善人・悪人あるいは善い/悪い意思という区別は客観的に行えるのか?:道徳・正義・倫理・法律に関しての整理。
なんで善人とか悪人とかそういう形而上学遊びをやる人がいるのか不思議。善・悪が主観的概念故に善人も悪人も定義できない。また人間の意識は常に移り変わっているわけで主観的善も悪も人間は常に行いうる。善悪が決められるとしたら行為に対してだけ意思についても善い意思悪い意思などない意思は意思
2011-04-21 03:42:24それは形而上学的にはそうですが、善であろうとする意思と悪であろうとする意思とはどのように客観的方法で区別できるのでしょうか?行為からの推測をないとしたら。RT @nennpa 善であろうとする意志、が善人悪人を分けるんじゃないですか?
2011-04-21 03:49:24@nennpa 言い換えれば今手を動かそうとする意思が善であろうとする意思と悪であろうとする意思とどのような合理的手段で区別できるのか?が鍵になりますね。しかし、例えば意思の善・悪実行回路というものが科学的に証明できない以上それを仮想するのは想像としてはいいですが不合理ですよね?
2011-04-21 03:52:47@yutakioka 成長の過程が近しい人間は似た善悪観をもつのではないでしょうか。勿論個人レベルでも時間や新たな経験によってその感覚は変わりますが、社会的幸福等についての基準と成長の背景には相関関係はあると思います。その場合、ある程度共通の前提があるので、定義しやすいと思います
2011-04-21 06:20:52@yutakioka それは勿論妥協の産物ではありますが、小さなコミュニティ内での正義の定義にはならないでしょうか。勿論、それをネット上や別の世界で、それを普遍の善だと勘違いして振りかざすのはナンセンスですが。
2011-04-21 06:21:16@yutakioka 別の考え方としては、善悪の判断は他人との共通項を見つけやすいものなのかも知れません。二元論なので、大雑把にいっても二人にひとりと同じ意見を持てます。また集団心理が働き、他人と同意見のそれが正解であり、社会的な正義だと錯覚するのかも知れません。
2011-04-21 06:21:33@yutakioka 当然、それには別に天啓を受けた人、異なる善悪観を持った人などもいるでしょうが、それについての議論は大変やりにくいので割愛します。(そもそも私はそうではないその立場に立つことは大変難しいので)
2011-04-21 06:22:28@yutakioka あと、善悪が決められるとしたら行為に対してだけとも言われましたが、それは善悪感は主観的概念という意見と矛盾するのではないでしょうか?
2011-04-21 06:22:48それはもちろんあり得ると思います。しかし善悪感はあくまで感情に基ずくものですから主観的です、ただその主観が近いまたは偶然重なり合うと言うことはあり得ますね。RT @tomo37 成長の過程が近しい人間は似た善悪観をもつのではないでしょうか。
2011-04-21 06:24:23これはですね、個人の善と道徳を混同しているように思えます。善悪が決定できる行為の善・悪というのは道徳としての善・悪です。RT @tomo37 あと、善悪が決められるとしたら行為に対してだけとも言われましたが、それは善悪感は主観的概念という意見と矛盾するのではないでしょうか?
2011-04-21 06:26:04基本的に、個人的善悪、正義、道徳、倫理すべてまるで別の概念です。ですからこの考えは道徳とは言えても正義の定義とは言えません。 RT @tomo37 それは勿論妥協の産物ではありますが、小さなコミュニティ内での正義の定義にはならないでしょうか。
2011-04-21 06:27:27ええ、道徳としての善・悪は定義可能です。ですが、この場合もそのある特定の社会のある特定の時代・状況下で何を善・悪と考えるか?という歴史・文化的考察が中心で普遍性は一般的に保証されません。RT @tomo37 それでは道徳としての善悪は定義可能という考えなのでしょうか?
2011-04-21 06:41:10@yutakioka 哲学について不勉強なので言葉の扱いを混同している部分があるようですね。失礼しました。個人的善悪、正義は個人の主観に基づくもので、倫理、道徳は社会によって定義されるものという理解でいいでしょうか?
2011-04-21 06:41:49いえ違います。正義は主観的ではあり得ません。正義は個人が主観的善き生の構想に沿って自由を行使することを可能にするような普遍的な規則です。RT @tomo37 個人的善悪、正義は個人の主観に基づくもので、倫理、道徳は社会によって定義されるものという理解でいいでしょうか?
2011-04-21 06:44:00@tomo37 また道徳は個人の善のコンセンサスから生まれる偶然の産物です、つまり価値判断。そして倫理は価値判断ではなくてある特定の状況に置ける義務と責任についての普遍法則についてです。それが道徳と倫理がアリストテレスvsカントの対立と言われる所以です。
2011-04-21 06:46:30@tomo37 つまり正義は個人的善・悪行為を行う為の権利=自由の平等性の保証のための前提で、その結果による個人的善悪は道徳の前提です。そして、倫理は法律の前提です。法律はまた道徳にも依拠しています。
2011-04-21 06:51:45@tomo37 とまあ非常に入り組んだ構造があるのです。ですから基本的に「Xすることが正義」とはいえません、言えるのならば「個人が自由にXする事を可能にする機会・権利の平等性を保証することが正義」という言い方になります。しかし、「Xすることが道徳的」とは言うことができます。
2011-04-21 06:58:26@yutakioka それでは大衆がそれぞれに判断する個人的善悪の共通項から道徳は導きだされるのでしょうか。また、倫理は普遍的な法則と言われましたが、それは時場所状況などにも不変なのでしょうか?
2011-04-21 06:59:26ええ、そうなります~。RT @tomo37 それでは大衆がそれぞれに判断する個人的善悪の共通項から道徳は導きだされるのでしょうか。また、倫理は普遍的な法則と言われましたが、それは時場所状況などにも不変なのでしょうか?
2011-04-21 07:01:09@tomo37 具体例を挙げますと、「人を殺すことは悪いことだ」は道徳ですね、それが一地域の道徳か世界中どこでもかはわかりませんが。しかし「人を殺した場合はその責任を負わなければならない」これは倫理ですね。「人を殺すことは悪いことだ」と表現する自由を確保するのは正義ですね。
2011-04-21 07:03:59@tomo37 あるいは、「人を殺すことは個人の自己所有権を侵害するから許されるべきではない」と人を殺すことを禁じるのは正義ですね。なぜなら自由意思によらず殺されるということは自由を完全に奪われることになるので。つまり自由権行使の平等性が崩れる故に。
2011-04-21 07:06:16