編集部が選ぶ「みんなに見てほしい」イチオシまとめはこちら

2018年京都SFフェスティバル 飛浩隆先生のレポートツイート かーらーのー 「創作踊り説」!

飛浩隆先生による詳細な京フェスレポートに続いて、「読者には絶対分からない実作社の苦労」について語られています。読み応えあります。てか、これ小説家希望者も読者も、小説に限らず創作する人表現する人みんな必読では? その2→https://togetter.com/li/1275697 その3→https://togetter.com/li/1276315 その4→https://togetter.com/li/1277117
京フェス 小説 SF イベント 創作 ログ 京大SF研 飛浩隆
4202view 0コメント
33

「皆勤の徒」応募時はほとんど改行がなかったのが……

酉島伝法(∴)Dempow Torishima @dempow
最初に担当氏にお会いしたときに「まずは改行してください。それからです」と言われました。そしてリターンキーを延々と押し続ける作業が続き、自分を呪いました。 twitter.com/Anna_Kaski/sta…
酉島伝法(∴)Dempow Torishima @dempow
いま思い出したのですが、ルビも一切入れていませんでした。
大森望 @nzm
年刊傑作選掲載時にあまりにも読みやすくなっててビックリしました。という驚きをすでに忘れがちになっている。 twitter.com/dempow/status/…
酉島伝法(∴)Dempow Torishima @dempow
あんなに読みやすくなったのに、読めないと言われた日々でした。 twitter.com/nzm/status/104…

さらに酉島伝法さん長篇の構想が語られた2015年の東京創元社ラインナップ発表会の模様も

大森望 @nzm
2015年4月20日の東京創元社ラインナップ発表会で発表された酉島伝法新作長編の内容説明イラストの一部はここに。 togetter.com/li/811230 twitter.com/Anna_Kaski/sta…

ここからは「読者には絶対分からない実作者の苦労」について語られます。

飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
「読者には絶対分からない実作者の苦労」なんだけど、小説家が筆が進まず困っている状況(レベル)にはいろいろあって、設定の不備とか構造の無理とかで二進も三進も行かない、とか窮地に落ちた主人公を脱出させるためのいい手が思い浮かばないとか、おそらく読者が想定するのはそういうことでは↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
ところが、そういうことではないところでいくらでも行き詰まるのである。ある段落で何がどうなるべきか完全に明瞭に分かっているのに進めない。もっと言うと、次の文章で何が起こるべきかすっかりわかっているのに、それをどう書いたらいいか分からない。金縛りにあったようになることが割とあるのだ↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
さいしょこれは自分だけの現象かと思っていた。ところが数年前、島根のSFイベント〈雲魂〉で、ロビーのソファでオキシタケヒコさんや小川一水さんと話し込んでいるときに、なんとなく「あれ、俺だけじゃない?」と思う瞬間があった。(そのときはうまく言語化できていなかったので確実ではない)↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
この七月、ゲンロン創作講座OBの麦原氏と神楽坂駅のホームで立ち話していたとき、そんな話をしたら「うんうん」という反応。翌日「大森望のSF喫茶」の壇上で若き巨匠小川哲さんに同じ話を振ったときも「そうそうそうそう」という反応。これはもしや少数派ではないのでは……↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
で、おとつい対談相手の酉島さんに同じことを言ってみたら「はいはいはいはい」だったわけです。おそらくすべての作家がそうというわけではないだろう。俺だってすいすいほいほい書けるときがないわけではない。しかし作家の一定数、おそらく同じ瞬間を感じているはずなのだ。微視的個別的に言えば↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
それまでの文章に何かが不足していたり、何かが過剰だったり、あるいは直前の一文がそもそも不要なものだったり、そういう具体的な原因がある。はず。いろいろ文章をいじっていると偶然そこが修復、というか正常化、というか「あるべき文章」に置き換わる、というかともかくそういう状態になって↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
あとは嘘のように淀みなく進むのである。(飛の場合ですが)往々にしてこれ、ほんとになんでもないところでつっかえる。読者が「おお凄い」「一体どうやってこんな文章が」みたいなところで格別に多くこういう状態がでるわけでもないのです。ほんとなにげないところで「あれ? あれ? あれー?」↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
と頭を抱えてるのですよ、これほんと。で、はっきり原因がわかっているわけではないので、直ったときも、なぜかよくわからないけど通りが良くなりましたね、で終わるわけです。ふしぎふしぎ。おそらく読者はそこでつっかえたなんて絶対気がつかない。しかしこれっていったい何なのかなあ↓

