「排除型私たち」から「感化型私たち」へ
- ShinShinohara
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最近、「私たち(we)」と「あいつら(they)」について考えてる。人間は、仲間とそれ以外に分けて考える仕組みがある。仲間が言うことは賛成するし、少々の失敗もおおらかに許すが、「あいつら」になると、何を言っても腹が立つし反対するし、失敗に手厳しい。人間心理の一端として、研究の価値あり。
2018-09-10 18:08:44私が「私たち・あいつら」問題を意識しだしたのは、世界が博愛主義に嘘くささを感じだし、平気で差別し、罵るガサツさが目立ってきたから。明らかに「あいつら」呼ばわりし、平気で残酷な態度をとるようになった。しかも、それを恥じる風でもない。なぜ「平気」になってしまったのだろう?
2018-09-10 18:12:32共通敵を見失ったから、というのが、今の仮説。第二次大戦前後で、西側陣営は二つの「敵」を共有した。ナチスと共産主義。この二つを「あいつら」視することにより、「私たち」として結束できた面がある。
2018-09-10 18:15:08ところが、ソビエト連邦崩壊以後、共産主義は勢いを失い、「あいつら」の一つを見失った。ナチスもさすがに時間が経ちすぎて「あいつら」としての存在感を失い、それどころか再評価する人たちまで現れるようになり、西側陣営が共有していた「あいつら」が失われてしまった。
2018-09-10 18:18:41人間はどうも、「あいつら」と敵視する存在を失うと「私たち」という像を結びにくくなるらしい。見失った「あいつら」を求めた結果が、博愛主義への疑念、平和主義への疑念、「力の支配」を嫌う人達への疑念として育ち、いわゆるリベラルを「あいつら」と見なすことに決めた人が増えた、感。
2018-09-10 18:22:07人数がある一定数を超えると、誰か一人を「ターゲット」に定め、とことんこきおろすという「文化」を共有することによって「私たち」の結束を固めよう、という動きが発生しやすくなる。いわゆるいじめは、たった一人、「あいつ(ら)」にされてしまった現象といえる。
2018-09-10 18:26:40「あいつ(ら)」に定められると、もはや何を言っても言葉が届かなくなる。「あいつ、また何か言ってる」と、嘲笑の的にされるだけ。脱出することが極めて困難。助けようとすると「お前も「あいつら」なのか?」と脅される。「あいつら」烙印はなかなか消えないので、みんな恐ろしく思う。
2018-09-10 18:29:34では、「私たち」の結束のためには、「あいつら」というイケニエが必ず必要なのか、というと、どうも必ずしもそうではない。「あいつら」無しに「私たち」として結束する方法がある。 それは「使命」だ。
2018-09-10 18:32:27「子育ての大誤解」で、ある教師と、ある家族の例が紹介されている。この二つの事例に共通するのは、「私たちには特別な使命がある」という使命感を、子ども達に与えていることだ。子ども達はその使命感に燃え、努力を怠らなくなった。
2018-09-10 18:44:43教師の事例では「あなたたちには特別の使命がある」と伝えるが、もちろん根拠はない。どんな使命なのかは、各人違うということで、明らかにもしない。しかし、それぞれが自分の使命とは何かを考え、主体的に取り組む生徒だらけとなり、卒業後も社会的に成功している人が多く、「奇跡」と呼ばれた。
2018-09-10 18:48:48興味深いことに、そのクラスとは違う生徒まで「自分はあの教師の教え子だった」と記憶が作られ、それを誇りとして努力し続け、成功している事例がたくさんいたということ。「感化力」が凄まじかったようだ。あの先生の生徒でありたいという願望が、記憶まで作ってしまうという事例。
2018-09-10 18:52:50なぜ、他のクラスの子ども達にまで感化力を示したのか。そのクラスがあまりに魅力的で楽しそうなので、自分も同じ使命感を共有する「私たち」になりたいと憧れたからのようだ。
2018-09-10 18:55:28使命感をノリとして形成される「私たち」には、「あいつら」という敵をわざわざ設定する必要がない、という特徴がある。他のクラスの子も、使命があるかもしれないし、ないかもしれない。他のクラスのことは知らない。しかし「私たち」のクラスには、明確な使命がある、と「決めつける」のだ。
2018-09-10 18:58:19「あいつら」を措定する「私たち」を「排除型私たち」と定義するならば、使命感を与えることで結束する「私たち」は、「感化型私たち」と定義することができる。使命を共有する「私たち」は、最初、限られた数から出発するが、他の人たちが参入することを排除しない。魅力が同志を増やす形。
2018-09-10 19:02:25イメージとしては「恩讐の彼方に」に近いか。村人に安全な道を作ろうと、最初は狂人と嘲笑われながら、次第に人々を巻き込んでいく。「ハチドリのひとしずく」もそう。使命感は、人々の心を揺り動かす。他者を「あいつら」と排除する必要はない。ただ黙々と、使命を果たすのみ。
2018-09-10 19:06:47「排除型私たち」がいかに凄惨な結果をもたらすかは、ナチスのホロコーストで思い知ったはず。「あいつら」として心理的に排除すると、人間は恐ろしいほど残忍になれる。後で自分の所業に恐れおののいても遅い。「排除型私たち」にとらわれる前に、予防する必要がある。
2018-09-10 19:10:23「使命型私たち」は幸い、「あいつら」という敵を作らずに済み、むしろ仲間じゃなかった人間まで仲間にしていく力がある。キン肉マン、ドラゴンボールの孫悟空、ワンピースの主人公が「敵」も「仲間」に変えていくのと同じように。
2018-09-10 19:13:15いま、世界(西側)は、ナチスや共産主義といった「共通敵」を見失い、代わりに「私たち」の結束を手っ取り早く強められそうな「あいつら」探しに狂奔している。しかし「排除型私たち」の結末は、「己の残忍さ」だ。自分が壊れてしまうようなことは、未然にやめておいた方がよい。
2018-09-10 19:16:36「使命型私たち」を形成し、その魅力で世界を魅了し、世界を引っ張れるか。分断をますます深めていく世界に、「使命」は重大なヒントを与えてくれているように思う。
2018-09-10 19:18:49世界が共有できる使命は恐らく、地球環境ではあるのだが、これまでのやり方に問題がある。意図せずして「排除型」になっていたことだ。 アメリカでは、環境問題に対策を打つ一方、石炭産業を知らず知らずのうちに「あいつら」として排除していた。
2018-09-10 19:35:07石炭産業は、かつて私たちの社会を支えてくれた恩人だ。なのに「二酸化炭素増加の元凶」と、「あいつら」呼ばわりしたのが近年。これでは、真面目に勤めてきただけの石炭産業の従業員は面白くない。そこにトランプ大統領が「私たち」と抱き込んだので、救われた思いをしたのだろう。
2018-09-10 19:37:52使命も、気をつけないと「使命を邪魔するものは排除する」という、「排除型私たち」に転ずる。「感化型私たち」であるためには、「排除された」と感じさせないことが重要だ。
2018-09-10 19:39:57石炭産業の人々には、「これまで社会を支えてくれてありがとう」と感謝を述べるべきだった。そして、環境配慮型産業への転職を有利にするなど、優遇することで「感化型私たち」の仲間とすべきだった。
2018-09-10 19:42:02同じことを日本でも懸念している。日本では反原発の運動が排除型し過ぎて、原発を生活の糧にしてきた人たちを、図らずも「あいつら」として排除し、敵視している。これでは巻き込んでいけない。「感化型私たち」に巻き込むにはどうすべきか、よく考えねばならない。
2018-09-10 19:44:32