「ゴードン=マッタクラーク展」

まとめました。
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

マッタクラークようやく観覧。学ぶこと多し。残念なのはまず模型。ふにゃふにゃなスポンジケーキみたい。いきなり展覧会のニセモノ感盛り上げる。クラークの仕事も現在の状況も甘くしか認識できない建築家に展示名義でゆるすぎる作品を作らせるべきではない。

2018-08-05 05:59:30
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

固さ=物質の抵抗はシステムが必然的に作る非対称性つまり計測可能/不可能の分節、階層性に根ざし、破棄、黒塗、改竄、漏洩とクラークが(活躍できる)切開しようとした階層の固さ=物質的抵抗は増大する一方。物質的抵抗は異なる質の媒質=物質が接する界面に生じるのはカッターを使えばわかること

2018-08-05 06:34:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

全体の設営はそれでも控えめだった。だからクラークが与えてくれる情報は多かった。がカタログ掲載対談、立ち読みしてゲンナリ。なるほど、それでこの模型か。抵抗というものがどこに生じるのかわかっていない。漏洩許容/封印 をなぜ不整合に繰り返す時代になっているか。

2018-08-05 06:45:51
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ちなみに、medium.com/@haydaralameri… さすが、物質的抵抗の積層性 がちゃんと表現されている。いやあ さすがだ。だいぶ ちがう。

2018-08-05 09:15:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

後の誤読に繋がる(いわば改竄に加担する)可能性あるのでマッタ=クラーク展カタログ表2、表3(見返し)の図版は一切クラークと関係ないと美術館が明記すべき。またプレイグラウンドという概念はクラークに一切関係ないことも同様に。でないと後年(10年後)調査する人が意味なく苦労することに。

2018-08-11 15:19:28
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

実際に生きている作品の製作者に 当時の状況、作品の設置方法すべて含めてあらかじめ問い合わせすることもせず行われる展覧会、にもかかわらず外部観測者の感想(データの裏付なし、記憶に頼った)を列挙するカタログも誤読を加速するだけなのでやめてもらいたい。

2018-08-11 16:09:06
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

こんなことだから東大食堂の壁画も破壊されてしまうのだと思います。どこもかしも危機的です。

2018-08-11 16:10:08
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

よく展覧会は議論に開かれているとか叩き台とかいわれるけれど展開、生産的にしようとした議論は印刷も出版もされず英訳もされないので不均衡が存在する。errata は機能しないものだとしてもerrataすら印刷もされない。そもそもerrata指摘すると呼ばれなくなります、よ。我慢したほうがいいかしら

2018-08-11 16:29:11
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

銀座ソニーパークとかのオタメゴカシを考えるとマッタ=クラークは絶対、建築には落とし込めないと(パネラーに嫌われてでも)強く主張しておくべきだったと思う。(近美のプレイグラウンドよりはソニーパーク計画のほうがはるかにクラーク的に練られて見えるとしても)。

2018-08-11 19:52:10
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

One Flew Over the Cuckoo's Nest 1975 - Ending Scene - Full HD youtu.be/c3Dz6FOE_Gk @YouTubeさんから

2018-08-12 01:02:55
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

アナーキテクチャをクラークは「靴紐をむすぶために立ち止まった」とき、日常的な行為の流れがふと断絶し現れる場所のようなもの、と喩えた(ゆえにクリストファ・アレクザンダー的=セミラティスが分岐生成する場所)けれど。そういえばこんな曲があった(1972年録音)youtu.be/CCvL7n3DGfE

2018-08-12 06:52:45
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

いかなる建築でも建てられる余白ゆえに土地(展示空間も)は交換価値を持つのであり近美playgroundもソニーもその制度としての余白(商品価値)を演出、強化している。一方自由とは制度を根本改革する可能性、権利ゆえに結局は誰の場所かという所有=制度の非対称な区切りが変容するかどうかに関わろう

2018-08-12 16:17:49
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

余白とか広場とかのクリシェについて、昔こんな議論があった(1992年のany会議=anywhere にこんな批判を掲載してもらった)のを思い出し(1994年に記録がでてます),amazon.co.jp/Anywhere%E2%80… pic.twitter.com/Fsk2rXArls

2018-08-15 16:04:38
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ちなみにここで 強い身体とはフロイド用語でいえばエスのこと。それに向かう欲動は死への欲動ということに対応。スピルバーグの激突(1971) と同時代に fresh kill を作ったマッタクラークの仕事の核心にはこれが(あきらかに)見え隠れ 〜。

2018-08-15 16:20:03
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@ishitakuma クラークはアドヴァイスして伴走しただけ。クラークしばらくつきあったけれど飽きてすぐやめてしまった(芸術イベントとしか見てなかった)。仕入れとかの作業煩雑すぎる、無理とかいって逃げ出した。設立資金をだしたのも料理担当し店を回していたのもCarol Goodden。彼女のプロジェクト。

2018-08-25 05:46:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

いよいよ! が、表題の「抵抗」の意味がちょっと展覧会のコンセプトと違うようだけど。 ──どちらかというと、表象/代表という制度(政治)への(儼然たる)抵抗。ぼくも3本(150枚)ほど原稿をカタログに寄せています。──のbijutsutecho.com/magazine/news/…

2018-09-23 01:46:05
水野 亮(3) @drawinghell

東京国立近代美術館「ゴードン・マッタ=クラーク展」、マッタ=クラークの作品は作者の二つの欲望に基づいていると考える。一つは「穴」や「割れ目」などへのフェティッシュな欲望であり、一つは公共空間と私的空間の反転・攪乱だ。前者は身体性に、後者は社会性に基づいた欲求と捉えることができる。

2018-11-05 20:02:52
水野 亮(3) @drawinghell

(ゴードン・マッタ=クラーク展)同時代的な価値観にfitするのは言うまでもなく後者であり、その文脈でこそ多くの現代作家の先駆としての評価も高いのだろう。しかし個人的にグッとくるのはむしろ前者の欲望であり、その要素が欠けた作品は理に勝って見えてしまって興味が持てない。

2018-11-06 20:09:05
水野 亮(3) @drawinghell

(ゴードン・マッタ=クラーク展)故に出品作では窓ガラスが割られた建物の写真のシュルレアリスム的な不穏さや、切断された家の裂け目から日が零れる様のシュールなリリカルさにこそ魅かれる。ちなみにどちらも作者自身が制作(選択)した素材(写真・ビデオ)に拠っている。

2018-11-07 20:07:10
水野 亮(3) @drawinghell

(ゴードン・マッタ=クラーク展)マッタ=クラークのような物としての作品を残さないタイプの作家の没後展の難しさはそこにある。本展に展示されているものの大半は「作品」というよりも作品を記録した「資料」であり、本展も「作品展」というよりは「資料展」といったほうが相応しい。

2018-11-08 20:04:34
水野 亮(3) @drawinghell

(ゴードン・マッタ=クラーク展)言ってみれば本展は作者の没後に残された資料を使用して構成された立体版の作品集(アート・ブック)のようなものであり、その意味ではよく出来た展示なのかもしれない。しかし前述したような作品の持つフェティッシュな魅力はどこまで伝えられていただろうか。

2018-11-09 20:08:22
水野 亮(3) @drawinghell

(ゴードン・マッタ=クラーク展)もとより清潔で人工的な美術館の展示空間はマッタ=クラークの嗜好とは真逆で、むしろ破壊の対象である。その中でも壁の穴から映像を覗かせるなど工夫は試みられているが径庭は否めない。作者不在のままそれを真似て近付けるべきかはまた別の問題として存在するが。

2018-11-10 20:08:34

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