編集部が選ぶ「みんなに見てほしい」イチオシまとめはこちら

小石川後楽園周辺の戦跡散策(平成30年8月)

小石川後楽園と東京ドーム周辺の戦跡散策など。
陸軍 戦跡 史跡 歴史
407view 0コメント
3
ログインして広告を非表示にする
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
小石川後楽園散策 (飯田橋駅~水道橋駅~後楽園駅周辺) 東京ドームと小石川後楽園。 戦前、この場所には陸軍兵器工場(東京砲兵工廠)があった。 今でも残るその名残を見に行ってみました。 (平成30年8月25日) pic.twitter.com/zDLAkpSCiU
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
小石川後楽園散策 東京砲兵工廠(東京工廠) 往時の地図と航空写真を 「今昔マップ on the web」 ktgis.net/kjmapw/index.h… (東京西部及び首都1/25000 昭和4年二修及び昭和5年測図) 「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」 mapps.gsi.go.jp (B29-C1-16/昭和11年6月11日陸軍撮影) pic.twitter.com/F3zW5I59CK
 拡大
 拡大
 拡大
リンク Wikipedia 12 東京砲兵工廠 東京砲兵工廠(とうきょうほうへいこうしょう)は、日本陸軍の兵器工廠である。1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)にその機能を小倉工廠に移転するまで操業し、小銃を主体とする兵器の製造を行った。また、官公庁や民間の要望に応えて、兵器以外のさまざまな金属製品も製造した。 1870年3月3日(明治3年2月2日 (旧暦))、工部省に造兵司が新設され、同年5月13日(4月13日 (旧暦)..
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
水道橋駅から東京ドーム方面に向けて歩く。東京ドームホテルと東京ドームプリズムホールの間の東西通路におもむろに「煉瓦の塊」が展示してある。 「旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ」 明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廟跡の基礎用レンガ。 … pic.twitter.com/tfjbCDzY5H
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土、採取。 現在地は旧後楽園球場のセンター位置に当たる。 pic.twitter.com/1Nfwtr4aRk
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
東京砲兵工廠は小石川水戸藩邸の地に1871年(明4)に操業し関東大震災の影響もあり1935年(昭10)に小倉工廠に移転。東京砲兵工廠傘下には板橋火薬製造所・岩鼻火薬製造所・十条兵器製造所など関東の陸軍兵器工場が所属。工廠跡地は後楽園球場などが展開。 地図は昭和22年及び昭和16年。球場がみえますね。 pic.twitter.com/h2v0Kg5tFx
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
1936年(昭和11年)12月、後楽園スタヂアムが設立。 昭和12年、後楽園球場完成。大和軍(昭和12年から19年までの7年間活動したプロ野球球団、後楽園イーグルス) 東京砲兵工廠は東京大震災で被災し移転。その跡地は球場と遊園地へと。 そして、のちほど巡る小石川後楽園はそんな中でも変わらずに。 pic.twitter.com/0iNistkGEQ
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
東京砲兵工廠から後楽園球場、そして現在の東京ドームの片隅にも戦争の歴史を刻む碑があります。散華されたプロ野球選手たちの鎮魂 「鎮魂の碑」 第二次世界大戦に出陣し、プロ野球の未来に永遠の夢を託しつつ、戦塵に散華した選手諸君の霊を慰めるためわれら有志あいはかりてこれを建つ 昭和56年4月 pic.twitter.com/lqwPkxU5Ig
 拡大
 拡大
 拡大
 拡大
リンク www.baseball-museum.or.jp 44 鎮魂の碑|公益財団法人野球殿堂博物館
リンク Wikipedia 鎮魂の碑 (日本プロ野球) 『鎮魂の碑』(ちんこんのひ)は、東京都文京区後楽の東京ドーム敷地内にある石碑。太平洋戦争などで戦死した日本プロ野球選手の功績を記念したものである。管理は野球殿堂博物館が行っている。 太平洋戦争では当時20代から30代だった選手・指導者の多くが徴兵され、また戦死していった。後年のプロ野球繁栄の礎となった戦没野球選手の功績を称えるため、1981年に当時の後楽園球場脇敷..
