- akinosora_
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一般通過小説家。無断転載はご遠慮ください。
昔から、確かに星には興味があった。なにせ高校の入学祝いとして、親に天体望遠鏡をねだったほどだ。とても趣味なんて呼べない、ちょっと心を惹かれて、だけど手が届かなくて。それは、まるでショーウィンドウの楽器を眺めているような。だから、初めて手に入った「武器」が、僕にはとても嬉しかった。
2018-10-03 23:43:16そいつは僕の秘密の「武器」。持っているだけで誇らしくて、同じ場所から、同じ星を、同じ季節の間中、飽きもせずずっと眺められるような。そんなもの。そうなると思っていた。だからこそ、 「これが、私からの入学祝い」 僕より一年だけ早く、入学していた先輩が、そんなことを言ったのには驚いた。
2018-10-03 23:46:12先輩は、中学からの知り合いだった。もともと兄貴と同じ部でマネージャーをやっていた。僕は別の部を選んだけれど、その伝手で知り合ったのだ。サバサバとした気持ちのいい人で、僕なんかより元気がいい。そして頭もよく、僕がなんとか入ったこの高校を、家から近いという理由で受けたはずだ。
2018-10-03 23:50:34僕が貰った鍵はふたつ。ひとつは「天文部」の部室の鍵。僕と違って、先輩は星に特別の興味はなかったと思うけれど、二年で部長をやっているという。そしてもうひとつは屋上の鍵。代々、在校生の誰かに、連綿と受け継がれたという秘密の鍵だ。 「星、好きなんだよね。いっしょにどう?」 迷わなかった。
2018-10-03 23:54:20僕の自室のベランダから、天文部の部室へと、天体望遠鏡は移された。ほかに部員はひとりもいない、たったふたりの小さな部活。聞けば天文部はなんと、去年、たったひとりで先輩が設立したという。「だから、正確には同好会なんだ」恥ずかしそうに先輩は笑う。僕には、だけど、とても輝いて見えていた。
2018-10-03 23:57:36それから多くの放課後を、僕は天文部で過ごすことになる。誇れるほど詳しいわけじゃない。ひとりならきっと、同好会を作ろうだなんて考えもしなかっただろう。たったひとつの、身の丈に合わない僕の武器は、今だって部屋で眠っていた。そう思う。先輩には、感謝してもしきれない。
2018-10-04 00:00:25夏には合宿なんて称して、先輩とキャンプにも行った。山の上の開けた場所で、僕と先輩は、ふたりだけで空を見上げた。吸い込まれるような満天の光に、なんだか眩んで涙が滲む。この景色を、僕はきっと、一生、忘れない。そんな風に思った。
2018-10-04 00:06:58冬には学校に夜まで残って、秘密の屋上で星を見た。ふたりだけでいられるこの時間が、僕には何にも代えがたい宝物のように思える。僕はひとりでも星を見るけど、それでもやっぱり、先輩とふたりで見るほうが楽しかったから。「君は本当に、楽しそうに星を見るね」先輩はそんな風に笑って言った。
2018-10-04 00:10:27「先輩は、あんまり……楽しくないですか?」思わず不安になって訊ねた僕に、「そういうことじゃないよ。もう、馬鹿だなあ」なんて先輩は笑う。 「私も星は好きだよ。でも普通に、だ。君にはとても及ばないよ」 そんなことはない。そう思ったけれど、言葉にする勇気は出なかった。
2018-10-04 00:13:07だってこのとき僕はとっくに。きっと、もっとずっと前から。星以上に眺めていたいものを、見つけてしまっていたのだから。「次は私ね」と、先輩がレンズを覗き込むとき、僕が見ているのは星じゃない。いや、ある意味ではどんな星より、綺麗に思えるものなのかもしれないけれど。それを言う勇気はない。
2018-10-04 00:15:53「来年は私も受験だなあ」そんな先輩の言葉にはっとする。僕はこの日々が、まるでいつまでも続くかのように錯覚していたからだ。そんなことはないのだと、このとき初めて意識したと思う。「いい思い出ができたよ」笑う先輩に、「息抜きがしたくなったら、いつでも部室まで来てください」と言った。
2018-10-04 00:24:14「もちろん!」と先輩は答えてくれる。「来年からは君が部長だ。新入生、入るといいよね」「そうですね。先輩、大学はどこを?」訊ねた僕に、先輩は、恥ずかしそうに名前を答えた。なるほど確かに難関校だ。「だけど、先輩なら大丈夫ですよ」心から僕はそう言った。勉強の邪魔はしたくなかった。
2018-10-04 00:29:17「だから、先輩。一年後」 「え?」 「先輩が大学に合格したら、そうしたら最後にもう一回、春になる前に星を見ましょう」 「へえ……いいね、もちろんさ。そのときはまたこれまでみたいに、私に星を教えてよ」 「約束ですよ」 「うん。忘れないよ」 「そのときには、きっと、教えますから」
2018-10-04 00:31:56翌年、新入生は現れなかった。先輩とふたりの空間を気に入っていたし、来なければこないでいい、なんて思っていたけれど、それはそれで結構傷ついた。ひとりきりの屋上は、さすがにちょっと寂しすぎる。もちろん先輩とは頻繁に顔を合わせたし、僕も来年は受験なのだ。勉強には気合いを入れていた。
2018-10-04 00:35:12先輩と同じ大学に行きたかったこともあった。幸い、同じ大学に兄貴が通っている。対策やら何やらは聞き出せたし、それが少しでも先輩の役に立てばいいと思えた。僕は知っているからだ。兄貴の弟でしかなかった僕のために、わざわざ先輩が天文部を作ってくれたことを。僕はそれに、見合う男になりたい。
2018-10-04 00:39:16星を見続けていた一年とは違う。この一年で、僕は星を追いかけて、星に手を伸ばせるだけの人間になろうと決意したのだ。季節は瞬く間に過ぎた。満天の空を見た夏が過ぎ、屋上で約束した冬を超え、年が変わり、そして。先輩は、見事に大学に合格した。
2018-10-04 00:42:05おめでとうを告げる代わり、僕は時間と場所を先輩へ伝えた。約束に場所まで来てほしいと、先に屋上で待っていた。天体望遠鏡と、些細なお祝いのお菓子を用意して。伝えるべき言葉を伝えるために。先輩は、すぐに現れた。「待ちきれなくて」と、見慣れた表情ではにかんで。 おめでとうを、僕は伝えた。
2018-10-04 00:47:35先輩は、こちらこそ、と答えて涙ぐむ。珍しいその姿に、僕のほうが狼狽えてしまった。涙を拭って先輩は、ありがとう、と僕に言った。 「君のお陰だよ。本当に、感謝してる」 「……そう思ってもらえたなら、嬉しいです」 「あはは、ホントだって。わたしはちゃんと、手を届かせたよ。これで」
2018-10-04 00:51:50憧れだったんだ、と。恥ずかしそうに、先輩は語った。君はとっくに気づいてたと思うけど。君のお兄さんは私の憧れで。昔、マネージャーとして部活に入れてくれて。助けられて。 だから私も。先輩みたいに。君の力に。私は──。
2018-10-04 00:54:39後片付けを買って出た。先輩を先に帰らせて、ひとりで屋上に残っていた。星を、見ながら。結局、僕は眺めるだけで、どこにも手が届いていなかったのだ、と。そんなことを思い知ったような気がする。何かを間違えたのではなく、初めから僕の届かない場所にいたのだ。ならばこれは当然の話。
2018-10-04 00:58:50