『暗い越流』と後期クイーン的問題

推理作家協会70周年評論・書評の件
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@quantumspin

「『都市伝説パズル』と後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1253683

2018-08-05 14:43:14
@quantumspin

『暗い越流』の批評な日常|琳 @quantumspin|note(ノート) note.mu/quantumspin/n/…

2018-09-07 22:51:31
@quantumspin

若竹さんはかなりすごい方だと思うのですが、これまでそのすごさをきっちり論じてくれる批評家の方に恵まれていなかったように思えるところがとても残念で。

2018-09-08 06:25:44
@quantumspin

解説者の皆さんは一様に、若竹作品はすごいすごいと書かれているのですが、どうすごいのかともやもやしていた読者の方は多いのではないでしょうか。

2018-09-08 06:29:42
@quantumspin

若竹作品の魅力として、日常のなかの悪意が描かれている点を挙げる方は多いと思います。確かに作中にそういった描写は多く、作品世界を魅力的なものにしているとは思いますが、その矛先が実は作品を読んでいる読者にこそ向けられている点にこそ、若竹作品の特徴があるように感じられます。

2018-09-08 06:45:10
@quantumspin

若竹ミステリにおいて、常に読者は批判されているような印象があって、作品に仕掛けられたトリックなども、構成の仕方に作者の悪意が滲んでいるように見えます。要するに、トリックで読者を批判するという技巧なわけであって、こう書いてしまうと何だかひどい方にも見えてきますが、この技術はすごい。

2018-09-08 06:58:10
@quantumspin

ところがこれまで解説を書かれている方の分析を見ると、どこか解説者ご自身と作品とを切り離して論じているというか、その刃は作外のご自身にも向けられてもいるのに、そこをスルーして視点を作品内に閉じ込めてしまっているような、そういう印象がありましたね。

2018-09-08 07:11:00
@quantumspin

ここからトリック=読者批判という作品形式は本格ミステリかという論点が生じるわけです。これは『『暗い越流』と批評な日常』で詳しく論じているのですが、若竹ミステリは批評であるというのが私の結論ですかね。

2018-09-08 12:21:12
@quantumspin

以前に書いた事の繰り返しになるのですが、本格形式は唯一無二の真理に到達しようとする、どこか自然科学研究にも似た探偵行為を主題としています。一方で批評は、発明的営為に近いもので、ある発明解が唯一の真理であるようなものではありません。

2018-09-08 12:26:17
@quantumspin

発明の特許性は新規性(公然知られていない)、進歩性(当業者が容易に想到し得ない)によって担保されますが、新規的・進歩的であれば何でもありです。それが正しいかどうかといった話とは無関係です。

2018-09-08 12:29:18
@quantumspin

評論が文芸の一種といわれるのも恐らくはこのためでしょうね。評論は研究ではないので、唯一無二の真実を目指すのではなく、新規性・進歩性をこそ目指すべきものだと思います。

2018-09-08 12:30:46
@quantumspin

若竹ミステリにおいてこの事を端的に描いているのが『スクランブル』だと思っていて、これはもはや超絶技巧と言っていいんじゃあないかと思うのですが、探偵の多重推理をすべて反証しきった上で、彼女らの成長と共に真相も成長する事をミステリ形式として描いてしまっていますね。恐ろしい事に。

2018-09-08 12:38:47
@quantumspin

ここには矛盾をしらみつぶしに潰していき、唯一無二の真理を探究する求道者などいません。井上真偽さんのようなストイックな探偵は出てこないわけです。この点が若竹ミステリと本格ミステリとの決定的な違いだと思っています。

2018-09-08 12:42:47
@quantumspin

言い換えれば、弁証法的な推理を行っている本格ミステリ作品というのは、語義矛盾というか、それは厳密に言うと本格ミステリではないような気がしています。まあ弁証法というのも広い意味合いで使われていると思うので、一概には言えないとは思いますが。

2018-09-08 14:18:28
@quantumspin

そういう意味では『虚構推理』が本格ミステリ大賞を受賞したことに関して、本格原理主義者がどのような反応をなさったのは私は存じ上げないのですが、やはりそれなりに悶着があったのではなかろうかと想像します。

2018-09-08 14:22:00
@quantumspin

ところで、『『暗い越流』と批評な日常』の中でどうしても書きたかった事があって、それは矛盾を止揚するという批評技術についてです。以前『『都市伝説パズル』と後期クイーン的問題』は弁証法的といったような事を書いたのですが、『暗い~』ではその批評行為自体を主題に据えています。

2018-09-08 14:29:32
@quantumspin

『暗い~』で論じている通り、若竹さんはこの弁証法的技巧を多くの作品で用いているのですが、こういうノリは私など大好物だったりします。スター・ウォーズの宇宙では音波が伝搬するといったような、作品の矛盾を作者のミスと切り捨てないで、作品世界の設定として活かそうとするノリというのか。

2018-09-08 14:36:32
@quantumspin

元来ミステリ・マニアというものは、大なり小なりそういった愛情をもっているように思っていますが、実際はどうなのですかね。現実には、本格作品に矛盾があった時に、それを欠点と切り捨てる方が多いようにも見え、私などはそういった話を聞くと、愛がないというか、とても残念な気持ちになります。

2018-09-08 14:42:46
@quantumspin

もし本格原理主義者が作品の矛盾を作者のミスと切って捨て去る類の存在であるとすれば、若竹さんが本格作家扱いされて『それは違う』と拒絶する心理も納得というか、私も選ばれし者の頂点を目指すのではなく、出来の悪い子も可愛がるようなミステリ・マニアでありたいように思います。

2018-09-08 14:50:59
@quantumspin

批評の力とは、作品の優劣を客観的に価値判断する類のものというよりもむしろ、世間の評価が低い作品にも意義を見出せるような点にこそあるのだと、私などは信じたいですかね。

2018-09-08 14:57:08
@quantumspin

そういう意味で、私は都筑さんのモダーン・デティクティブ・ストーリイ論には批判的な印象を持っていますね。彼の議論にはミステリ・マニアの愛情が欠けているように感じられます。

2018-09-08 16:33:15
@quantumspin

まあしかし、都筑さんにミステリ・マニアの愛情がないわけがないので、理論を立てる為にあえてその愛情を隠滅したというのが実際のところなのではないでしょうか。マッチョな信念で超克したというべきか。

2018-09-08 16:39:13
@quantumspin

まあでも、現代的観点というか、価値相対的観点からみると、そういうマッチョな信念は暑苦しいというか、どこか優生学的な強迫観念のようなものを感じてしまい、もっとマニアックに面白がった方が楽しいものではないかと、心配してしまいます。

2018-09-08 16:45:21
@quantumspin

ところで、後期クイーン的問題は無矛盾な手掛かりの組の中に宿るわけですが、作者のミスと切ってすてられるような矛盾を抱えた作品に後期クイーン的問題は宿らないものなのでしょうか。

2018-09-08 21:54:58
@quantumspin

手掛かりが矛盾する場合は、必ず偽手掛かりと判断できる、というのがたしかコンベンショナルな解釈の筈ですが、単に注目する手掛かりの組が不完全なものであるかもしれず。

2018-09-08 22:00:30