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
都立小石川後楽園(特別史跡・特別名勝) 寛永6年(1629)に設けられた水戸徳川家(徳川頼房)屋敷。庭園は二代目水戸光圀によって完成した回遊式筑山泉水庭園。 明治2年(1869)水戸家が新政府に土地を奉還し東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となる。大正12年、国の史跡および名勝に指定。 pic.twitter.com/51cJflQ3cV
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
都立小石川後楽園 水戸徳川家の回遊式庭園の中に、解説する案内は特にないけども、ぽつりぽつりと異なるものが残っており。そんな東京砲兵工廠時代の遺物を入園料300円払って見に行ってみましょう。 因みに石垣は江戸城外堀石垣を再利用したものという。備中成羽藩山崎家刻印。 pic.twitter.com/dh4TFiHG8K
 拡大
 拡大
 拡大
 拡大
リンク teien.tokyo-park.or.jp 1 user 96 概要 | 小石川後楽園 | 庭園へ行こう。
リンク Wikipedia 76 小石川後楽園 小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。 1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の..
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
都立小石川後楽園 現在は閉鎖されている東門の近く。奥まった内庭池の辺りに記念碑が鎮座。 「陸軍造兵廠東京工廠跡 記念碑」 昭和十年三月建立 昭和10年に東京工廠の機能が小倉工廠へと移転した際に、記念として建立された碑。 碑文 此ノ地ハ陸軍造兵廠東京工廠ノ旧蹟ナリ 其ノ創立ノ起源ハ 云々… pic.twitter.com/TNRfXn6uSG
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
「陸軍造兵廠東京工廠跡 記念碑」 昭和十年三月建立 (都立小石川後楽園) 記念碑は、陸軍造兵廠東京工廠(東京砲兵工廠)の敷地を型どっている。 昭和10年に建立された記念碑としては、意匠的にも斬新なデザイン。 pic.twitter.com/okPu2orIAi
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
「陸軍造兵廠東京工廠跡」 (都立小石川後楽園) 園内の九八屋の隣に、格別な説明もなく、 陸軍造兵廠東京工廠で使用されいた小銃用弾丸製造機の部品とされるものが置かれている。 pic.twitter.com/vq4oWuyw3w
 拡大
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
「陸軍造兵廠東京工廠跡」 (都立小石川後楽園) 陸軍造兵廠東京工廠で使用されいた小銃用弾丸製造機の部品? 園内の「九八屋」の隣。建屋と比べると結構大きいのがわかる。 小石川後楽園的には主である九八屋(酒亭)の由来は「酒を飲むには昼は九分、夜は八分にすべし」との教訓によるものだとか。 pic.twitter.com/hRHg9xOOqI
 拡大
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
小石川後楽園から移動して後楽園駅に。 駅の北側には「礫川公園」(れきせんこうえん) このあたりは春日局馴染みの土地ですが、戦前は軍用地。 戦後に、都営住宅・中央大学・戦没者慰霊堂・公園用地などに分割され、昭和39年に礫川公園が造園。 順を追って礫川公園と東京都戦没者霊苑に参ります… pic.twitter.com/2dVIWEDLIt
 拡大
 拡大
 拡大
リンク www.city.bunkyo.lg.jp 1 user 21 文京区 礫川公園
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
礫川公園の奥に東京都戦没者霊苑がある。 「東京都戦没者霊苑」 この霊苑は、さきの大戦において、尊い犠牲となられた東京都の戦没者をおなぐさめするとともに、平和を願う都民の強い決意を表わすため、建てられたものです。 pic.twitter.com/GyP6HmFo4c
 拡大
 拡大
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
「東京都戦没者霊苑」 東京都戦没者霊苑は昭和六年の満州事変から日中戦争を経て、昭和二十年(一九四五年)八月の太平洋戦争終結までの東京都関係戦没者約十六万人の霊をまつる。 敷地は、昭和十五年に忠霊塔建設予定地に選ばれた小石川陸軍工科学校跡地である。… pic.twitter.com/inPksBFo71
 拡大
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
昭和三十五年、ここに東京都戦没者霊苑が建設されたが、それは歳月の中に老朽した。また、年々齢を加える遺族が、安全に慰霊祭に参加するための配慮も必要となった。 そこで戦没者の慰霊と平和への願いを新たに、このたび全面改修を行い昭和六十三年(一九八八年)三月に完成した。…
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
設計は、建築家相田武文、碑文は、芸術院会員、文化勲章受章者山本健吉、碑名の揮毫は東京都知事鈴木俊一による。 私たち都民はこの霊苑につどい、霊前にぬかずき、改めて戦争とは何であったかを深く考えたい。…
伊達JKN@神社&史跡戦跡探訪 @Jinja_Kikou_Net
戦没者の御霊にお願い申し上げる。 お声を風に託して、戦争の実態を私たちに語り聞かせていただきたい。 そして私たちが強い意志と英知をもって、平和を守るという至上の命題にとり組めるよう、お導きいただきたい。…
残りを読む(14)
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする