丹生谷貴志ツイートまとめ(2018年7~9月)

丹生谷貴志さんの2018年7~9月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

余談。もう2年ほど、一種の難読症状態。小説文字列が干からびた電信にしか見えない。十代で成った時は三年間一冊の本も読めず、何故かダレルの『黒の迷宮』で治った。今もそんな偶発を求めて読もうとはする。しかし今の所寛解の気配はなく、町田康さえ(?)干からびたカラの文字列にしか見えない。

2018-07-05 07:40:58
nibuya @cbfn

・・・とは言え、町田康さんは1990年以降の日本国最高の「物書き」であることを疑ったことはない。

2018-07-06 00:11:18
nibuya @cbfn

というわけで阪神大雨警報下の封鎖時間で町田康『ホサナ』を読了、5年を賭けて書れた労役を速読することへのチンケな罪悪感で、速読能力の皆無な僕としては、超高速。6〜70年代のロックLP新譜が”全て傑作”であったのと似た感じで傑作。文体に自己模倣化が感じられるけど、それは成熟とも言うはずだ。

2018-07-07 21:04:23
nibuya @cbfn

余談。人は鏡に映る自分を自分だと認識するが猫・犬は鏡に映る自分を、敵少なくとも他者として認識する。無論この場合「自分」という言葉が問題で、要は「分身・分れ身」の意、それは「他者」であり、だとすれば猫・犬の方が正確に鏡を認識していることになる。人は他者を「自身」と取り違え続ける。

2018-07-08 18:38:28
nibuya @cbfn

余談。「小説家」としては町田康さんには先天的欠陥がある、登場人物に一貫した性格が与えられない、関係性を構成的に編み上げられない、情景の一貫した遠近の完全な不在。多分これは町田さんの生来の現実感覚自体に由来するのだろう。自動的にその作はその所与を完全逆用することで成り立つ異形となる

2018-07-09 12:43:39
nibuya @cbfn

余談。現実をナンセンスで裏返す、或いは現実のナンセンスさを暴露する。これは「ナンセンス」による「現実」への一種の階級闘争を形成する。しかし「現実」というものか予めナンセンスな所与の様相しか持たずそれを現実として転写しようとするやナンセンスの増殖となるしかない場合を想像すること・・

2018-07-13 10:09:47
nibuya @cbfn

・・・町田康さんに「類比」されることのある筒井康隆的ナンセンスは基本的に「批評的ナンセンス」の性質を持ち、それが現実への「階級闘争・階級嘲笑」であることを信じた(夢見た)世代のそれだろう。たぶん町田康的世界はそれとは性質を異にしている。少なくとも「似て非なる世界」であるだろう・・

2018-07-13 10:18:53
nibuya @cbfn

余談。スタンダールの序辞「For a happy few.」、その「誰か」はまだ生まれていない誰かだけではなく、その非在性において過去の誰かをも含み得る。「書く者」において「読者」は現生者であるという限定はない。小説家は死者をも読者に入れ得る。例えば大岡昇平の「死んだ兵士たちに」という要請・・・

2018-07-13 21:42:50
nibuya @cbfn

町田康は割り振りなら自分と同世代と言えるとも思い、持ち上げて置いて落とすという含み全くなく、その世界は僕らの世代において全く「平凡」なもので、だからどう逸脱しようと奇想よりも既知の単調さを感じるのだが、しかしそれを「そのまま」留保なく定着する天才の醸成は想像外の手続きだった・・・

2018-07-14 10:57:22
nibuya @cbfn

余談余談。ノーベル文学賞は少なくとも二回それを最後に廃止して説得的だったと思われ、ベケットに授与した時そしてディランに授与した時、人によってはサルトルの時かソルジェニツインの時だともいうだろうか、どちらにしろ廃止宣言の好機を逸して未だその空疎を引き伸ばそうとしているかのようだ。

2018-07-14 11:24:20
nibuya @cbfn

余談。婦幼のねふりを覚ます・もとより翫物、と蓑笠陳人こと馬琴は小説を言う、時はヘーゲル!と同時代、ヘーゲルまた「以降、詩・文は婦幼の翫物となるであろう」と宣した。これは真面目に取らねばならない。彼らともに男だが、二百年前すでに、婦幼に広野・荒野を開け渡すことが受諾されていたのだ。

2018-07-18 10:16:19
nibuya @cbfn

なんとも空疎な余談。凡庸な事実、20世紀半ば以降の世界は完全に既知に満たされていて、未知は「既知が生きられる」ということにしか存しない。未知は無際限の不安を属性にもつ、したがって世界は微細で無際限の不安として「のみ」現勢する。

2018-07-19 10:44:41
nibuya @cbfn

余談。あくまでも仮に「虚無への恐怖」が文学や芸術を醸成したとして、「虚無」がなんら恐怖の因でもない空疎となった時点で文学やら芸術などの醸成は不要となる。以降「痒み」やらといった「生体的居心地の悪さ」だけがその因となり、当然「痒み止め小説」「痒み止め音楽」といったものが醸成される。

