
【北海道オリジナル】木コンクリート橋を見てきた【戦時設計】
-
profenigma
- 8971
- 47
- 4
- 299
木コンクリート橋(木コンクリート複合桁橋)との遭遇
事の起こりは2年前、@Einshaltさんの投じた画像とツイートを見てRTしたことからである。

ふらっと撮りためた写真見てたら初山別で見かけたR232旧道の橋が木造桁橋らしいことに気づいて頭抱えてる。また現地見に行かないと… pic.twitter.com/UxbO0zesAr
2015-06-20 22:07:54


その2。旧R232の木造桁橋。1963年竣工。風雪に耐えて半世紀以上もよくまあ残ってたと思う… pic.twitter.com/SJ7w0a8fCf
2016-09-24 21:07:41




RT>北海道で、昭和28年に指定された老舗国道の、昭和38年の橋が木造桁って……(ドウナッテルンダ)。なお最果て稚内に向かう幹線国道40号(天塩町以北232号と重複)には、海に近い酷寒地という極悪条件で架橋後60年近い鉄橋の天塩大橋がいまだ現役。架け替え工事はまだ道半ばである
2016-09-24 22:13:18昭和30年代以降に架設された国道級の道路橋で木製の桁が使われ、北海道の厳しい気候のもとで今なお残存している事実に愕然とした。
直後、北海道の石炭産業に通暁された@Brauniteさんからご指摘と情報のご提供があった。

@profenigma これは、高橋敏五郎の遺産(土瀝マカダム舗装工と木コンクリート橋)の一つですlibrary.jsce.or.jp/jsce/open/0003…
2016-09-25 01:07:31リンク先pdfは平成22年9月の土木学会・第65回年次学術講演会における(株)ドーコン社員の方々による発表内容であったが……仰天した。
1.幻の「木コンクリート橋」
(リンク先「高橋敏五郎と木コンクリート橋」冒頭から引用)
戦前戦後に 350 橋以上が建設された木コンクリート橋という北海道独自の橋梁形式があった。これは日華事変以降の鋼材不足を乗り切るために北海道土木試験所で開発された鉄筋コンクリート桁橋の代用工法で、昭和 14 年から 30 年代にかけて重用され、北海道の道路の発展に多大な貢献を果たしてきた技術である。(後略)
さっそくネットで文献を漁ってみる。
高橋敏五郎(1906-86)は戦後、昭和29年の札幌・千歳間国道舗装工事(弾丸道路)や、名神高速道路の建設に辣腕を振るった著名な土木技術者である。
高橋に率いられた北海道庁土木部の技術者たちの手で大戦直前に実用化されたのが、木コンクリート橋だった。
道庁土木部の研究部門である土木部試験室は昭和22年に北海道土木試験所として独立した後、昭和26年の北海道開発局発足で同局に再編された。その後の紆余曲折の末、国立研究開発法人土木研究所の「寒地土木研究所」となっており、今も札幌に本拠が置かれている。
寒地土木研究所は、北海道開発局発足以前も含めて戦後に刊行した紀要をpdf化しており、その中には木コンクリート橋に関する手がかりもあった。
以下、文系レベルの浅い知識で、2016年と2017年のツイートを織り交ぜて。

