時計屋シリーズ4~鐘守寺の和尚の話~

人骨をダイヤモンドにする技術はこのころまだ普及していません。
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まとめ 時計屋シリーズ3~時計屋の話~ 時計屋の話です。公衆電話が少し違いますね。 1095 pv 4

本編

帽子男 @alkali_acid

大粒のダイヤモンドがはまった腕時計。ケースはプラチナで、ベルトはゴールド。当然ながら重く、男物だ。この世で最も高価な宝石は時針の付け根のあたりでまばゆい光を放っている。

2018-09-23 22:13:15
帽子男 @alkali_acid

最新の音叉式で、軍規格の耐衝撃構造を備え、文字盤をおおうのはサファイアガラス。鉄板にこすりつけても傷ひとつつかないだろう。つけているのは僧侶。別に珍しい話ではない。裕福な檀家を多く抱える大寺の貫主であれば、高級車を乗り回し、高級品を身に着けるのは当たり前だ。

2018-09-23 22:16:02
帽子男 @alkali_acid

しかし。 市中央警察署に赴任したばかりの新署長は、豪華なコース料理のあとのコーヒーと葉巻を楽しみながら、やはり落ち着かぬげに、ダイヤの腕時計をはめた人物に見入った。容姿は時計以上に目立つかもしれない。僧侶とは言うが、腰まで艶やかな黒髪を伸ばし、白皙の顔立ちは女性とまがう柔和さ。

2018-09-23 22:19:28
帽子男 @alkali_acid

「ああ、この時計ですか…お目が高い」 鐘守寺(しょうしゅじ)の理永和尚(りえいおしょう)はよく見えるように手を差し出した。 「ダイヤモンド、美しいと思いませんか」 「はあ。それはもう。見たことのないカットだ」 「ありがとうございます。実は人造でして」

2018-09-23 22:22:19
帽子男 @alkali_acid

署長がぽかんと口を開けると、はすむかいに座った実業家の某氏が咳ばらいして言葉をはさんだ。 「うちの工場で出している人造ダイヤモンドですよ。和尚には試作品を身に着けていただいている」 「ほう、なるほど」 「これまでは工業用でしたが、今後は装飾用にも生かしたいと考えていまして」

2018-09-23 22:24:42
帽子男 @alkali_acid

ささめきが会食の場に広がっていく。署長は狐につままれた思いで葉巻を吸い、紫煙の裏に表情を隠した。それとなく周囲をうかがうと、反応は二種類に分かれる。訳知り顔でうなずく連中と、とまどいつつ愛想を閃かす連中。 この市を二分する勢力を表している。

2018-09-23 22:26:24
帽子男 @alkali_acid

まず霧の都、とばかげた名前を市につけた地元新聞社の社主、ラジオ局の大株主でもある男や、隣の消防長、副市長、県議、先ほどの実業家など。これらはダイヤの腕時計をつけた和尚と同じ派閥だ。

2018-09-23 22:29:55
帽子男 @alkali_acid

一方でテレビ局の支局長、市議会第二党の市議団長、警察署長などは別の派閥に所属する。いずれも市外から、あるいは県外から移ってきた口だ。 前者はだいたい同じ高校の出身といった共通点はあるが、それ以上に何か固い結束を示し、秘密を抱える。後者はまるで"つんぼさじき"に置かれているようだ。

2018-09-23 22:33:29
帽子男 @alkali_acid

「赴任されて間もないと、とまどうことも多いでしょう。このような集まりでできる限り、よそからいらした人に、この"霧の都"について知っていただき、なじんでいただきたいと考えているのです」 副市長が話を引き取る。

2018-09-23 22:35:13
帽子男 @alkali_acid

新任の中央警察署長はそつなく相槌をうちながらも、やはりダイヤの腕時計をした和尚から目を離せなかった。 この場、いやこの市を真に牛耳っているのが誰なのかは疑いようもない。与党出身の市長や副市長でもなければ、地元財界のトップでもない。

