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おかしな時代

津野 海太郎

もうれつ先生 @discusao
樹木希林さんが死去 5年前に全身のがん告白 asahi.com/and_M/interest… あー、、、お悔やみ申し上げます。
リンク 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム) 1 user 6366 樹木希林さんが死去 最期は自宅で家族に看取られて 数々の映画、ドラマ、CMで活躍した女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日に都内の自宅で亡くなったことが16日、分かった。75歳だった。最期は家族に看取られながら息を
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曾野綾子原作、土井茂監督 「殿方御用心」1966年6月 安田道代、石坂浩二、悠木千帆、荒木一郎 新聞部に所属する大楠道代と樹木希林、教授の女子大生亡国論に反論しようとハッスル。希林は自殺未遂、道代は継子という曾野ストーリー定石も。 pic.twitter.com/yZuOILcJR3
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草野大悟を語る(没25年) 「文学座第1期研究生たち」として当の草野大悟をはじめ、岸田森、小川真由美、悠木千帆の若かりし日の姿 youtube.com/watch?v=rd6WkU…
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悠木千帆(樹木希林)&岸田森、結婚当時のニュース記事集 shinkishida.web.fc2.com/S41news.html 田島和子関連で検索中発見。文学座を辞めて六月劇場を結成するとき、岸田森は、草野大悟へ参加打診のため結核療養先に津野海太郎と共に訪れている。津野『おかしな時代』に詳しい。
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悠木千帆(樹木希林)&岸田森、結婚当時のニュース記事。より大きな画像のブログがあった。1966年の悠木千帆23歳&岸田森26歳の夫妻は、池袋のキッチン2階(8畳とダイニングの二間)に住み収入は2人合わせて6万円。 blogs.yahoo.co.jp/kpgcm339/62323…
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『おかしな時代』の悠木千帆関連で最高に好きなエピソード。六月劇場の地方公演で赤字を出したプロモーターを吊し上げた際、威嚇すれどさすがに暴力には訴えらえない他の男性団員をよそに、机の下で盛んに蹴りを入れ続けたバイオレンス樹木希林。 twitter.com/discusao/statu…
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岸田森と結婚していた頃の悠木千帆(樹木希林)。岸田の趣味、蝶採集に付き合うといった態の記事。 pic.twitter.com/qB1PxpmU3b
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樹木希林、内田裕也と結婚した頃はまだ31歳。太地喜和子は学校が同じで先輩後輩の間柄なので、太地が存命なら今74歳ということになる(40代で亡くなっている)。 pic.twitter.com/MT8E155XUu
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竹中労が悠木千帆(樹木希林)について、インタビューした女優はみんな女優特有の媚を売ってきたが、彼女はそういう媚がまったくなかったという話をしていた。 その後、吉田豪曰く「喧嘩腰」なスタイルに変化したが(というか本人に変化はないが芸能界の体質が変わったのか?)… pic.twitter.com/ZsIcHzX3t3
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youtubeより画像を取り込んだのではなはだ不鮮明ですが、文学座第一期生の頃の悠木千帆(樹木希林)こと中谷啓子(前列左から2人目)。その右隣はたぶん小川真由美。後列右より草野大悟、岸田森。1962、3年頃じゃないかな? pic.twitter.com/ch7v7u1pqi
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七人の孫 19651011 十七才のノラR1 youtu.be/P925cX0RE2o テレビドラマ『七人の孫』(1964)は子供過ぎて観る機会なかったなぁ。つか総じて久世光彦ドラマって縁遠かった。 @YouTube
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もうれつ先生 @discusao
つまんないツッコミを入れると、劇団の名前は「六月劇場」で、キャプションで「四畳半劇場」と呼ばれているのは下記リンク記事で云う「シャドー・シアター」だろう。 shinkishida.web.fc2.com/S41theater.htm… twitter.com/shinkawa_takas…
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@akasukepon @mcym163 結婚した岸田森と悠木千帆(樹木希林)は、1966年当時(つまり二人が参加した劇団「六月劇場」旗揚げならびに悠木千帆のTVドラマでのブレイクの当時)池袋にあるレストランの2階に住んでおり、その「レストラン」はおそらく実際は樹木希林の母・中谷清子がやっていた天ぷら屋「中清」だと思います。 pic.twitter.com/uhe9QQN63z
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もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 樹木希林が母親がやっていた天ぷら屋「中清」について言及しているインタビュー。この2階は、草野大悟『俳優論』収録の樹木希林の文章にも登場する。ちょっといい話なので機会があったら読んでください。。。 switch-pub.co.jp/kirin/01.html
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@goo_hori 岸田森の実家の四畳半を舞台にしただけですからね(んで6畳が客席)。さすがに、翌年から紀伊國屋ホールや俳優座劇場でやるようになった。
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 樹木希林(悠木千帆)についていくつかツイートしたが、確認のため津野海太郎『おかしな時代』を読み返したら新たに分からない詳細ができたので、以下連投。 取りあえず資料は津野本と「岸田森全仕事ホームページ」(『不死蝶 岸田森』も重要なんですが、すいません未読です) shinkishida.web.fc2.com
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 樹木希林 1943年1月15日生まれ 母・中谷清子、神田神保町でカフェ「東宝」を経営 父・中谷襄水(琵琶奏者水号・後に本名に)は警察官だったが、後に琵琶奏者に 戦争で疎開し、戦後は池袋 池袋で母は天ぷら屋「中清」を営む (まぁ、この辺はwikiのコピペです)
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 サンカ小説の三角寛の映画館「人世坐」(東池袋)で木下惠介「カルメン故郷に帰る」や今井正「どっこい生きてる」などを観る 千代田女学校に入り演劇部に在籍、一年下に太地喜和子がいた 1961年、文学座付属演劇研究所に入る。岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗が同期
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 岸田森の研究所入所は1960年というwiki記述があるが、その辺よく分からず。 翌1962年5月、文学座第88回公演『光明皇后』(有吉佐和子・作/戌井市郎・演出)にて、藤原広嗣(高橋昌也)の少年時代役として初舞台を踏む。この時、小川真由美は采女、草野大悟は工人、岸田は廷臣といった配役
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 出だしからほとんどエキストラだった同期のメンバーよりちょっといい役が当てられているようだ。 twitter.com/discusao/statu…
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 とはいえ、その後岸田森、草野大悟、小川真由美らもそこそこな役を当てられるようになる。実力ももちろんあるが、劇団雲や三島由紀夫「喜びの琴」に絡んだ有力俳優の大量脱退という事情も絡んでいる。
もうれつ先生 @discusao
@akasukepon @mcym163 1964年、悠木千帆はテレビドラマ「七人の孫」(1966年まで)のレギュラーとなりブレイクする。 (おそらく)同年、岸田森と同棲を始める 1965年2月、文学座「怒りをこめてふり返れ」(ジョン・オズボーン作)のメインキャストに草野大悟、岸田森、小川真由美ら研究所一期生が当てられる。
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コメント

もうれつ先生 @discusao 2018年9月24日
まとめを更新しました。
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