諸葛亮の北伐は何故頓挫したのか?

諸葛亮の北伐が何故頓挫し、そもそも好調だった第一次北伐が街亭の戦いで破綻し、以後も精彩を欠いている理由について纏めてみました。
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諸葛亮の北伐の目的と基本方針について

ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

諸葛亮の北伐の目的というか、最終目標は長安制圧なんだろうけど、その手前で狙っていた基本方針は祁山を経由して雍州と涼州を分断して涼州方面を制圧し、第二の補給地点を確保することで長安へと東進することにあった。

2018-10-19 16:07:57
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

諸葛亮の第一次北伐と共に、雍州の三郡である漢陽(天水)安定、南安の三郡が陥落というか降伏している上に、諸葛亮は趙雲を箕谷に布陣させて囮にし、諸葛亮は自ら涼州方面に進撃しているので、諸葛亮の基本方針は雍涼分断、そして制圧が目的だったのが分かる。

2018-10-19 01:17:44
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

魏延の長安進撃は結構記述が怪しい魏略に掲載されていることだけど、一応正史だと「諸葛亮と道を異えて潼関で会し、韓信の故事の如くしたく思った」とあるので、諸葛亮とは別ルートで長安へと進撃して潼関を塞ごうとしているので、魏延はとりあえず長安取ろうぜ派だった。

2018-10-19 01:21:31
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

魏延の主張は間違っていないし、むしろ漢王朝の元々の首都である長安を落とすことは蜀漢にとっては間違いなく意義のあることだし、潼関と函谷関を抑えれば、そのまま洛陽まで進撃も夢ではないんだが、補給線への負担を考えるとそう簡単にはいかない。

2018-10-19 01:22:48
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

成都から漢中には大巴山脈がそびえ、漢中から北には秦嶺山脈と過酷な山越えを二回もしないといけない。アルプス越えを二回しろといっているようなもので、仮にスヴォーロフやハンニバルでもこれは結構な無理ゲーである。

2018-10-19 01:24:12
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

故に、諸葛亮は安全というか雍州と涼州を分断した上で、第二の補給線を確保し、さらに羌族ら異民族とも提携することで北伐を計画していた。それもかなり入念にやっていていたからこそ、三郡がいきなり降伏、そして陥落している。 だが、諸葛亮にとってここで予想外のことが起きた。

2018-10-19 01:25:28

諸葛亮の誤算

ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

天水、南安、安定の三郡は制圧出来たが、涼州と雍州の境目にある隴西郡だけは張既の下で郡太守をやっていた游楚が激しく抵抗しており、ここで諸葛亮の進軍が止まってしまう。 さらに魏の涼州刺史である徐邈が蜀に寝返ったはずの南安奪回に向けてゲリラ戦を行い、諸葛亮の戦略が狂い始めた。

2018-10-19 01:28:06
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

さらに曹叡が長安まで親征し、張郃に三郡奪回を命じ、張郃は数万の兵と共に街亭へと進軍を開始する。街亭は雍州西部にとっては背面のような場所で、ここで食い止めないと蜀軍は隴西と街亭から挟撃される。 そこで諸葛亮は馬謖に街亭を守らせた。

2018-10-19 01:30:10
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

馬謖は街亭に布陣するも山頂に陣取ったわけだが、馬謖の言い分というか理由としては「魏軍は一刻も早くこちらを撃退したいはず。だからこそ短期決戦で挑んでくるからそれを速攻で撃破する」ということで山に陣取ったんだろう。

2018-10-19 01:31:47

街亭の戦いについて

ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

街亭の戦いを考察すると、魏からすれば三郡が制圧され、隴西まで王手をかけられているような状態。だけど、游楚と徐邈が頑張っているから早く救援に駆けつけたいっていう事情が背景にはあったと思う。 故に、馬謖は相手が短期決戦で挑んでくるからそれを迎え撃とうとした。だが相手が悪かった。

2018-10-19 01:33:44
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

游楚や徐邈が頑張っているが彼らは正直寡兵であるし、本来ならば速攻で救援したいけど、張郃は馬謖が短期決戦を挑もうとしていて、包囲されることを配慮していないことを看破し、水源を抑えて包囲し、あえて持久戦に持ち込むという結構な奇策を打ったわけである。 馬謖の選択はそこまで間違っていない

