山姥切国広と本作長義、刀工国広関連の話

つるぎの屋@日本刀買取専門店 ‏ @tsuruginoyaさんが山姥切国広と本作長義とその関連のあるお話をしたまとめ
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本歌と写しで双方とも国の指定品である重要文化財となっているものは、本歌「山姥切長義(本作長義)」と写し「山姥切国広」の二振以外にはこの世に存在しません。 この二振は双方とも伯仲(仲の良い兄弟)の名刀といえます。

2017-03-23 23:35:19
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(左)山姥切国広 (右)本作長義 東京国立博物館で開催された「日本のかたな」展(1997)において 本歌:本作長義と写し:山姥切国広の二振は同時に展示されました。 もう20年以上も前になるのですね。 pic.twitter.com/ikDITxJWtF

2018-05-14 18:13:06
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美濃伝の影響1

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堀川国広の天正打というのは室町時代後期の相州物と美濃物の折衷的な出来であると形容されます。 ただ、「山姥切国広」の刃文は互の目に、小互の目・尖り刃・角張る刃・矢筈風の刃・腰の開いた刃などといった様々な刃が入り複雑に乱れています。

2017-03-12 23:55:24
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@tsuruginoya 越中守正俊にも似た刃文はどちらかといえば技法は技術的には美濃伝に近いかと思いました。

2017-03-12 23:55:45
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堀川国広の地鉄は「ザングリ」しているといわれますが、これは板目に杢交じり肌立ち地沸つき地景入り鉄色が黒みがかった地鉄を意味します。 「山姥切国広」は板目に小さな杢を交え、総体に柾がかっていたのが印象的でした。

2017-03-13 00:05:30
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@tsuruginoya この柾目が目立つというのは美濃伝の技法に近く、国広の作でここまで柾が強いのは私はあまり記憶がありません。

2017-03-13 00:05:56
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刀 陸奥守大道(兼道同人)天正2年紀 堀川国広が下野国足利に向かう途上の天正17年頃に国広との合作が残されています。 どうでしょう。山姥切国広の天正18年とは16年差ありますが雰囲気は似てるでしょうか。 pic.twitter.com/UvYdCl8EzK

2017-03-16 23:46:26
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堀川国広の関東下向の足跡を追ってみると ・天正17年 美濃国にて陸奥守大道と短刀を合作 ・天正18年2月 山姥切国広(足利打ち) ・天正18年5月3日 本作長義(山姥切長義)に切付銘(足利) ・天正18年8月 布袋国広 足利学校打ち ・天正19年8月 在京打ち

2017-03-16 23:56:43
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私が毘沙門天の彫物をアイコンに使用している 脇指 日州住藤原国広 天正十七年八月日 こちらは国広が足利に向かっている途上の作だそうです。 大道との合作の前後でしょうか。 これも帽子の感じは備前長義風ですね。 地鉄はそれほど柾が強くはなかったです。 布袋国広も柾目は強くなかったです pic.twitter.com/6HDiaM9Gks

2017-03-17 00:06:17
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短刀 濃州岐阜住大道(陸奥守大道・兼道同人) 信濃守国広 天正17年頃 国広が足利に向かう途上の作 地鉄はかなり柾がつよく美濃伝の作風が濃厚です。 刃紋も上部は矢筈刃が交じって皆焼風になっています。 少し山姥切国広の刃にも似ているように感じます。 pic.twitter.com/icMI3OypdH

2017-03-17 00:16:44
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私は天正17年8月 毘沙門天の脇指 天正18年8月 布袋国広 の2振にはそれほど美濃伝の作風を感じませんでした。 しかし、天正17年頃の大道との合作は美濃伝の作風が強いです。

2017-03-17 00:26:53
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天正18年2月の山姥切国広にも地鉄の柾目の強さ、刃紋に矢筈風の刃などが交じった構成に美濃伝の作風が感じられます。 堀川国広は天正17年に美濃国を訪れた際に美濃伝の作風や技法に接して影響を受け、天正18年に作刀した山姥切国広にそれが反映されているのでしょうか。

2017-03-17 00:27:20

山姥切国広と井伊家

つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

「山姥切国広」は井伊家、あるいは井伊家臣の渥美家に伝わったといわれています。 ただ井伊家の史料がまとめられた「井伊軍志-井伊直政と赤甲軍団」「井伊家歴代甲冑と創業軍史」には「山姥切国広」は記載されていないようでした。

2017-03-22 09:59:03
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@tsuruginoya 井伊軍志-井伊直政と赤甲軍団 井伊家歴代甲冑と創業軍史 著者:井伊達夫(旧姓:中村) 発行:宮帯出版社

2017-03-22 09:59:15
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井伊家と山姥切国広を調べてるんですがあまり史料はみつかりません。 井伊家の領地は近江国(滋賀県)彦根ですが、足利の隣である下野国(栃木県)佐野に飛地がありました(あまり関連はなさそうですが) 井伊直弼も下野国佐野まで巡見に行った記録が残っています。

2017-03-24 00:11:31
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@tsuruginoya 幕末の安政7年(1860)3月3日に大老であった彦根藩15代藩主:井伊直弼が桜田門外の変に倒れると、領国であった近江国彦根、下野国佐野から藩士の多数が駆けつけたそうです。 佐野からわずか1日で江戸まで駆けつけた者もいたとか。

2017-03-24 00:12:41
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@tsuruginoya 「山姥切国広」を所持していた当時の渥美家の当主も江戸まで駆けつけたのでしょうか。

2017-03-24 00:13:45

美濃伝の影響2 柾抜け

つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

先に「山姥切国広」が作風において美濃伝の技法に影響を受けた可能性をツイートしました。 技法が刀剣によく顕れる箇所の1つが地鉄になります。 「山姥切国広」は板目に小さな杢を交え、総体に柾がかっていたのが印象的でした。

2017-03-29 00:21:59
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 柾目が強いと「柾抜け」という現象が起こります。 刀剣を鍛錬して鋒部分を形成する際に刃方から打ち返します。 柾目が強いと地鉄が鋒部分で柾が棟側に抜けた現象になります。これを「柾抜け」といいます。

2017-03-29 00:22:19
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@tsuruginoya 柾目が最も強いのは大和伝の保晶派です。次に美濃伝も柾目が強いです。 新刀期には、越中守正俊に学んだ仙台国包が柾目を得意として、越中守正俊・出羽大掾国路らにも「柾抜け」が希にみられます。

2017-03-29 00:22:46
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 「柾抜け」は鋒部分では棟方に、反対に刃区部分では刃方にもみられます。 堀川国広に完全な「柾抜け」の作品はみたことがありません。 しかし、これだけ柾が強い「山姥切国広」にも完全ではないにして「柾抜け」に近い現象が起きている可能性はあります。

2017-03-29 00:23:02
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 残念ながら、私は展示を拝見した際には考えが及ばずに鋒部分の地鉄をよく確認していませんでした。 刃区付近では地鉄が少し刃方に寄っていた気がします。

2017-03-29 00:23:13
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