リビア空爆における米国の消極姿勢を批判する
米、無人機でのリビア攻撃を承認(http://bit.ly/f2xxra)…米国もリビア空爆での消極姿勢の限界をようやく自覚した。軍事行動に着手しておいて緒戦だけやって後は能力のない他者(英仏ほかNATO諸国)に責任丸投げというのはどう考えても魅力的な国家のやることではない。
2011-04-23 04:42:503/28のオバマ大統領演説(http://1.usa.gov/hdTX8w)で語られた消極的な軍事力行使のスタイル、いわゆる「オバマ・ドクトリン」は財政難の米国の干渉姿勢としてそうした主張をしているのだが同盟国からみればそれは倒錯した「リーダーシップ」の主張というべきものである。
2011-04-23 04:46:00米国の海外における軍事力行使への批判には二つのタイプがありtoo muchとtoo littleである。ブッシュ政権のイラク攻撃は明らかに前者で批判されたが、オバマ政権はそうはなるまいと意識するあまりリビアでは後者の批判を受ける状況となってしまっている。羹に懲りて膾を吹くの類だ。
2011-04-23 04:48:20過ぎたるは及ばざるが如し、ではなく、及ばざるは過ぎたるが如し、と言い換えてもいい。米国が空爆で消極姿勢を採るから、結局カダフィ派が盛り返してきてミスラタの状況が極めて危機的になってしまった。「カダフィは去れ」とまで言った外交姿勢と軍事干渉の姿勢が連動していない。大問題である。
2011-04-23 04:49:52プレデターの投入は及び腰の関与姿勢ではあるが何もしないよりはいい。今の米国はひたすら低姿勢、海外不干渉姿勢で行くことが「リーダーシップ」と考えているのかもしれないが、米国がその覇権的地位に伴う責任をきちんと果たさないことはかえって「リーダーシップ」を損なう現実を直視すべきと思う。
2011-04-23 04:52:56米国が国連安保理決議の制約を理由に軍事力行使に消極的なのも大きな問題がある。そもそも人道的干渉とは決議の有無を超えた話であって、大国間政治の展開からたとえ決議がなかったとしてもやるべき時にはやらねばならない話である。決議がないからベンガジの虐殺を見逃す、ということが今回できたか。
2011-04-23 04:55:44しかし今回の米国は「カダフィは権力の座から去らねばならない」とまで言っておきながら、安保理決議でレジームチェンジが明示的に規定されていないからとしてカダフィ派の地上軍を攻撃することに消極的である。だが決議には同時に市民保護のためにあらゆる手段が採れるとも書いてあるのである。
2011-04-23 04:57:39中ロとの対立を厭わず決議の拡大解釈を行うことは可能であって、今回はそれほど広い授権が行われているのである。市民保護のためにどのみちレジーム・チェンジが必要なことは米国を含め広く認識されている事実だろう。それなのに決議遵守を理由に消極姿勢を採るのは要するに関与拡大を避けたいからだ。
2011-04-23 04:59:45昨今の米国の財政難やイラク、アフガンに加えて日本支援もやらねばならない状況下での作戦という事実を考えれば米国の消極姿勢も理解できなくはないが、しかしそれはやはり理想的な「リーダーシップ」とは程遠いとはっきり指摘すべきだろう。結局、反体制派が敗北するなら結果は不干渉と同じである。
2011-04-23 05:02:47なお日本人がこの問題を論じる場合にはある種のねじれが存在することを指摘しておくべきだろうと思う。つまり日本人は「リビアなんかに拘束されていたら中国・北朝鮮への米国の対処が甘くなる」という資源配分の観点から米国のリビアに対する不干渉姿勢を支持する姿勢が一定程度あると考えられる。
2011-04-23 05:04:37こうした反応も理解できなくはないが問題はやはり米国と国際秩序の関係という大きな枠組みで捉えるべきだ。つまり米国がその国際的責任を十分に果たさず地域の同盟国に対応を丸投げするという姿勢は同盟国から見れば大問題なのである。欧州で行われることは東アジアでもいつか行われるかもしれない。
2011-04-23 05:06:49短期的に見ればリビアへの不干渉姿勢は資源節約という意味において対中・対北朝鮮牽制に貢献するかもしれないが事は軍事力行使のドクトリンに絡む問題である。及ばざるは過ぎたるが如しであって、too littleな米国はtoo muchな米国と同様に同盟国には問題ある存在であると言えよう。
2011-04-23 05:10:25