現代の「市民的公共」について

思想史たんbotの講義部分から。話はアリストテレスに遡る… アーレントもサンデルも、勿論右翼とか権威的保守主義者には当たらない。その逆で、「共和主義者」(リパブリカン)。共同体主義者(コミュニタリアン)も当てはまる。 「自由」「平等」「博愛」の「博愛」に当たるかも。
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まず話はアリストテレスから…

政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスは古代ギリシア時代に存在していた人文科学から社会科学、自然科学に至るまで極めて膨大な知見を体系化し現在の学問の基礎を築いた。「万学の祖」と称される。 pic.twitter.com/ElsPeYMuOV

2018-10-05 12:17:16
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アリストテレスの学問体系の中で、人が達成すべき「善」を追求する倫理学と、人が善を達成できる政治秩序を追求する政治学は表裏一体の存在であった。前者は政治学の目的を設定することに、後者は善を達成する手段を探求することに繋がるからである。

2018-10-05 13:17:12
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人間のあらゆる行為は全て何らかの善(アガトン)を目指している。そうした様々な善の間には「手段と目的」という関係があって、この連鎖を辿ると人間の行為の究極的な目的が現れる。これを「最高善」と呼んだ。

2018-10-05 14:17:18
政治思想Bot @Seiji_shiso

一般の大衆も教養ある人々も、最高善を「幸福」と呼んでいる。では幸福とは何であるか。各々に「固有の機能」を最も善く果たすことがその存在にとっての幸福=最高善であるから、人間にとって固有の機能が何であるかを考える必要がある。

2018-10-05 15:17:14
政治思想Bot @Seiji_shiso

人間に固有の機能とは、「魂の中の理性を有する部分の働き」である。これを最も善く果たした時こそが人間にとっての最高善=幸福なのである。

2018-10-05 16:17:16
政治思想Bot @Seiji_shiso

人間の魂の中の理性的部分は「知性的卓越性」と「倫理的卓越性」に分けられる。前者は自分自身の内に理性を持ち思考する部分であり、後者は理性に従う部分である。これらの卓越性に基づいて理性を働かせることが人が目指すべき最高善なのである。

2018-10-05 17:17:15
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すなわち、知性的でかつ倫理的にも卓越した存在になることが人間の究極的な目標であり、そうした存在となった人間は幸福であるとアリストテレスは考えたのである。

2018-10-05 18:17:16
政治思想Bot @Seiji_shiso

「知性的卓越性」と「倫理的卓越性」は天賦の才能ではなく、前者は教育によって、後者は習慣によって身に付くものであるとした。倫理的に優れた人間は「倫理的に優れた習慣」によって育つのである。

2018-10-05 19:17:13
政治思想Bot @Seiji_shiso

「倫理的に優れた習慣」とは情念と行為において、「超過」と「不足」を避けた「中庸」を選ぶことで、次第に倫理的に優れた存在へ成長していく。こうした習慣を修得する場は古代ギリシャにおいて「ポリス」以外には有り得なかった。

2018-10-05 20:17:19
政治思想Bot @Seiji_shiso

すなわち、人間とはポリスにおいてしか倫理的に成長することの出来ない動物であり、ポリスは人間にとって不可欠な存在である。これが「人間は生まれながらにしてポリス的人間である」の所以である。

2018-10-05 21:17:13
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスの政治思想においては、人間を倫理的に卓越した存在へと成長させるような国制こそ最善の国制である。と考えたのである。ここで彼は現実で与えられた条件の下で実現可能な国政を見出すべきだと主張した。

2018-10-05 22:17:16
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスは様々な形態の国制を比較研究し、「支配者の数」と「統治の善悪」という二つの基準を提示する。前者は「唯一者」「少数者」「多数者」で、後者は「ポリス全体の公的な利益を追求する統治」を善い統治、「支配者の私的な利益を追求する統治」を悪い統治とした。

2018-10-05 23:17:15
政治思想Bot @Seiji_shiso

国勢の六類型のうち「王制」「貴族制」「ポリティア」の3つは善い統治であるが実現が困難である。「僭主制」「寡頭制」「民主制」の3つは悪い統治であるが、実現が可能である。このうち僭主制は最悪の国制なので論外とし、残った寡頭制と民主制の長所を融合した国制が実現可能な国制となる。

2018-10-06 08:17:20
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスによると民主制の原則は「自由(各人が己の欲するように生きること)」である。ここから何人からの支配を受けたくない、という欲求が発生する。しかしこれを現実世界で完全無欠に実現することは不可能である。

2018-10-06 09:17:11
政治思想Bot @Seiji_shiso

そこで次善の要求として支配と被支配を交代で行うという要求が発生する。すなわち、自由という民主制の基本原則は「支配者と被支配者の交代」という形によって制度化されることとなる。

2018-10-06 10:17:16
政治思想Bot @Seiji_shiso

支配者と被支配者が交代するので唯一人の僭主や少数の富者が自分の私的な利益の実現を目指して統治することは出来なくなり、市民の政治リテラシーも涵養される。支配被支配の地位が固定した僭主制や寡頭制では、主人が奴隷を使うような国政になってしまう恐れがある。

2018-10-06 11:17:15
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスにとって民主制は、特定の個人や少数者による私的統治を防止する・市民の支配被支配の能力を涵養するという二つの観点において僭主制や寡頭制より優れていると結論付けた。

2018-10-06 12:17:16
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスは民主制を評価しつつも、交代制であるとはいえ多数者がポリスの要職に就くことには危惧があった。多数者は個人とすれば必ずしも知的倫理的に卓越した存在ではないが全体とすれば適切な判断を下すことが出来るだろう。そこで多数者を国政の審議と裁決のみに参加させれば良いのである。

2018-10-06 13:17:15
政治思想Bot @Seiji_shiso

アリストテレスは政治学においても富裕層や貧困層による統治でなく中間層による統治を選ぶことこそ政治的に正しい選択肢であると主張した。人間は富裕であり過ぎたり貧困であり過ぎたりすると理性にしたがって行動できなくなるから。富裕と貧困の中間程度の生活水準の時に最も理性的に行動できるのだ。

2018-10-06 14:17:18
政治思想Bot @Seiji_shiso

また富裕者と貧困者のどちらか一方のみがポリスの公職に就いて国家を統治すると、両者の対立が増す。これに対し中間層がポリスの公職に就いて国家を統治すると、富裕層と貧困層の対立が緩和され、統治の安定性も期待できる。

2018-10-06 15:17:14
政治思想Bot @Seiji_shiso

多数の一般市民は国政の審議と裁決に参加することで、自分の私的な利益のことだけでなくポリス全体の公的な利益について考えるようになり、超過と不足を避けて中庸を選ぶという倫理的に正しい選択が出来るようになり、卓越していくことこそ最高善なのである。

2018-10-06 16:17:16

ここから「現代の市民的公共」の話

政治思想Bot @Seiji_shiso

20世紀以降の人文・社会科学分野においては「公共性」という概念を巡る活発な議論が展開されている。これは自明とされていた国家と公共性の関係を見直し、「公的領域」を新たに「市民によって担われる議論と意思疎通の空間」と仮定し、活性化を図ることを目的とする議論である。

2018-10-06 17:17:14
政治思想Bot @Seiji_shiso

人間を「ポリス的動物」と規定し市民は国政の審議と採決への参加=ポリス全体の公的利益にかかわる議論に参加することを通じて自らを倫理的に卓越した存在へと成長させ、最高善としての幸福を実現すると主張したアリストテレスは現代公共性についての議論の起源と見なされているのである。

2018-10-06 18:17:15