災害に関する言説を仕分けしてみるテスト by 後藤和智

災害に関する言説を「ハザード」(被害)と「カタストロフィ」(破滅)という言葉をベースに考えてみました。文責:後藤和智 @kazugoto
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後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

災害にかんする様々な言説を読んできてわかったのだけど、この災害について「危機」を論じる論者は、「危機」を「ハザード」(被害)と捉えているか「カタストロフィ」(破滅)と捉えているかという大まかな違いが見えてきた気がする。

2011-04-23 00:08:37
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)「ハザード」とは災害(に限らない外力の)後においては具体的な被害、災害前においては潜在的な被害を指す。通常「危機管理」と言う際には、自然災害にしろ、経済にしろ、この「ハザード」にをいかに和らげるかについて論じる。(続く)

2011-04-23 00:11:01
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)また「ハザード」には様々な局面、階層、種類があり、新聞や雑誌が報じているのは「ハザード」である。比して「カタストロフィ」とは単なる破滅であるが、社会変革論者ないし天罰論者は、この災害を「カタストロフィ」ベースで捉えているような気がする。(続く)

2011-04-23 00:12:16
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)具体的な「ハザード」とは違い、抽象的な「カタストロフィ」は、少なくとも大言壮語や大仰な「思想」のベースにはなりやすい。然るに被害(ハザード)が少ない地域において「危機」=「カタストロフィ」を喧伝するというのは何に結びつくのかが分からない。(続く)

2011-04-23 00:15:58
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)東浩紀は自らへの批判に対しお前らは「危機」のなんたるかが分かっていない(だから「批評家」という肩書きを外す)と宣言した。ここにおける「危機」は、少なくとも周辺のtweetを見る限りにおいては、間違いなく「カタストロフィ」だ。(続く)

2011-04-23 00:17:15
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)しかし、少なくとも東が「危機」を煽り立てるのは、今起こっている事象が自分にとっての「カタストロフィ」であるということを喧伝しているに他ならない。しかしそれは心の問題に過ぎない。そういう人たちには、いったんデータと自分の心と向き合ってみたら、としか言いようがない。(続く)

2011-04-23 00:20:36
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)また、西部邁の言説に対し「俺の知ってる危機管理と違う」と私が述べたのも( http://togetter.com/li/120985 )、西部は「危機管理」とは「カタストロフィ」を管理することだと考えているからではないか、と気付いた。(続く)

2011-04-23 00:21:42
後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto

(承前)言うまでもなく、「カタストロフィ」の回避は不可能だ(笑)。故に私は、災害の言説においては、具体的事象としての「ハザード」と空想上の産物である「カタストロフィ」を分けて論じるべきであると考えた次第である。こんな感じかな。続きはCOMIC1のサークルペーパーで!

2011-04-23 00:23:14