2011年4月20日

北野武「ソナチネ」と村上春樹「神の子供らはみな踊る」(補完ver.)

北野武「ソナチネ」と村上春樹「神の子供らはみな踊る」(補完ver.)
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ヤポンスコ @yusukeskinjp

んー…ちょっと疲れてるけど、哲学ツイートするかなぁ…

2011-04-17 13:46:42
ヤポンスコ @yusukeskinjp

北野武「ソナチネ」から村上春樹。

2011-04-17 13:47:53
ヤポンスコ @yusukeskinjp

まずは……自分のいる位置について。。自分が今いる位置は正確にはどこなのか…?…これは宇宙の外側はどうなっているのかとか考えると、もう自分のいる位置についてはさっぱりわからないということになる。

2011-04-17 13:57:53
ヤポンスコ @yusukeskinjp

位置の定義についてももう少し分かりやすく。今の位置は、地球上の経度と緯度から割り出せる。宇宙全体が把握出来れば、そこから自分の位置を割り出せる。しかし、宇宙はまだ把握されてないし、宇宙の外側はわからない。

2011-04-18 22:58:48
ヤポンスコ @yusukeskinjp

すなわち「今自分がどこにいるのか?」について真剣に考え不安を覚えよ。

2011-04-20 12:48:41
ヤポンスコ @yusukeskinjp

…あるいは二つの時計。正確に同時刻にスタートした時計は、やはり何万年、あるいは何万光年か後にはずれる、と考えるのが普通だろう。まず「完全に同時」にスタートさせることが不可能であり、時計の速度も「完全に同じ」には設定出来ない(と思われる)

2011-04-17 14:04:36
ヤポンスコ @yusukeskinjp

「哲学とは錬金術」であるかも知れない。見つかるはずのない「金」をみつけようとする作業が、哲学という作業。しかし、錬金術との違いは「絶対みつからない」とは言い切れないところだ。「絶対にみつからない」という立場をニヒリズムという。

2011-04-17 14:08:37
ヤポンスコ @yusukeskinjp

あるいは哲学とは「円」と描こうとする作業。紙に置いた鉛筆の先が弧を描いて一周してくるが、鉛筆の先は決して出発点とは交わらない、が故に円は描けない。しかし「絶対」に交わらないとは言えない。交わった時「円」が描かれ、世界は完結してしまう。

2011-04-17 14:13:48
ヤポンスコ @yusukeskinjp

ついでに、幼い頃にに考えたことを…

2011-04-20 12:52:11
ヤポンスコ @yusukeskinjp

いくつかの仮説について。これらは寓話になってしまうけど、この世界が夢であるという仮定。夢から覚めた世界は「無矛盾」であるとすれば。世界の総体は完結する。今いる世界の「外側の世界」を想定しなければならない。

2011-04-18 23:07:14
ヤポンスコ @yusukeskinjp

現実では円は未だ描かれていないが、フィクションの内部では可能である。北野武「ソナチネ」はそんな映画である。北野武演じる主人公は、全く感情の死んだ完璧なニヒリストとして描かれ、その主人公が「無感情に自殺」することによって、世界は「完璧な形」で完結して映画は終わる。

2011-04-17 14:20:35
ヤポンスコ @yusukeskinjp

北野武はそのようにして「円」を描いてみせた。しかし、この映画をみた自分の感想は「哲学的な完結をみたかったのはわかる。けど…」というものだった。何故「けど…」がつくのかというと、その完結は「フィクションだから成し得た」ものであるから。。

2011-04-17 14:26:33
ヤポンスコ @yusukeskinjp

主人公が「ニヒリスト」であり続けられたのは、所詮フィクションだったからだ。この映画で得られるカタルシスは非常にナルシステックなものであると言わざるを得ない。主人公が「ニヒリスト」でいられた理由が「フィクション」、というのでは、哲学的な完結をみるのはあまりに安易だと思う。

2011-04-17 14:34:30
ヤポンスコ @yusukeskinjp

比較としてカミュの「異邦人」、高橋徹也のいくつかの楽曲。これらのは人間が「不条理な存在」であることを突き付けてくるものであり、「哲学的な完結」をみないが故に我々を苦しめる。これらについては、疲れているから飛ばして、村上春樹「神の子供たちはみな踊る」について。

2011-04-17 14:51:50
ヤポンスコ @yusukeskinjp

村上春樹の短編集「神の子供たちはみな踊る」の表題作「神の子供たちはみな踊る」も「円を描いてしまう(哲学的な完結をみる)」作品だ。話の内容についてはこれから読む人の為に書かないが、この作品は最後に主人公が「神様」と言ってしまうことによって哲学的な完結を(一瞬)みる。

2011-04-17 14:58:09
ヤポンスコ @yusukeskinjp

この話しも、もちろんフィクションだが、「ソナチネ」と違うのは、話しがラストで哲学的完結をみて「しまう」点にある。作品は最後に一瞬だけ「円」を描いてみせる。そこまでの流れは自然で、それ故ラストシーンで一瞬みられる哲学的完結で我々は「痛み」を覚える。

2011-04-17 15:07:53
ヤポンスコ @yusukeskinjp

そして、その「痛み」はフィクションの外側と繋がっている。というより、外側と繋がっているからこそ「痛み」を覚えるのだ。「ソナチネ」が所詮物語の中でし自己完結しているのに比べ、この小説は物語の外側を生きる我々を捉える。

2011-04-17 15:14:20
ヤポンスコ @yusukeskinjp

内側で完結してしまう作品は自己満足であり、他者性に欠ける。我々に「痛み」をもたらすには脆弱である。 「神の子供たちはみな踊る」を読んで欲しい。

2011-04-17 19:26:07
ヤポンスコ @yusukeskinjp

「神様の子供たちは〜」読了

2011-04-18 22:35:49
ヤポンスコ @yusukeskinjp

主人公は「神様」という言葉を発話する。

2011-04-18 22:44:54
ヤポンスコ @yusukeskinjp

それは一瞬の神の「顕在」なのかも知れない。

2011-04-18 22:47:49
ヤポンスコ @yusukeskinjp

語れば語る程凡庸になる。読んでもらった方が早い。

2011-04-18 22:49:03
ヤポンスコ @yusukeskinjp

んー、元ネタを…「北野武「ソナチネ」は幼稚なオナニー妄想じゃねえか!」 http://www.youtube.com/watch?v=Nfq14_3Lzx4 http://www.youtube.com/watch?v=K6UCks0xkTc

2011-04-17 19:06:25
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ヤポンスコ @yusukeskinjp

…自分で「完結をみた」と思ってる曲を…まあこれは恥さらし。。「The sea」http://www.youtube.com/watch?v=CnS0Gy4p0fg

2011-04-17 19:12:36
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