昭和10年代初頭から戦時体制に入り、(建設自体は楽な)トラスや桁が鋼製の橋は、主要道路でも容易に架橋できなくなり、終戦直後あたりまで代用資材が試みられる。カネはかかるが材料が内地自給可能なコンクリートは各地で多く使われ、鉄筋なしで済ませた上路式コンクリートアーチが多々作られた
2017-08-06 17:16:37
そういう中には「鉄筋の代わりに竹を使った竹筋コンクリート構造物もあった」と伝えられるが、施工がきちんとしていれば計算上は強度が得られる構造とはいえ、鉄筋が手に入れば用済みになる技術であったから、戦後は速やかに廃れて、あまり実例も残っていない
2017-08-06 17:19:06
(承前)日中戦争(1937)以降の非軍事用鋼材供給の払底はよく知られた史実で、これは消去法でコンクリート橋の普及にもつながったわけだが、短スパンの桁橋まで全部コンクリートというわけにも行かず、木橋への逆行が生じるも、国内屈指の林産地である北海道ですら木材が不足してしまう事態に
2016-09-25 11:44:59
在来木製橋は、路面が木の板、またはその上に土を盛った土橋。元々それらは橋上路面以外の機能を持たず、橋桁にとっては死荷重。しかも路面の板と板の隙間から雨水が流下し、下の木製桁を腐朽させやすい。安いのは初期費用だけ、メンテコストがかさみ、寿命も短い。自動車交通があるとさらに寿命が縮む
2017-08-06 17:22:17
木橋が過去のものとなった後、ランドマーク的に1990年代以降わざわざ木橋をかけた事例が多々あるが、そのおかげで木橋の構造的問題点が改めて明らかになり、土木学会木材工学特別委員会が2011年に出した「木橋の維持管理」でまとめられている committees.jsce.or.jp/mokuzai/system…
2017-08-06 17:26:50
木橋は痛み、腐り、キノコやカビが生え……多々対策を講じてなお大昔と同じことを繰り返す羽目になったことがわかる。 翻って北海道式の木コンクリート合成桁橋は、「道産木材を使い、車道橋として長期間使え、メンテコストも抑える」という、通常木橋よりも鋼桁に近い高性能を狙ったところが面白い
2017-08-06 17:29:21
考えは、まず両岸に橋台を作り、荷重に見合った太さの木製主桁を、道幅相応の数、間隔で鋼製桁同様に架け渡す。木材への事前加工は桁上面への一定間隔での凹凸加工と防腐剤塗布。上面に型板と組み合わせ厚さ15センチ程度のコンクリートを場所打ちする(鉄筋を組むのが望ましいが無筋でも行ける設計)
2017-08-06 17:30:48
木製桁上面の凹凸部分を活用し、固練りモルタルおよび鉄製金具で、コンクリートと木製桁を結合。これによってコンクリと木材が一体の桁として機能する。引っ張り荷重に強い木材を下に、圧縮に強いコンクリを上に配置して合成桁にしてあるから、橋上の垂直荷重にも上下相補って耐えられるという寸法
2017-08-06 17:32:04
しかもコンクリートはそのまま橋上舗装として機能し、さらに下の木材を降雨による腐食から守る。強度部材・舗装材・桁保護材の3機能を担うのである。普通なら死荷重になるスラブ部分まで強度構造に利用しようという着想が鮮やかである
2017-08-06 17:32:51
1992年の西本藤彦による小文「木コンクリート橋」thesis.ceri.go.jp/db/files/00044… によれば、1939年に定山渓の盤の沢に開発陣の勤労奉仕で架橋されたのが最初で、1968年まで架橋例があり、1960年時点でも全道に248橋を数えたという
2017-08-06 17:14:39
そして西本の上掲文によれば、92年時点でも当時南茅部町内の国道278号角張川橋が木コンクリート橋として残っていたという(同年改築予定とあり、もう痕跡はあるまいが)。西本の小文とドーコンのレポが、このタイプの橋に関するコンパクトにまとまったメモである
2017-08-06 17:15:59
木コンクリート橋とゴジラ jcma.heteml.jp/bunken-search/… 「ゴジラ」の音楽で知られる巨匠・伊福部昭の兄で、道路建設技術者だがアイヌ文化研究にも造詣の深かった伊福部宗夫が、高橋敏五郎のもとで木コンクリート橋の実際の設計理論確立に携わったことを記した小文。意外な名前が
2016-09-25 11:40:42
(承前)そしてこの吉田紘一氏の文章の中で、先ほどご紹介いただいた(株)ドーコンの技術者諸氏による土木学会での発表同様「昭和40年時点で全道の国道橋の12%に当たる246橋」が木コンクリート橋となっており「昭和34年から37年の4年間に約120橋が架設」とあった。これは尋常ではない
2016-09-25 11:49:59
(承前)北海道内における国道指定は1952年の現行の道路法制定に伴って1952年に1球、翌53年に2級の各路線が指定され、これは本州以南と同じだが、輸送事情や自然条件が異なる「内地」では、これ以降、木製桁の橋をある程度恒久的なものとして国道に新規架橋した事例は聞いたことがない
2016-09-25 11:53:54
木コンクリート橋の設計と計算について thesis.ceri.go.jp/center/info/ge… 寒地土木研究所サイト(pdf化された当時の記述に中から飛べる)伊福部宗夫が1951年にまとめた、木コンクリート合成桁橋の技術解説。理論と実践の両面で当時開発から10年余りの特異な技術を解説する
2016-09-25 20:16:18