突如呼び出されるオキシタケヒコさん

飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
@TakeOxi あーあーとつぜん呼び出しますがw、いまこのへんを連続RTしているオキシタケヒコ様、もしやあなたも同じことを感じておられますでしょうか? @でお返事くださいませー。
オキシタケヒコ @TakeOxi
@Anna_Kaski 思い当たりすぎて困るぐらいあります。展開に困っているわけでもなく、どういう形がこのパートの完成形であるのかも頭の中では理解しているはずなのに、見えない壁があるように先に進めない不思議。
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
お返事ちょうだいしました(笑)。twitter.com/TakeOxi/status… オキシさんほどプラクティカルな文章運びができる人でもこうなのね。やはりこれはある程度普遍性がある現象とみた。↓
オキシタケヒコ @TakeOxi
ついでに言うと、そういう時に無理矢理作業を進めようとしても、「一行書いて一行消す」を延々繰り返すだけになったり。

小休止のあと怒濤のツイートが続きます。圧巻。

飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
(小休止。お待ちください。あ、文章に詰まっているわけではないですよ。再開後ここまでまったく迷わず(文章はところどころヘンですが)ノンストップで書けてます。そしてそれは構想が固まっているからではない、というのはこれまで書いてきたとおり。)
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
ここから先は、比喩、アナロジーの世界です。おそらく同じ悩みを抱えたことのある実作者にはすとんと腑に落ちるでしょう。しかし現象を正確に説明しているわけではない。そのことをご了解いただいたうえで読み進めてほしい。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
おとつい酉島さんにはこう表現してみたのです(壇上の発言よりもやや論旨を補足しています)。これって野球のボールがうまく投げられないとき、コーチから「こっちの肩を少し下げてみ」といわれて半信半疑でやってみたら、あらびっくり、遠くまで正確に無理なく投げられた、みたいなことではないかと↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
投げた当人がきょとんとしている感じですね。いままでのあの苦労はなんだったのみたいな。つまりうまく身体を使ってなかった、ある目的を果たすための最適な動きではなかった。なにげなく肩を上げていたことは、ボールを投げるための全身の動きに不要な抵抗を作り出し、そのために↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
いくら注意ぶかく投げても、腕の降り出す力は下がり、ぶれが生じ、あるいは身体の軸がただしい方向から逸れていたのではないか。(あくまで比喩ですよー)↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
で、コーチに言われたとおり肩をちょっと下げてみたら、不要な抵抗がすっかり消え、当人のポテンシャルが無理なく発揮されて、利き腕に込めた力が意図したとおりボールに伝わり、ひゅーっとボールが伸びてゆく↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
つまり小説の文章というのは、一個一個単独に存在しているのではない。句点で区切られているけれど、その背後ではなめらかにつながっていなければならない。そ し て 読者が受け取っているよりも(そして作者自身が把握しているよりも)ずっとずっと巨大な情報量が滔々と流れているのであって↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
個々の文章はみずからの意味をその流れにつけ加える働きと、その情報を次の文章に伝えることの両方を果たさなければならない。さらに言うと、ある文章は、片方の足をひとつ前の文章に、反対側の足を次の文章に書けていなければならないのだ。ひとつの段落はこの動きがあってこそ成立する。そして↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
個々の文章もこの流れの中にしぜんに納まっていないといけない。こう書くと「なんだ当たり前、よく言われることじゃん」と思われる読者も多いだろう。しかしここまでのひとつながりをまとめて読んだ実作者の中は、入れ歯がカタカタ鳴るほどはげしく頷かれると思う。そういう微妙なニュアンスの話↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
(疲れたなー。まだ少し先があるけど、読みたい人はこのツイートに「いいね」を投げてちょうだい。)
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
情報量を補足するとこんな感じね→ 文章で捉えているのは野手がホームへ送球するための一連の動作の一コマ。しかし実際には、呼吸があり、代謝があり、筋肉や骨格の膨大な要素がそれぞれ動き、それを包む皮膚の何億という細胞も伸縮している。ひとつの文を構成する単語はほんの数語だが、それは無限↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
ともいえる順列組み合わせの中からたまたま択ばれているだよね。そう考えると、俺たちすごいことをしているなー。みんな自分を褒めようぜ。 さて話は変わるけど、俺は酉島さんにこう言ったわけです。一連の文章群の始まりから終わりまで、というのは一種のダンスではないか。はじまりのポーズから↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
