- IshihataAi
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「ドストエフスキーが多次元性や矛盾性を発見し、理解することができたのは、精神においてではなく、客観的で社会的な世界においてなのである。この社会的な世界においては、複数のレベルとはそれぞれ何らかの段階を示すのではなく、対立し合う複数の人間集団を示すのであり…(続く)
2011-04-18 13:55:53(続き)それぞれの間の矛盾した関係とは、人格がたどる上昇・下降の道程ではなく、社会の状況を表しているのである。つまり社会的現実の多次元性と矛盾性が、時代の客観的な事実として提示されているのだ」—バフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-04-18 13:57:48「ドストエフスキーの芸術的ヴィジョンの基本カテゴリーは、生成ではなく、共存と相互作用だったということである。…様々な段階を成長過程として並べるのではなく、それらを同時性の相で捉えたうえで、劇的に対置し対決させようとしている」—バフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-04-18 14:01:19「したがって、主人公像を形成する要素となっているのは、現実(主人公自身および彼の生活環境の現実)の諸特徴ではなく、それらの特徴が彼自身に対して、彼の自意識に対して持つ意味なのである」—バフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-04-18 14:22:42プラグマティズムと、バフチンがドストエフスキー小説に見いだしたポリフォニーの違いは、前者が超越論的実在仮説に基づいているが、後者はそうではない(全体を見渡せる大地がない)という点にあると思う。
2011-04-18 15:01:42バフチン以前のドストエフスキー論が内容における多声性について論じたのに対して、小説の形式、ひいては芸術の形式との関係においてそれを論じるまでに高めた、というのがバフチンのオリジナリティなのかな…まだ途中だから分かんないけど。
2011-04-18 15:05:45@takeshun1984 お恥ずかしいながらトルストイは読んだことがないんですが、バフチンは「トルストイの世界は、一枚岩のモノローグ的世界だ。つまり主人公の言葉は、彼に関する作者の言葉という硬い殻の中に閉じ込められているのである」と評しています。
2011-04-18 17:03:13「第5章第4節ドストエフスキーの対話」を読んで、ポリフォニーと先ほどの引用部分 http://bit.ly/elLu2T の関連性を理解する。
2011-04-18 18:09:29やっぱバフチンわかんない。《人目を気遣う言葉》というのはかろうじてわかる。二次の心の理論に基づく言葉ってことよね。
2011-05-21 13:29:52逃げ道を持った言葉。《私は私を断罪する》言葉に《他者は私を正当化する》という願望と要求を潜ませているが、他者が額面どおりに受け取って、私を正当化しなかったときのために《私は私を断罪する》という逃げ道を作っておく。
2011-05-21 13:47:37モノローグ的な構想において主人公は閉じられており、はっきりとした意味上の輪郭で囲まれている。彼の行為も経験も思考も意識も、すべて彼はこれこれの者であるという定義の枠内で、つまり現実の人間として決定された自己イメージの枠内で行なわれるのである。ーバフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-05-23 18:09:07このような(モノローグ的な)世界が成立するためには、確固たる外部の立場、確固たる作者の視野が存在することが前提とされる。主人公の自意識は…彼を規定し描写する作者の意識の鞘に収められ、そのうえで外部世界の確固たる基盤の上に置かれているのであるーバフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-05-23 18:14:57主人公が自らに事態を説明しながら…到達する《真実》とは、ドストエフスキーの目から見ればそもそも、恐らくはこの人物自身の意識にとっての真実に過ぎないのである。それは自意識に対してニュートラルではあり得ない真実なのだ。ーバフチン「ドストエフスキーの詩学」
2011-05-23 18:22:08ある人の言葉の語り口や語の選択は、その人だけに100%の決定権があるのではなくて、その人に対する他者の認識に対するその人の認識によって影響を受ける。みたいな事態が先ほど生じたので、これがポリフォニーだと思った。
2011-05-23 23:57:18つまり軽い乖離と記憶喪失のような状態。いまのところ実害はないけど、なんか薄気味悪いし、記憶がない時期のことが心配にもなるし。
2011-05-24 15:48:00さっきのツイートは、解離性健忘の人が気味悪い存在だっていう意味で解釈する人がいるかもしれないけど、そういう意味で言ったんじゃなくて、解離性健忘という体験自体が気味悪いという意味です。
2011-05-24 15:59:54内田樹さんが「ヴォイスを割る」という表現で指し示しているライティングの作法は、バフチンの言う「ポリフォニー」と同じだと思う。「ヴォイス」という言葉はバフチンの「ヴォイス」を意識しているのだろうか。
2011-05-24 16:21:59「クリシェと割れた言葉」http://blog.tatsuru.com/2008/04/11_1942.php ここで、ヴォイスが割れた文章の例として引用されている町田康のエッセイ、これはポリフォニーの例といえるのではないか。
2011-05-24 16:26:53【専有に関連すると思われる箇所】(『分身』におけるゴリャートキンと分身の対話について)…他者(分身)の応答とは、他者の口から発言された彼自身の言葉、ただしもとのアクセントがずらされ、悪意的に歪曲された、いわば裏返しにされた彼自身の言葉に他ならなかった… p.533
2011-05-24 17:18:21