2018-07-21 16:48:34
nibuya @cbfn

余談。昔藝大で妙な幽霊騒ぎが続いたことがある。最大は女子寮での幽霊パニック騒ぎ。当時藝大女子寮は音楽学部敷地内にあり古い煉瓦の建物、小広間の薄明かりに血だらけの若い武士を見たと一人が訴え、珍しくもない不定愁訴だった筈がその「目撃者」が寮生中に増殖し取集不能になる騒ぎになった・・・

2018-07-22 09:49:03
nibuya @cbfn

音楽学部は上野寛永寺の門前敷地に建っていてかつて上野の山合戦の死体晒し場だったという史的実話がそのパニックをさらに煽り、無論誰も幽霊を真面目にとりはしなかったが、その事件が藝大を妙に重く生臭い湿気のように覆ってしまう結果になった。それが直接原因ではないが女子寮は取り壊された。

2018-07-22 10:02:50
nibuya @cbfn

・・・同年だと記憶するが、これまた当時は敷地内にあった古い奏楽堂のピアノが夜中に鳴り出し警備員が、人魂を伴った白い影がピアノを弾く影を見たと言い出した。今は貴重建造物として保存されているが当時の旧奏楽堂は半ば崩れかかった気配まさに幽霊物件といった趣濃く、この騒ぎは紛糾した・・・

2018-07-22 10:09:02
nibuya @cbfn

・・・今回はベテランの警備員が立て続けにそれを目撃するという騒ぎになったからで・・・それというのも、実はその影は幽霊ではなくて実体で、ピアノ科を落ちて精神の不調に陥った受験生が夜中に藝大に忍び込み演奏会用のドレス姿に蝋燭を妙な具合に身につけて調律の狂ったピアノを弾いていたのだった

2018-07-22 10:23:27
nibuya @cbfn

余談。殺された五十嵐一氏には一度どこだかで黙礼しただけで面識というほどもなく、事件後数年神戸の部屋に茨城警察から何か思い当たることはないかという不意の電話を受けたことがある。氏が執筆した同じ号の雑誌に文章を書いた者皆に電話をしていると言う。いいえ、と応える以外なく部屋で茫然した。

2018-07-22 10:45:34
nibuya @cbfn

・・・五十嵐さんは理科系出身の異彩持つイスラム学者として、イブン-スィーナーの詳細な研究で知られるが、一方でテヘラン研究所のナスル氏や井筒俊彦氏の仕事を、師匠筋ながら「竹林清談」の匂いが濃すぎるとして違和感を表明するなど、そのイスラム学の現状への直視の真摯を私は尊敬していて・・

2018-07-22 10:58:14
nibuya @cbfn

・・・と、五十嵐氏を思い出したのは氏と親しく接した知人の方々が再認の文集を出したという報道を知ったから。氏の著書は入手不可能ではないがイブン-スィーナーを巡る該博な訳・著書は絶版、古書でも高価という状態、しかしその貴重な仕事の存在は再認されねばならないと思うのだ。

2018-07-22 11:11:49
nibuya @cbfn

余談。しかし、80年代明けの頃の藝大は長引く沈滞と不意に狂騒的になろうとする予感でひどく疲れる時空だったと、未だ思う。藝大に限らないのだろうが「ポストモダンへの移行」は当時、空疎な時事的抽象ではなくて、夏の始まりとか冬の開始とかに似た肉感的な感覚としてあり、僕らは元気に疲れていた。

2018-07-25 08:34:44
nibuya @cbfn

保坂和志短編集『ハレルヤ』が届く、感謝。皮肉なしにもはや大家の風格、保坂世界の中で一番僕の「好きな」空間が広がる予感。『カフカ式』という野心作もあるが保坂の世界はここでミシェル・レリスの超私的世界の「鮮明な薄明」、その視覚=肌触りに連結するざわつく経路を開く稀有の予感を強め・・・

2018-07-30 20:21:40
nibuya @cbfn

三島由紀夫『奔馬』は「日は赫奕と昇つた」という如何にも空疎な美文で閉じられる。しかしこの「赫奕」という漢語、或いは三島の脳裏に馬琴『南総里見八犬伝』伏姫自害の場から引かれたとも想像出来て、伏姫切腹の時、八珠の珠数千切れて「赫奕たる」乱舞、ついに八犬士を誕生させ地上に走らせるのだ!

2018-08-02 13:57:31
nibuya @cbfn

余談。神秘主義的論理から神秘主義的要素を完全に除去した上で汎神秘主義的であること、このまだるいと言えばまだるい常態が「ポストモダン以降」の思考-志向-存在の場であり様相である・・・ような気がする。・・・気がする? おお。

2018-08-05 06:50:19
nibuya @cbfn

絶対的愛猫家(象でも犀でも鳥等々でも可)が人間を許す範囲は人間に残存する猫性に限られ、残余の人間性に対する絶対的な憎悪・廃棄・無化によって成立する。これは充分「絶対世界愛」の表現を形成し得、驚異的「アニミスム倫理的小説」を形成し得る。例えば大江健三郎の天才性はその極例だと思われる

2018-08-20 13:01:56