さまざまなポーズを経由して最後の静止状態に至る一連の、速度と力をはらんだ身体の動きの遷移と表現なのではないか、と。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
小説(あるいは小説のある段落)には最初の一文があるわけですよね。でもそこにある情報量はその一文のデータ量をはるかに超える。それまでの取材や作者の構想、択んだ文体。そしてその小説に使われないもの、も。それらの総体は。人間ひとりの肉体になぞらえる。冒頭の文が書かれる前、そいつは完全↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
に静止している。そして最初の一文と同時に動き出す。片目を開ける? 口元をゆがめる? 片脚を後ろに振り上げる? なんでもいい。文章はつながりあってその人体の動きを作り出す。(しつこいようですが、アナロジーです。)
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
ふたつ前のツイート修正。「それらの総体は。人間ひとりの」を「それらの総体を人間ひとりの」に。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
(想像以上につかれるな、これ。しかしこんなもの明日に残すわけにはいかないよ。あと一時間でいけるとこまで行って、そこで強引に終わらせよう。まあそんなにかかかるまい)
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
つまり小説の一文一文は、独立して静止したデータの単位ではなく、ダンスしている人体のひとつづきの大きな動きの中に、たまたま目が捉えうる姿勢なのではないか。カメラで捉えればそれはたしかに静止しているけれども、じっさいはとまらない肉体の動きの一切片なのであって。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
ようやく話が元に戻るのだけど、小説が金縛りになる現象って、つまりそこがうまく踊れていないことなのではないか。身体がキレよく回転しないのは、前の文章でブンと振り回した腕の速度がじつは少し足らなかったのではないか、あるいは足首が安定していなかったのではないか↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
そしてこの動きはダンサー一人ひとりみんな違うのだと思う。ぴたりと揃った群舞でも、その内部状態をくわしく観察すると、ちがっているはずだ。だって腕の長さや形が完全に同じな人はいない。同じように踊って見えるようにするため、各人は少しずつ異なったふうに身体を動かしているに違いない。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
小説稼業をやっている人間は(ダンサーのような養成システムはないので)たぶんひとりひとり見様見まねで「身体の動かし方」をじぶんに叩き込んでいる。(自己流のそれが、おそらく作風であり文体だ。)しかし、いつもいつも要請された動きを正確に演じられるわけではない。いつものように↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
あるいは以前やったように身体を使っているつもりでも、じつはうまくできていないことがある。振り回したつもりの腕の重さに自分が振り回されたり、足を前に振り上げる前にすこし後ろに引きべきところ、その引き方が少し足りなかったり。すると次のフェーズで身体のバランスが崩れる。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
物理的な肉体はその中に運動量を保存しているので、たとえすってんころりと転倒するにしても、次の動きがふっと消失することはない(アナロジーですよ)。しかし文章の場合はそこで「見当識」を失ってしまうのではないか。動かすべき身体のイメージを取り逃がしてしまうのではないか。↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
小説の場合はじっさいに単語を択んで組み合わせないといけない。直前の失敗した動き、くずれたバランス、それらを受け止める語文を、作家は作り出せないのではないか。で、いま思いついたのだが……↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
その「次の文を思いつけない」「金縛りになる」ということそれ自体が、われわれが「作家である」才能の証なのではないか。だって「そこに来るべき文章はない」ということが分かるのだから! ↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
というわけで非常に前向きな結論に至ったような気がするのでもうここらへんでやめておきましょう。あと言い添えておくと「そこに来るべき文章はない」というのは結論ではなく、ではそこに文章を置くためにはどこへさかのぼって直しましょうかね、ということになり、そこを見つけられるのが↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
(たとえ総当たり方式で修正したとしても)「あっこれでまた文章が流れる!」と判断できるのが、同じくらい重要な才能なのだ。これがないと、なかなか苦しいわな(というか作家にはなれんわな)。あと動きがぎくしゃくしないよう、問題に気づく能力、解決する能力も向上させないと↓
飛浩隆 TOBI Hirotaka @Anna_Kaski
みっともない踊りになりますね。 さて、みなさんもお疲れと思いますが、ここまで興味深かったと思われる方はぜひ「いいね」を。きょうはこのスレッドの行進は終了。このあと第3コマ、夕食、合宿はじまり、ゲンロン企画、企画外のあれこれなどはすべて明日以降。まだまだ続くんじゃ。もはやヤケじゃ。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする