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toshi3636_1
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政治は「可能性の芸術」と言ったのはビスマルクである。議会制民主主義においては、とにかく票を集めて、政権をとらないと話にならない。そのためにはさまざまな可能性を探る。与党も野党も、可能性の芸術を追求する。その結果、政権交代が定期的に起こるのが民主主義の新陳代謝である。
2018-09-23 06:31:31
『新潮45』の水田論文特集に批判が集まるが、「野党」百害という特集もひどかった。政権交代が民主主義に不可欠な新陳代謝だと理解しているメディアは、このような一方的な野党誹謗中傷はしない。するとしたら「芸としてのおっさん」かイエロージャーナリズムだが、本来新潮社は無縁であるべきだ。
2018-09-23 06:33:40
日本における「芸としてのおっさん」の中には、現在の与党(的なもの)を固定して、それ以外のものを腐すという心の老化作用のようなものがあって、それを書いて読んでよろこぶという活字のエコーチェンバーを延々と続ける傾向がある。「新潮45」がそのような知の怠惰に落ちたのは本当に残念だった。
2018-09-23 06:35:26
米国の民主党と共和党、英国の労働党と保守党のように、定期的に政権交代を繰り返してしか醸成されない政治家の資質がある。与党でないと見えない、育たない資質があり、野党でないと見えない、育たない資質がある。万年野党、万年与党では、政治家としての資質のどこかが腐っていく。
2018-09-23 06:36:44
日本の野党が、戦後において長いあいだ「万年野党」で、その中で「可能性としての芸術」を追求する筋肉を持たなかったことは事実としてあるかもしれない。その中で、政治家が、野党の一議員であることで満足していたら、それは批判の対象になっても仕方がない。
2018-09-23 06:37:55
しかし、今回の「新潮45」のように、「野党」百害といった見出しをつけて一方的な批判記事を載せることは、「芸としてのおっさん」の心の老化には寄与しても、民主主義の新陳代謝には全く寄与しない。メディアは、むしろ「可能性の芸術」の風通しを良くするような記事を編集すべきだろう。
2018-09-23 06:39:25