2018-09-23 22:37:00
帽子男 @alkali_acid

あの有髪の、年齢不詳の縹緻をした人物なのだ。序列をはっきりと治安機関の責任者に分かりやすく示すための席なのだろう。地元出身の大物は誰もが気安くしかし、明確な敬意を払って住職を話の中心に置く。 外様である地銀の支店長や電力会社の支社長などは借りてきた猫のようだ。

2018-09-23 22:40:52
帽子男 @alkali_acid

署長はあれこれの疑問を呑み込んだ。所詮は数年のあいだ自らの席を温めるだけの立場だ。 「いよいよ市新庁舎の落成ですが、あれは見事なものですね。古風というか」 「ああ、この市もいつまでも一次、二次産業でやっていけはしませんね。やはり東京や大阪からもたくさん観光に来ていただかないと」

2018-09-23 22:42:55
帽子男 @alkali_acid

流れるように会話が続く。 副市長が意気込む。 「わが市は幸いにも、空襲を逃れた古い町並みが残っている。これを生かさない手はありません。公共建築も、古風でありながらモダンな、市の景観に調和するデザインでなければ、というのはもちろん和尚の受け売りである訳ですが」 「おかしなご謙遜を」

2018-09-23 22:44:59
帽子男 @alkali_acid

「時計塔でしたか、うちの警察署にもある」 またうまく含みがとれないが、適当に合わせておくしかない。 「あれは増設したものですから、いささか格好がよくありませんが」 ずけずけと消防長が言う。署長が困っていると、あわてて語句を継ぐ。 「うちも同じですよ。いっそ建て替えたい」

2018-09-23 22:46:41
帽子男 @alkali_acid

僧侶が笑った。男でもぞくりとくる甘い表情だった。 「いささかとってつけた感じは否めませんね。おいおい建て替えてゆくでしょう。しかし、時刻になると一斉に鐘を鳴らすのはなかなか見事ですよ」 「鐘、ですか」 「ええ、誰もが平等に聞ける鐘です。すばらしいものです」

2018-09-23 22:48:20
帽子男 @alkali_acid

署長はどうにかうまく取り入ろうと返事をひねる。 「鐘といえば、鐘守寺にも鐘という字が入っていますな。やはり見事な鐘がおありになる」 いきなり場の空気が凍った。

2018-09-23 22:49:44
帽子男 @alkali_acid

しわぶきひとつない静寂。警視総監の訓示の前でもこのような冷たい沈黙はない。特に強張った面持ちをしているのは、地元の大物達だった。 もっとも和尚はだけは意に介したようすもない。 「鐘守寺は市のはずれにあるものですからね。大晦日などはそれでも湖水をわたって音が響くそうですが」

2018-09-23 22:52:29
帽子男 @alkali_acid

「はあ…なるほど…勉強に…なります」 心臓に早鐘を打たせながら、署長はどうにか答えを絞り出す。もはや無駄口は一言も叩くまいと肝に銘じながら。 理永はダイヤの腕時計を確かめて立ち上がる。 「お先に失礼させていただかなくては」 地元派からは落胆が、市外派からは安堵が漂う。

2018-09-23 22:55:20
帽子男 @alkali_acid

「近頃お忙しいようですな。ゴルフもいらっしゃらない」 「申し訳ありません。最近飼い始めた犬が、私に懐いて寂しがるものでして」 犬。僧侶が犬を飼うのか。 署長はまた目を点にしたが何も尋ねはしなかった。

2018-09-23 22:58:22
帽子男 @alkali_acid

配下にありながら謎めいた騎馬警官隊や水上警邏隊について地元出身の副署長に詳しく問わなかったように。

2018-09-23 22:58:30
帽子男 @alkali_acid

住職は慇懃な挨拶をしたうえで、会食の場を後にした。 市で一番古いホテルにあるフランス料理レストラン。従業員は皆、有髪の僧侶を見知っていて、うやうやしく出口まで案内する。

2018-09-23 23:00:03
帽子男 @alkali_acid

理永は待たせていたドイツ製の高級車に乗り込むと、合図して発進させる。 「和尚様おつかれさまです。新任の署長はいかがでしたか」 運転手が聞くと、後部座席の男は眠たげに応じる。 「十分に賢い男のようだよ。余計なことを嗅ぎ回らないだけの頭はある」

2018-09-23 23:02:12