿号がありませんが前兵部とあります。新しい方は二百五十回忌に位牌堂ができたときに新しくつくられたのかな? pic.twitter.com/Q4rFCdkvwy

2018-08-16 19:26:19
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日光81 @nikko81_fsi

ちなみに、 伊達稙宗=直山 伊達晴宗=保山 伊達輝宗=性山 伊達政宗=貞山 てことで、歴代伊達氏も○山なんですね。武田家も機山しかり、泰山しかり歴代○山なんですけども。この○山って何か共通した意味があるんですかね? twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-16 19:31:15
日光81 @nikko81_fsi

そしてすごい興味を惹かれたのが、この位牌。高佃寺殿左京兆直山乂公大居士。直山…そう、これ伊達稙宗の位牌。伊達稙宗は息子晴宗と争い隠居に追い込まれますが、どうやら晴宗もさらに孫の輝宗も供養をした形跡がないらしいのです。稙宗三男だった実元、そしてその子成実が弔っていたのでは、と。 pic.twitter.com/2ZZXtS6Xpz

2018-08-16 19:42:45
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日光81 @nikko81_fsi

後に政宗が稙宗の菩提を弔いますが、今主に伝わる「智松院殿直山圓入大居士」は政宗の代で付けられた戒名。智松院は政宗が建てています。それまでは稙宗の血を受け継ぐ実元が弔い成実もまたそれを受け継いでいたんですね。亘理伊達家の歴代当主の法名帳の最初に稙宗があるのがその傍証になるのかも。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-16 19:48:33
日光81 @nikko81_fsi

この父子で争ったことと菩提を弔うかどうかの話、すきあらば武田と比較するアタマの悪い日光はすぐに武田信虎の葬儀を思い出しましたね。法語も残されていなくて腫物に障る感覚で勝頼は葬儀を執り行ったのでは、というアレ。

2018-08-16 19:52:17