- JunNakagawaWork
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「そういう女性もいるが、多くの女は、そうじゃない」「多くって、どのくらいの数ですか」「屁理屈を言わないでくれ、私は一般的な『傾向』を述べているのだ」「その一般的『傾向』こそが、私には やくざなものに見えるのです!」。
2018-09-18 17:18:32相手が総括的箴言を多用する人物かどうかを私は注目していて、「汎化」を多用するようなヤツなら、たとえ その人物が悧巧でも私は その人の言を信用しない。
2018-09-18 17:19:30最近、ラジオのニュース番組で奇妙な報告を聴きました──「それぞれの学級で、1.9人が風邪をひいていることになる」。この数値をどう判断すればいいのかしら。0.9人というのは一人前じゃないということかしら。1.9人と2.1人では、これらの数値の違いをどう判断すればいいのかしら。
2018-09-18 17:21:00「私は、『客観的な』文を綴るようにしているのであって、『個性』的な文は論説を阻害することになる」 「『客観的』というのは、文の構成が『論理』のうえで立てられているということです! 雑な『汎化』のことじゃない」。
2018-09-18 17:21:55「頼るべき文化の伝統らしい伝統はみあたらず、西欧の思想を手当り次第に貪るより他に進む道はない、しかも既に爛熟し専門化した輸入思想を受けとってもこれを託すべき専門家が見つからぬから、何でも彼でも自分一人でこれと戦わねばならぬ。そういう状態なのだ」(小林秀雄)。
2018-09-23 21:14:11「彼の教養には専門化を知らぬ野生がある。彼は悲劇主義者でもなければ、不安の宣伝家でもない。ただ当時の社会不安のなかに大胆に身を横たえた一人の男なのだ。そこから彼の哲学は由来しているので、彼の哲学には批評家の餌食になるような結論もシステムもないのである」(小林秀雄)。
2018-09-23 21:15:07「だが身を横たえるという事は、どんなに難しい事だろう。誰が何んといおうが一番大きな一番強い生活の不安の上に、不安がなければインテリ面が出来ない態(てい)の様々な段階の不安がある、(略)そういう処へごろりと横になるという事は」(小林秀雄)。
2018-09-23 21:16:02「この身を横たえる事の難しさ、つらさが第一に心に来た。作家というものは不安の究明者でもなければ、解説者でもないというそのつらさが。そして作品の出来栄えなぞ云々する興味の忽ち失せて行くのを感じたのであった」(小林秀雄)。
2018-09-23 21:16:42私のような凡人が、天才の やりかた を真似るなら、およそ、天才の技術を真似ることなどできないので、せめても、天才たちのこの態度を倣(なら)いたい。
2018-09-23 21:17:30ただ、私のような凡人が、天才のそういう態度を倣えば、「この身を横たえる事の難しさ、つらさが第一に心に来た」ことを痛感しています。そして、私が天才を倣う猿真似は、「高慢さが芸になっていない」というふうに ウェブで非難される羽目になったのでしょうね(笑)。
2018-09-23 21:18:16「高慢さが芸になっていない」と批評して いっぱし批評家ぶっていることに較べたら、(私の高慢な性質などどうでもいいのであって、)私の意見を真っ直ぐに批評できない人が私の覚悟を感知できる訳などないでしょう。
2018-09-23 21:18:54私が「本気で」反論したくなるような批評を綴ってほしい──私は今までそういう批評(非難?)に御目に掛かった事がない。いかなる物かを調べるために、それに直接に触れないで、棒で ちょこちょこと突くような惚けた感想に対して私は相手をする気にもなれない。
2018-09-23 21:19:40