2018-10-19 01:36:34
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

だが張遼や楽進、徐晃らと共に並び立つ歴戦の宿将といってもいい張郃相手では馬謖は完全に実力不足だったわけで、街亭の戦いが呆気なく終わったのは馬謖の作戦ミスと共に、馬謖の作戦ミスに盛大につけ込んで短期決戦ではなく持久戦を取るという張郃の奇策が見事に決まったからに他ならない。

2018-10-19 01:38:32
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

実は正史だと諸葛亮は馬謖に山頂に陣取るなとかは一切言っていない。だけど馬謖の指揮が諸葛亮の意に添わなかったのは事実だったようで、諸葛亮の計算としては馬謖が街亭で上手く防いで本隊を動かすまでの時間稼ぎを行った上で各個撃破を狙ったのではないかと推測する。 だけど、諸葛亮は動けなかった

2018-10-19 01:41:13
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

馬謖ではなく、魏延や呉懿ら蜀の宿将達に街亭を任せるべきっていう意見があったけど、諸葛亮があえて馬謖に守らせたのは馬謖に箔を付けさせるっていうのもあるが、游楚と徐邈が激しく抵抗しており諸葛亮の第一目標である雍涼分断に大きなブレーキがかかっていたからに他ならない。

2018-10-19 01:42:54
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

三郡を制圧し、後は隴西だけっていう状態の中で諸葛亮からすればあと少しで完全制圧出来る中、唯一隴西郡が激しく抵抗し、一度制圧した南安でも徐邈が反撃している状況下なのだから、諸葛亮からすれば「街亭よりも隴西だよ!」的な焦りもあったと思う。 そう見ると街亭の戦いの視点が少し変わってくる

2018-10-19 01:44:41

諸葛亮の計算を狂わせたのは誰か?

ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

街亭の戦いで魏延や呉懿を派遣しなかったのは、しなかったのではなく出来なかったのではないか? 隴西郡さえ陥落すれば諸葛亮の雍涼分断は成功するわけだし、隴西郡を落とせば涼州を魏と分断出来るので、その後に街亭へと進撃して張郃に備えれば魏にとっては一番厄介なことになる。

2018-10-19 01:46:25
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

故に、魏延や呉懿を隴西郡制圧に投入し、速攻で隴西郡を制圧した上で東進するっていうルートの方が確実である。後、街亭は森林地帯で街道以外から進軍するのが難しい場所でもあったから非情に守りやすい場所だった。故に、馬謖には撃退ではなく防御を諸葛亮は求めた訳である。

2018-10-19 01:48:06
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

正直、街亭の戦いは魏延や呉懿を向かわせるか、諸葛亮自ら向かうべきだった。街亭の戦略的価値を考えるとその方がいいんだが、それが出来なかったからこそ馬謖に任せたのは、隴西郡太守である游楚と涼州刺史徐邈の二人が激しく抵抗していて本隊を動かせない状況にあったわけである。

2018-10-19 01:50:13
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

游楚と徐邈のファインプレーがなければ、おそらく隴西郡も陥落し、涼州も分断され諸葛亮はそのまま蜀軍を街亭へと向けさせて万全の体制で向かい討つことが出来たはずなんだが、それをさせなかった游楚と徐邈は地味だけとかなりスゴイことをやっている。

2018-10-19 01:51:25
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

そして、諸葛亮の本隊が隴西郡と南安に釘付けになったことで、張郃は街亭へと進軍し、さらに馬謖の策を看破して持久戦に持ち込むっていう奇策を打つことで街亭の戦いであっさりと馬謖を破って蜀軍の背面を突ける状況になったことから諸葛亮の第一次北伐はここで完全に破綻して撤退する羽目になる。

2018-10-19 01:53:16
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ

街亭の戦いのMVPは間違いなく張郃だけど、諸葛亮の第一次北伐そのものに対するMVPは游楚と徐邈なわけで、特に徐邈は以後の北伐で諸葛亮に祁山から涼州方面の進撃を完全に出来ないようにさせたので、ある意味諸葛亮にとって最大の敵であったと思う。 この二人がいなかったら逆に街亭で防がれていた。

2018-10-19 01:55:31